第九十七話:天下人への道

毛利元就と二人の息子、陶隆房と順番に呼ばれ、それぞれが「臣従」の申し出と、あわせて昌春への忠心を誓い、つぎつぎに部屋から出てきた。隆房は昌興から昌春=千寿だと聞かされても、なおぼんやりしたまま。何やら、常のナルシストはすっかり「なり」をひそめてしまっている。毛利親子も、隆房も特に昌興からお小言を言われることなく、ひたすら弟を頼む、と頭を下げられて恐縮するばかりだった。
鷲塚はこれらのお家騒動とは無関係なので、彼なりにできることを、とばかりせっせとデジタル事典を調べていた。
(『治るっちゃ』……? なんだこれは……)
つぎつぎと関連事項をクリックしているうちに、鷲塚は奇怪な名前の薬剤に行き着いた。

ご注意:以下の記述はすべてフィクションです。

『治るっちゃ』:空気感染症専用治療薬。千年以上前には不治の病とされていた結核は、やがて特効薬の開発によって治療可能な病となった。だが、不治の病ではなくなると、軽んじられるのが世の常。その後も一定周期で大流行し、そのたびに改めて治療薬が注目されるということの繰り返しである。決して撲滅された病ではないのだ。2000年代初頭に我が国でも発症例が見付かったと言われている鳥インフルエンザ……(中略)……これらはすべて空気感染するので、感染は一度拡大すると止まらない。この『治るっちゃ』は五百年ほどまえに某社が開発した治療薬で、これらの空気感染する類の感染症すべてに有効である。なお、この薬は飲んでも何ら副作用の恐れがないため、ドラッグストアでも販売されている。ただし、上記のような理由から、感染爆発すると、あっと言う間に売り切れるため、万が一のために、家に買い置きしておくべき常備薬である。
(……ドラッグストア……常備薬……副作用なし……神だ)
なんの病であれ治してしまうという、この凄まじい「特効薬『治るっちゃ』」これさえあれば、怖いものなし。
しかし……空気感染? なんと。あれらのお涙頂戴劇で平然と儚く散りゆく恋人を抱きしめている彼ら……すべて危険である。いや、そんな作り話はどうでもいい。問題は自分たちだ。病人があれだけ咳き込んでいたということは、部屋の中にいた全員が危ない……。
すぐにも「治るっちゃ」を買いに走ろうと考える鷲塚の前に突然現われた千寿が、中に入るようにと彼の背中を押した。
「え? わ、私は君たちの『お家騒動』とは無関係。生きる時代が違う」
「兄上が山田と話したい、って」
千寿のキラキラの瞳は、この時ばかりは、泣きはらしたせいで光っていなかった。
「いや、その、あの病は空気感染……な、やめてくれ……」
千寿は有無を言わさず鷲塚を部屋の中に蹴り入れた。

「山田と二人きりで話したいんだってさ」
千寿は隆房に向かってそう呟いたが、無反応だったから、鷲塚が置いていったデジタル事典を手に取った。そこにはまだ「治るっちゃ」のページが開かれたままである。
「何この『治るっちゃ』って? ふーーん、薬なんだ……。で、結核って何?」
千寿が元就に尋ねながら、デジタル事典を指差した。
「はて?」
そんなことより、元就には怪しい箱の中に浮かび上がっている文字のほうがオドロキである。しかし、記憶を辿ると何やら城の中に入る前の馬鹿騒ぎの時、鷲塚が確か「結核」とか口走っていた気がする。
「これは……山田殿が昌興様の病はこれかも、と話していた時に出た名前ですな」
神童と謀神は二人して、未来の「書物」に目を通したが、まったく理解できなかった……。
「でもさ、『治療薬』とか『すべてに有効』とかあるよね」
「そうですな」
もしかして? 二人はまったく同じ事を考えていた。しかし、もしも「空気感染」の意味が理解できたなら、二人とも心穏やかではおられなかったであろう……。

「山田というのはそのほうか?」
鷲塚は昌興からかなり離れた場所で正座していた。彼らの時代とは無関係。当然マナーも違う。郷に入っては郷に従えとはいうものの、すべてを理解することが不可能な以上、最初から彼らのやり方には合わせない、つまり平伏する必要はないとの判断である。しかし、正直、正座すらも鷲塚にとってはすでに前時代的であった……。
とにかく、「うつされたくない」。未来へ帰れば、それこそ「治るっちゃ」なんぞという聞いたこともない薬を買わずとも、病院に駆け込めば問題ない。しかし、マスコミに囲まれている彼が、このような病を千五百年前から持ち帰ったとなれば……。
「まずは名前を名乗らぬか? 千五百年も過ぎると、礼節も失われたか」
「いいえ」
鷲塚はおもむろに切り出した。千寿との関係はあと三月。一人くらい、彼の本名を覚えてくれていてもいい。
「私は鷲塚昭彦というタイムマシン技師です」
「では山田というのは?」
「申し訳ありませんが偽名です」
昌興は暫くの間、上から下まで鷲塚を観察するかのように見遣っていた。鷲塚のほうも、おっかなびっくりの中、昌興に「治るっちゃ」が効きそうかどうか、こっそり観察する。「飲んでも害がなく、ドラッグストアで適当に買える」と分かったので、ハードルがかなり下がったからだ。
「弟になにやら知らぬ『妖術』を授け、大内家を潰す計画を焚き付けたのはすべてそのほうの企みか?」
企み、などと言われても……。そもそも、鷲塚は単に商売のためにここへ来たのであって、彼がヘンテコな殿様のところで、酷い目に遭っていると分からなかったら、ここまでの騒ぎにはなっていない。鷲塚は適当なお宝をもって帰国。苦労して何度も同じ場所に辿り着くこともなかっただろう。
しかし相手は「殿様」。きちんと申し開きをしなくては、時代が時代だけに、首狩り族のようなことをされてしまうかもしれない。鷲塚はちらと昌興を見遣る。千寿の兄は義理堅くて実直な人物。この場合、何もかも正直に包み隠さず話す以外に方法はないだろう。そもそも、この無言の威圧感。ここでぺらぺらと心にもないことが言える千寿の次兄も相当なものだ。
「話が長くなりますが、すべてお話しします。ただ、最初にお断りしておきたいのですが、私には『企み』などというものは最初から何もありませんでした。ただ、ひたすらに、千寿君の力になりたかった、それだけです」
かくして、鷲塚の、長い長い物語が始まった。

とてつもなく長い時間が過ぎて、やっと鷲塚が出てきた。一同は、なにゆえにこのような南蛮人が特別に多くの時間を割いてもらえたのか、と苦々しく思う。一人、毛利元就だけは、彼言う所の「優しい呪術」について、昌興が南蛮人からなんらかの説明を受けていたのだろう、と考えた。
「千寿君。私との個人レッスンを覚えているか? いよいよ『天下への道』が始まったのだよ。君の兄さんはすでに、すべてを知っている。その上でゴーサインをだしてくれた。ここにいる諸君、皆も力を合わせてくれ。戦いのない世の中のために」