第九十七話:天下人への道

「何なのよ!!」
中途半端なまま放置された敷山多江はさらに癇癪玉を破裂させた。人を足蹴にすることは愛する昌興が許さないと思ったから、地団駄踏んで叫ぶ。
「昌興様は大量に血を吐いて今にもお命が亡くなるかもしれないというのに、お前たちはよくもこのようなくだらぬことをあれこれと」
「申し訳ない。ご無礼をいたしました」
元就は息子二人を招き寄せて多江から引きはがした。多江の怒りはおさまらなかったが、鷲塚は何となく、多江の話に引き寄せられた。
「たしか、あなたは最初、その、千寿君の兄上というのは心労が祟ってその病を得た、とか……」
「そうよ。お前たちのような馬鹿者ばかりを相手にして疲れ果ててしまわれたのだ。私はあの方のためにこの身体中の血を差し出してもいいくらい」
多江は直幸の治療の際、戸次の血液が使われたことを聞き知っていたのだろう。
鷲塚は有難いことに、これまでさしたる病に冒されたこともない健康そのものの男。ゆえに、医療関係の知識とは無縁だ。だいたい、彼らの時代、人類はすでに生まれた時から遺伝子情報などを事細かく分析し、将来発病しうる可能性をほぼ事前に予測できる。むろん、誤診もゼロではないし、予防策が空振りとなることも。さもなくば、医療そのものがすでに存在しないはず。当然、医学の進歩も我々の時代とは比較にならないので、いわゆる「不治の病」などないに等しい。
ところが、それでもなお、先進国とそうでない国との格差は存在する。ビジネスの関係上、それらの医療先進国からやや遅れた地域を訪問した際、とたんに国内ではおよそ撲滅されたと言ってもいいような病原体を拾って来てしまう者があった。こうなるとたいへんで、医療機関は俄然大忙しとなる。
まあたいていは、ドラッグストアで誰でも買えるような安価な薬が出回っていて、もちろん、インチキなどではなく国から承認されていたから、たいていはそこらで事足りた。
心労が祟って精神を病む、というケースだけは今も昔も防ぎようがないので、これらに対しては今も前時代的なカウンセリングが大流行であった。大国の主として、日々奔走する千寿の兄が、疲れ果てて心を病んでしまうということはいかにもありそうだ。しかし、鷲塚が興味を抱いたのは、彼が吐血した、というところだった。むろん、吐血する理由も様々なので部外者の鷲塚が勝手に判断することは非常に危険である。ただ、忘れたころにたまにリバイバルされる時代劇(忘れてはならない。明治大正昭和平成、我々の令和すら、どれも彼にとっては『時代劇』だ)で、青白い顔で病弱な文学青年から、幕末の志士、より古い時代を取り扱う創作時代物のヒロインまで、長患いの後儚く世を去る彼らが、ゴボっと血を吐いて周囲の涙を誘うシーンを鷲塚はいやというほど見ている。
確かあれらのほとんどは肺病やみ、おそらく結核とかいう病気ではなかったろうか? 後には特効薬の発明で、助かる病となったが、それらの「時代物」の頃には、不治の病だった。ゆえに、お涙頂戴アイテムとして、度々目にするのだ。
「かの高杉晋作なども肺病、つまり結核で若くして世を去っのだったな……」
医療も歴史も分からない鷲塚だが、以前下関市に出張した際、明治維新マニアだとういう取引先の社長から聞かされた。恐らくはここにいる彼らにとって地元の人物となるから、代表して一人名前を挙げたにすぎない。
「む? たかすぎしんさくとやらも、つまり昌興様と同じ病だったと言うことですな」
毛利元就に尋ねられた鷲塚は仰け反った。
「わ、私に歴史を尋ねないで欲しいのだが、恐らくは、あなたの、いや、あなたの何代も後の子孫の家来かと……そ、その……」
「我らに未来の書物とやらの中身を語らないでいただきたい」
元就は何やら不満があるらしく、一言鷲塚に釘を刺して置いてから、
「人物についてはどうでもよろしい。貴公らの時代にまでその名が伝わっているということは、かなりの偉人であると見ゆるが、我らが死んだ後のことなど聞いてもわかるはずがないわ。それよりも、知りたいのは病のこと。怪我人を治すそのなんですか、ろ……」
「ロボットです、父上」
元就は三男を背後に押しやった。
「その、病を治すそれはないのですかな? あるいは、恐らく薬湯なども、我らの時代よりは遙かに進んでおるかと」
それはそうだ。しかし、中世で吐血ときいたら多分あれ、などと思って適当に口走ってしまっただけであり、歴史同様、医療の話を振られたら困る。歴史なら間違えても馬鹿にされるだけでおしまいだが、医療となれば命にかかわるからだ。
恐らく、昌興をマシンで未来に連れて行き、そこで医者に診せれば、なんであれ、たいてい根治するものと思われる。しかし、それは無理なのだから、鷲塚が薬を手に入れ、それをこの時代に届ける、となる。ただ、ドラッグストアで手に入る薬で彼を治せるかどうかは疑問。万が一、結核などではなく、それこそ内科的投薬治療や、外科手術が必要な種類のものだったら、力になれない。鷲塚がたぶんこうだった劇場のように昌興の病を決めてしまっていいはずがないのだ。
二人のやりとりを聞いていた多江が、我慢できずにつかつかと歩み寄ってきた。そして、いきなり鷲塚の手を掴むと、恋する女の目で必死に哀願する。
「このままだとあの方は助からないそうよ。どうせ助からないのなら、南蛮の邪術でもなんでも、できることはやって頂戴。責任は私がとる」
責任は私がとる、などと言われても、医師免許も薬剤師免許もない鷲塚にいい加減なことをさせるのは「違法行為」をやれ、と脅迫しているのに等しい。逮捕されたらどうしてくれる? 余計なことを言ってしまい、さらに、毛利元就のような知りたがり屋の年寄りにつかまってしまったせいでこんなことに。生命にかかわることだ。医師でもない鷲塚が、適当な判断をくだしてよいはずがない。