第九十八話:ハネムーン to 室町

帰国した鷲塚は千寿の兄との感動的な対面……などといった心躍る物語はほったらかしで、ドラッグストアに行ってくる、と綾香に告げた。
「あら、随分早いお帰りね? それに、ドラッグストアって? そんなところに行ったら、また記者たちにつかまるわ」
そんなことを言いながら、綾香はまたしても、真剣に文字列を入力中。もはや何かにとりつかれたようで、仕事以外の時間はずっと液晶画面を見つめていた。
「その、千寿の兄が重体となっていて、直ぐにも薬を届けなければならないんだ。ええと、何と言ったかな……そう、『治るっちゃ』だ」
綾香はえ? と言ってやっと鷲塚を振り返り見た。
「重体って……それ、あなたの判断で治せるの?」
「それは……そうなんだが。害にもならない薬だというから、試してみても今より酷くはならないだろう。思うに、その……もしかしたら、私にも感染してしまっているかもしれん。つまり、『空気感染』とやらで」
綾香はまじまじと鷲塚を見、少し考えてから言った。
「だったら、まずは病院に行ってからよ。同じ病気がうつっていたとして、彼、いえ、もしかしたら、もう彼らになっているかも。みんなの病気がなんなのかわかるんじゃなくて?」
「私にもそのくらいの知恵は回るが、それをして、万が一、千五百年前特有の病などが出て来てしまったら困るではないか」
「そうだったわね」
綾香はそう言うと、スマートフォンを取り出し、誰かに電話をかけ始めた。
「……あ、山本さん、木下です。じつは、『治るっちゃ』をあるだけ持ってきて欲しいの。ええ。救急用品の中に大量にあったはずよ」
鷲塚は狂喜した。
「な、なんだって、君はその薬を持っていたのか?」
「常備薬だもの。普通の家なら少しくらいあるはずよ。昭彦さん、知らなかったの? 十年くらい前、インフルエンザとかいう病気が流行った時、使い捨て防御マスクが一斉に売り切れて大変だったでしょ? あんな過去の遺物が再び大量生産されるなんて、夢にも思わなかった。あの時、うちにはその『治るっちゃ』があったお陰で、誰一人気分が悪くなる人はでなかったわ。曾祖父のそのまた祖父くらいの時に、ええと、なんたら風邪というのが流行して、その時に買い占めたのですって。古い話だから私には分かるはずないけど。うちはホテルでお客さんが多いから、もしもの時に備えてその後供給が追い付いてから、また大量に買ったらしいの。だけどここしばらくその類の流行はないから、残っちゃってるのよ」
「曾祖父の祖父……いったい、どれだけ古いものなんだ? 賞味期限、いや、消費期限などはないのか?」
「あなたってタイムマシン以外のこと、本当に何も知らないのね。その頃とっくに『完全密封法』が発明されていたのよ。封を切らなければ半永久的ね」
「おおおお、何と言う事だ。さすがに千五百年後の世界だ」
妙に感心する鷲塚に、綾香は大笑い。
「あなた、まるでもう、過去の人になってしまったみたい。また私のことなんかわすれてしまっているでしょ?」
「まさか、そんなことは。その、分かっているだろう? あと三月だ。残念だが、わずかに三月では彼が国を統一する様を見届けることはできそうにない」
綾香は少し考えてから、
「私、マシンに詳しくはないのだけど、基本あなたはどの時代にでも行けるのよね? だったら、マシンを使える期間は三月でも、到着する時代をずらせば、彼が統一を遂げた後に行くことはできないの?」
「……」
鷲塚はなぜか返答に詰まった。そのことはこれまでに彼自身、何度も考えた。いともたやすいことだ。例えば、1200年に通っていたとして、その十年後の様子を見たいと思ったならば、次回は1210年に行けばよい。だが、それだと、その十年の間の期間は彼の目で現在進行形でとらえることができなくなる。吉田には笑われそうだが、綾香になら通じるはずだ。
「そうね。あなたは彼の成長を見守って来た。そんな空白の時間ができることなんて耐えられっこない」
「よくわかってくれたね。それに、現実問題として、十年だか二十年だかの間、私に会えないとして、彼の発信器だの充電器だのはそこまでの耐久性がない。とくに発信器はデリケートなものだ。吉田の力を借りねば、新しいものは作れないんだ」
綾香は深く頷いた。ちょうど、ドアをノックする音がして、さきほどの電話の相手、山本が段ボール箱を大量に運んできた。
「お嬢様、このようなもの、何にお使いに?」
山本は木下家の執事のような人物。幼い頃からずっと綾香の成長を見守って来てくれた、肉親のようなものだ。
「慈善事業に寄付するの。だから、あとで、同じくらい買い足しておいてね」
山本は鷲塚に軽く会釈すると、それ以上のことは尋ねず、静かに出て行った。
「こんなにたくさん!? これだけあれば城内すべてに感染が広がっていても問題ないだろう」
鷲塚は呆然となった。恐らく、すべてはマシンに積み切れない。残りの航海では毎回これを持っていこう。