第九十七話:天下人への道

「お前たち、入るがよい」
相良と徳山隆幸とが、収まりがつかなくなっている一同の元にやってきた。
「えええ、毛利家のもの、それから、陶殿」
相良はそこまで言ってから、鷲塚に気がついた。
「山田殿までここに? ええ、それに……敷山家の女武者、い、いえ、ご当主の妹君まで。殿に呼ばれたのはその……」
「我ら一同、まとめてお目通り願えませんかな?」
元就にまとめられて、相良はとんでもなくやりにくいものを感じ、責任を転嫁することに決めた。
「毛利様のお言葉に従い、皆々様共に参りますぞ」
鷲塚は千寿の長持ちをその場に残してはおけないと感じたが、言い出しにくい。そこで、相良の耳元で囁いた。
「あの箱だが……」
「おおお、何やら見覚えが」
相良は千寿が城井谷であのような長持ちを大切に運んでいたことを思い出した。
「あれは殿様、というか将来の殿様が命より大切にしているものだ。もしも、よからぬ考えを抱いた者に持ち去られたら困るのだが……。無事に守り抜いてくれたならば、金銀財宝は取り放題かと」
相良は「お任せを」と答えた。鷲塚はなおも信用できなかったから、一同がこちらに背を向けたところで、吉田の発信器だけはこっそり取り出して革鞄に収めた。

一同が昌興の部屋に着いたとき、入り口では有川昌典と徳山直幸とが揉めていた。
「何の騒ぎですかな?」
徳山隆幸に腕を掴まれた昌典は、なにゆえこのような「戦馬鹿の家来」にまで無礼を働かれるのかと怒りを爆発させた。
「そなたの息子がこの私に無礼を働いているのだ、見て分らぬか?」
「なんと。まさか、昌典様に無礼を働くなど、滅相もないことです。せがれは馬鹿者ですが、殿のご一門に無礼を働けば死罪、ということくらいは分っているはずと思っておりました」
「ならば死罪にせよ」
昌典が忌々しそうに吐き捨てる。
「して、愚息はどのようなご無礼を?」
「兄上の様子を見に来た私を中にいれぬと。昨夜からずっと、医者までも中に入れないでいる。兄上にもしものことがあったら、そのほうの責任だ。何なのだ、大勢で押しかけて。ここへは誰も入れない。戻れ」
昌典は毛利元就や陶隆房がそこにいるのを見て、千寿はとうに中にいる、と踏んだ。あれだけ網の目を張っていたいうのに、どうやって紛れ込んだのだ? 奈津の話から、「家来の格好」をしていたことまでは分っている。だが、八歳の娘にも見抜けたことを、彼の配下は誰一人見抜けなかったのだ。
「全員中に入れ」
中から昌興の声が聞こえた。「全員」つまり、昌典も含まれるわけだ。しかし、これだけ大勢の「千寿の一派」と共に入ったら、己の有利に話が進むはずはない。昌典はあらためて一同を見渡し、怪しげな装束の鷲塚を見てぎょっとした。彼は「南蛮人」を見るのが初めてだったのである。さらに、何やら大内辰子そっくりの女まで。あの身分卑しい弟の交友関係、いったいこれだけの連中をどうやって「支配下」に入れたのか。
「どうぞお先に」
毛利元就に促され、昌典はムッとした表情のまま中に入る。
「兄上……」
昌典がまたしても空涙をやろうとしたとき、千寿はすでに流す涙も涸れ果て、泣きはらして真っ赤になった目で兄を睨みつけた。
「隆房様は敷山城を敷山家に穏便に引き渡すつもりだった。それなのに、兄上は隆房様が『反抗的な態度を取った』などと嘘の報告を。毛利家が周辺の城主たちを焚きつけているようなインチキ文書をばらまき、また、昌興兄上が毛利家を邪魔物だと考えているかのようなニセ手紙まで作った。そんな子ども騙しが、通じると思うの!?」
「な、なに!?」
これだけ大勢の見物人がいる席で、千寿が敢えて「家の恥」をバラす。毛利一同、敷山多江、鷲塚それぞれ押し黙っている中で、一人隆房が叫んだ。
「なに? あれは、昌興様が強引に配下の城を接収したのではなかったのか?」
「陶殿」
元就に耳元で何か囁かれ、隆房は口を噤んだ。千寿は思わずクスッと笑ってしまい、大慌てで口元に手をあてる。
「やめぬか。皆、よく来てくれた。待っていた」
千寿に支えられて、昌興が起き上がる。見回す中に、見知らぬ南蛮人・鷲塚とあの敷山多江までが混じっていたから、さすがの昌興も驚いたようだったが、そこは当主としての威厳がある。
(おおお、これこそが、『殿様かくあるべし』『これぞご当主様』だ)
これまでヘンテコすぎる連中ばかり見てきた鷲塚が、この時代で初めて目にした「それらしい」人物だった。
「おおよその話は千寿から聞いている。これより順に各々の言い分を聞きお答え申し上げるが、その前に、貴公ら全員の前ではっきりさせておくことがある」
「お待ちください」
昌典はブレーン・三枝道憲が役に立たなくとも、舅の杉興運なら「重臣」としての発言権くらいあるのにと思った。ここで、跡継は千寿に、などと言われたら「遺言書」が既成事実となってしまう。
「これらの面々はいったい何なのです? せいぜい支配下となる従属国の者ども。この緊急事態に、兄上の一言一句がどれほど大切か。ことはお家の将来を左右するのですぞ。少なくとも、重臣たちや担当の奉行人たちをお呼びください」
「無礼ではありませぬか。わたくしは、『支配下の従属国の者ども』とやらになったつもりはないが」
そう言ったのは多江である。
「でしたら、『無関係な他家の者』ですので、ご退出を」
「何ですって?」
昌興が咳き込んだから、多江は押し黙って悩ましい視線を向けた。
鷲塚は、おおお、まさにあれらの時代劇で、心労が祟って病んでしまった者そっくりではないか。ここらで、ゴホッとなったら恐らく吐血シーンだ……などと不謹慎ながら丁寧に観察する。
「分っている。正式にはしかるべき者たちを招いて皆に伝える。だが、わしにそれだけの時間が残されているかどうかすら分らぬ。まずは貴公らに伝え置く。我が意向は当主の意向。一門とはいえ、そなたが口を挟むことではない」
昌典は己の運命を呪った。いったいどこで間違ったのか。もっとも「当主」に相応しいこの身が置き去りにされるとは。
「この家のことは三男の昌春に託した。皆で彼を支えていって欲しい」
「兄上……」
千寿が仰々しくそのお言葉を頂戴する。
毛利元就がすかさず口を挟んだ。
「ははっ、お任せくださいませ。我ら一族力を合わせて昌春様をお支えし、お家を盛り立てて参りまする」
ふふふ。一番槍はいただいたぞ。してやったり、と陶隆房を振り返った元就は、ぼんやりしたその顔を見て己まで気が抜けてしまいそうになった。
(何なのだ、この男は……? 髙祖なにがし言うところの『史実通り』に、わしが博打尾から駆け下りるべきだった……いや、このような腑抜けを倒したところで、『正史』に名を残すこともなかろうて)
隆房は、「昌春」というのが何者なのか分らず考え込んでいたのである。なぜなら、隆房にとって、千寿は永遠に千寿だからだ。じつは、この辺り、鷲塚や元就の息子らにもよく理解できておらず、入り口で見かけた嫌らしい男=昌春と思った。ゆえに、千寿がなにゆえ跪いているのか、彼らには謎だった。