第九十六話:優しい邪術

あと三月……三月過ぎたら、もう千寿とは二度と会えなくなる、そう考えると鷲塚は悲しみで胸が圧し潰されそうになった。綾香との共用スペースに入ると、既に、彼が電話する声から何かを感じ取っていたらしい彼女もそこに来ていた。
メールの着信音がして、鷲塚は機械的にそれを開封する。吉田から送られてきた「日程表」だった。あのオフィスを使えるのがいつまで、消去して欲しいデータはどれ、それから、吉田にしか分からないパスワードに対するヒントなどなど事務的事項の羅列だ。鷲塚はスマートフォンを放り投げた。綾香はそれを拾い、自らも中身に目を通してから、電源を落とす。
二人は並んでソファに腰かけ、お互いに暫し無言であった。先に口を開いたのは鷲塚のほうだった。
「あと三か月で彼らとの関係をすべて清算しろ、と言われても困る。三か月、三月、九十日、あまりにも短いではないか」
「そうね」
綾香は優しく言った。
「でも……いずれ別れは来る、あなたはもう、決心していたのでしょ?」
それはそうだが。しかし、たった三か月では彼らが天下を統一し、歴史を塗り替えるすべてを見届けることなど無理ではないか。
綾香は綾香で、たった三か月で、あの小説を最後まで書き上げることは無理だ、と考えていた。鷲塚が過去に行けなくなった時、千寿との思い出を彼女の作品の中で味わってほしい。でも、三月で超大作などとても無理である。綾香には本業もあるのだし。
「何事も、いいほうに考えるべきよ。こんなことでもなかったら、あなたは永遠にあの子と離れられなかったかもしれないもの。それはあの子のためにもならないでしょ?」
ごめんなさい、昭彦さん。私、心にもないことを言っている。綾香はそっと溢れ出る涙を拭った。鷲塚はもちろん、気付いていなかった。
「吉田さんが見付かってよかったわ。それに……例のあっちの世界の『悪者』だった彼。あの人にも落ち着き先が見つかったみたい」
鷲塚には綾香の言葉の意味が分からなかったが、その時はただ聞き流すしかなかった。吉田のメールの末尾には、金儲け以外頭にないはずの男が、言葉少なに告白した大切な「心の声」が数行あったのに、鷲塚はまだそれに、気付いていなかったのだ。

鷲塚の元に国際宅配便が届いたのはその翌日のことだった。中身は吉田の事務所入り口のカードキーである。それを受け取った鷲塚は、すぐさま地下通路を使い、吉田のオフィスに直行した。れいのパートナーはすでに追い出されたのか、中には誰ひとりいなかった。
鷲塚は大慌てでマシンに乗り込む。別にそこまで急ぐ必要も、毎日出かける必要も、当然、三月の間あちらに住み込むことも、どれも現実的ではない。しかし、とにかく今は、まずはこの「一切無料、使い放題」を飽きるほど使うしかない。
その時、鷲塚はマシンの副操縦席に、ゲーム機が一つ置いてあることに気が付いた。
(これは……)
まさか、吉田はなおも怪しげなコピーを作っていたというのか? 鷲塚は不安になった。あの吉田のことだ。最後の電話はさすがにまともな内容であったと信じたい。しかし、あれらの彼に会えずにいた期間、吉田がタイムトリップをして、どこで何をしていたのか、鷲塚には分からないのだ。万が一、またしても、あの高祖とかいう男を使い悪さをしていたとしたら……。
考えるより行動だ。鷲塚はとにかく先を急いだ。タッチパネル上に赤く点滅するのは千寿の発信器。ここを目指せば彼に会える。

いつも通り、僅かに一瞬で、彼は未来から過去へと時空を移動していた。
れいによって、千寿が、山田が来たーーと飛び出してくると思い、鷲塚はにこやかに過去の地に降り立った。
ところが……。
「げ、なんだ、お前?」
そこにいたのは、例のパイレーツだった。
「ん? 君は確か……」
さらに驚いたのは、その場所には、陶隆房、毛利元就、元就の息子、敷山多江……と知った顔および知らない顔が複数いたこと。隆房以外、全員が何とも言えない表情で固まっていた。
「そ、その……と、取り込み中のようだが……せ、千寿君は?」
「お前が、未来から来た南蛮人か?」
何やら千寿によく似た「雰囲気」の子どもが鷲塚に纏わりついて来た。
「誰だ?」
こうなると、唯一話が通じるのは隆房だけなので、もはや気が合わないとかそんなことは二の次だった。
「ええと、なぜ、私はここに?」
「千寿の長持ちがここにあるからだろう」
隆房が顎で示した先に、確かに長持ちがあった。つまり、この中に発信器が入っている、ということだろう。しかし、肝心の千寿がいない。
「おぬしからはあまり禍々しい雰囲気というものが感じ取れない。つまりは、千寿殿の『師匠』という『善良な』ほうの南蛮人ですかな?」
どこかで見たことがあるような老人が言った。
「善良なほうの、南蛮人、とは?……それに、あなたは?」
「おお、これはすまぬ。毛利元就、と言えば、分かりますかな? その、未来の書物というのが、どのように書かれているのか、もうわしには何もかも分かりませんでして。つまり、わしが言いたいのはですな、その……なんですか、南蛮の『邪術』にも区別があるような気がしておりまして。上手く言えませんが、そうですな、世のため人のために使う、『心優しい邪術』と、己の立身出世のためだけに用いる『身勝手な邪術』というような……」
毛利元就は、彼なりに考えたいわゆる「妖術使い」どもについての「学説」のようなもの(?)を披露しており、それは鷲塚に歓迎してもらえると期待したのだが、その辺の苦労は、この未来の男の耳には全く入っていなかった。
「も、毛利元就!?」
鷲塚は絶句した。どういうわけで、千寿があれほと憎んでいた人物がここにいるのだろうか? まさか、千寿はこの年寄りを成敗しようとして、逆に……? いや、それならば、この陶という男が平然とここにいることが説明できない。
「話せば長くなるが、ここにいるのは皆、『味方』だ」
隆房は鷲塚が毛利家にまでゲーム機の秘密やらなにやらべらべらとやりだしたら困るので、簡潔に説明した。
「千寿は今山口城に潜入したところだ。兄の昌興様が重病で、今にも命が尽きかけているとか。しかも、もう一人の兄がその跡目を狙っているから、昌興様に無事会えるかどうかすら分からぬのだ」
「何? 『潜入』? 君たちは、そんな危険なところに、彼一人を行かせたというのか?」
「時と場合によってだが、大勢より少人数のほうがよい。当然、信頼おける者が千寿殿を守っている。一人しか入れぬのなら、一番必要な者が入る、当然のことだ」
毛利元就に解説され、鷲塚は何も言えなくなった……。つまりは、ここで待っているしかないのだ。