第九十六話:優しい邪術

鷲塚はジョニー・吉田の行方を探していた。と言っても、彼と木下綾香にはマスコミの目があったから、大掛かりな捜索などできない。ホテルの中から知り合いに電話をかける、ネット上で行方不明者情報のサイトを調べる、匿名でクラウドサービスに申し込む、などといった初歩的なことくらいだ。しかし、当然ながら、そんなことで結果が得られるはずはなかった。
「もしかしたらだけど、別の星系に行っていたりして」
綾香がそんな冗談を言った。
「まさか……」
鷲塚はそう応じたが、あり得ない話ではなかった。彼はタイムマシンの会社にいたので、タイムマシンならば違法操縦できるが、他の星系に行くためには、それこそ目玉が飛び出るほどの旅費が必要。かつて、大金持ちにはタイムマシンでの旅が許されていた時代同様、お金さえあれば出来る事ではある。だが、鷲塚にも、木下綾香にすらもとうてい不可能な金額だった。もしも、彼の職業が、タイムマシン技師ではなくて、「宇宙船パイロット」だったなら、多少は抜け道がありそうだが、行先が税関も出入国検査もない過去の時代だから今のような「違法」トリップが可能なのであって、きちんとした文明国家として存在している「他国」へ行く場合にはきちんとした手続きが必要となる。宇宙船パイロットだから、別の星系に飛べる技術があり、同僚の目を盗んで宇宙船を勝手に拝借してみたところで、すぐさま「無許可操縦の船」として手配網に引っかかってしまうだろう。
本当に吉田がそのような別の星系にいる、と仮定して、もしそうならば、彼らはもう、永遠に会うことができないかもしれない。あの会社、あのマシンはどうなるのだろうか?
「嘘、嫌だ」
綾香はそう言って鷲塚の肩を叩いたあと、笑い出した。
「冗談よ。あり得ないわよ」
「そうだよな」
確かに、遥か彼方の星系に紛れ込めば、それこそ地球上で彼がどれほど恐ろしい罪を犯していたとしても永久に捕まらない。その意味ではこれほど安全な「逃げ場所」はないし、実際、そのようなお尋ね者だらけの星も存在すると聞いたことがある。しかし、お金がなくて金策に走っているような男に、他の星系への旅などできるはずがなかった。

綾香がそんな冗談を言ってから数日過ぎたある日。
まだ朝早いうちから、ガンガンなるスマートフォンの音に、鷲塚は目を覚まし、腹が立つので電源を切ろうとすると、テレビ電話機能の画面に、ジョニー・吉田の顔が映っていた。
――おい、切るんじゃないぞ
今回ばかりは、「切れ」と言われても切る鷲塚ではない。これまではいちいち解除していたテレビ電話機能もそのままだ。
こちらはまだ夜明け前なのに、吉田の背景は真昼間。地球の裏側にでもいるのだろうか。
「……探していたのだよ。無事だったのか!!」
鷲塚が興奮する様を見て、吉田は例によって人を小馬鹿にしたような顔になった。
――「無事だったのか」ってどういう意味だ? 俺がサツにつかまったとか、痴情のもつれであの世行きとか、そういうアホな想像してたか? 馬ーー鹿。
馬鹿と言われようが、アホと言われようが、とにかく今は吉田の居場所をつきとめ、連絡方法を確立することだ。
「あれから何度か君のオフィスに行ったが、常に留守だった。どうやらタイムトリップもしていたようだが……いったい、どこへ? 君のその、パートナーの話だと、金に困っているとか……」
――あの野郎、ぶっ殺してやる。
吉田は忌々しそうに言った。
「とにかく、その、電話ではなんだから、一度どこかで会えないだろうか? 詳しい話を聞きたい」
鷲塚の願い出は、即座に却下された。
――悪いが金輪際、あんたとも、タイムマシンとも関わりたくないんでね。
鷲塚が嫌われているのは分かるが、タイムマシンとも関わりたくないとは? 問い返そうとしたその時、狭苦しいテレビ電話画像の中に、第三の人物が映り込んできた。それが、全身緑色の皮膚をした、21世紀に流行したというSF映画なるものでしかお目にかかれない「姿かたち」をしていたため、鷲塚はその場で卒倒しそうになった。
――Hi💖
その「緑色」は鷲塚に向かい、投げキッスをしてきた。
「……」
――おい、狭いんだから。引っ込んでろよ。
吉田に言われて、「それ」がまた画面から消える。
――見ての通りだ。
見ての通りと言われても、鷲塚には「それ」が一体なんだったのか、まったく分からなかった。
――相変わらず鈍いな、あんたも。今俺は、「彼女」と新しい生活を準備しているところだ。
「か、彼女!?」
あれは「女性」だったのか。いや、鷲塚が驚いたのは、同性婚の吉田が女性と付き合っている、と聞かされたからではない。もうそんなことは記憶の彼方だ。その、恐らくは「エイリアン」つまり異星人は、鷲塚から見たら雌雄、いや、性別も判断しかねるほど、別世界のもの、いや、人だったからである。
――そういうこと。時代は今や宇宙単位よ。タイムマシンなんぞ過去のもんだ。だいたい、過去にしか行けなかっただろ?
ほんのわずかだが、鷲塚は吉田の話を理解する糸口を見つけたようだ。
「つまりその、君はか、『彼女』と共に、今後は他の星系で暮らす、そういうことなのか?」
――あんたにしては飲み込み早いじゃねぇの。そうそう。そういうこと。
「では、金策に走っていたとかいう噂は? それに……あの会社、それからマシン、それに……あの、れいの元のその……」
吉田は鷲塚がパートナーと言う前に彼の話を遮った。
――冗談じゃねぇよ。見ての通り、彼女の実家は大富豪だ。でなきゃ、ここに旅行しに来てるわけないだろ? で、俺と一緒になるにあたり、俺の出国手続きも、旅費も、全部舅がやってくれる、と言ったんだが。ま、手続きは頼むとして……旅費くらいは自分で工面しないと男がすたるとか思った訳よ。
それで金策に……。鷲塚は納得できたようなできないような……。
「それで、工面できたのか?」
――なわけないだろ。わずかに数パーセントだけで力尽きた。
吉田にしては珍しくあっさり負けを認めていたが、さすがの彼にもどうにもならないほど、たの星系への道は高額なのだ。しかし、それを工面できる「彼女」の実家というのも凄まじい大富豪だ……。
――で、あんたが俺の留守中に、勝手にマシンを使ったことは全部知ってる。
鷲塚はぎょっとした。まさか、ここで多額の請求書が……。
「す、すまない。その、それは、その、れいの……」
パートナーから、と言おうとして鷲塚はまた吉田に割り込まれた。
――あんたとも色々あった。で、餞別だと思ってチャラにしてやるよ。だが、そのかわり、いくつか頼まれて欲しい。どれもこれも、俺にとってヒジョーに大切なことであるばかりか、あんたにもかかわってくる大ごとだ。
鷲塚は覚悟した。吉田の頼みはどうせ「カネ絡み」。しかし、確かに彼のマシンを借りているし、そこは借金してでもなんとかせねば。
――安心しろ。金じゃない。
吉田はまるで木下綾香のように、鷲塚の心の中を読み取った。
――わかるだろうが、俺に万が一のことがあれば、途端にヤバくなる連中はあんた以外にも数え切れない。そこらは俺も十分に脅しをかけておいた。だが、俺がそっちへ移ってから、つまり今のあの会社だが、そこでのあれこれにはマシンはほとんど関係ない。使ったのはあんたと俺だけだからだ。あんたから漏れなければ両方とも無事だ。
「もちろん、私は口外しない。するはずがないではないか」
――そいつはわかってる。だが、あの野郎については知らん。
ジェームスのことだ。吉田に見捨てられたらどうなるか……。捨て鉢になってとんでもないことをしでかすかもしれない。
――本来ならば、正統な手続きを踏めば、あいつとの関係は完全に断ち切れる。だが、それをやっていて、とんでもないことがバレたら困る。それで、金で解決した。そう、「円満に」な。だがあの野郎のことだ。金がなくなったら、また何をしでかすか分からない。あんたは、あいつがそういうことをしていた「証拠」を持っている。だから、それをネタにそのたびにあいつを脅してくれ。
そんな。この先長い将来、ずっとあのような男を監視させられるなど、あんまりではないか……。
――おい、何を誤解している? 心配するな。あんたは連邦マイノリティー相談所から呼び出されたら出頭してあの写真を見せるだけだ。つまり、永久的にあの写真をもっていてくれればそれでいい。不実な行為を働くことは重罪だからな。あやつはそこを突かれたら人生おしまい、バイバイまたね、ってことだ。
海外の法律がどうなっているのか鷲塚には分からないが、吉田が周到に処理したのだから、抜かりないだろう。それに、あの雰囲気だと、確かに吉田のカネをあてにしてはいたものの、面倒な法律手続きを踏んで吉田を訴えるような知識も勇気もなさそうだ。どこかに新しい金づるを見つけたら、吉田のことなど忘れ去るだろう。
――それから、ここから先のほうが、ずっと大切なんだが……
吉田は声を潜める。通話で声を潜めたところで意味はないのだが、彼の背後に誰かいたりしたら困るのだろう。
――俺はもう、あの会社をたたむ。弁護士に頼んであるから、期日が来たらすべて終わり。だが、あんたのことも考え、俺にもこの星との今生の別れってのに、多少は時間をとりたかったから、猶予は三月だ。
「三月……」
鷲塚はオウム返しに繰り返した。
――そ。つまり、その三月の間、あんたには俺の最高傑作であるマシンを使い放題、一切無料。
「つ、使い放題、一切無料!?」
――おいおい、いかに使い放題だろうとも、燃料費だのそこらは自前だ。
「あ、ああ、それはもちろん」
――今あんたは最高にラッキーだと思ってる。だがな、忘れるなよ。その三月が終わったら、その先は、もう千年だか万年だか昔のガキとの友情はすっかり忘れろ、ということだ。
「……」
――で、三月たって、弁護士が入る前に、あんたはマシンを跡形なく破壊し、パソコンの中身も含めてその痕跡をすべて消して欲しい。要は、あそこが、登記されているとおりの、ただのIT関連企業だったことにして欲しいってこった。OK?
千寿と会えるのはあと三月だけ……。鷲塚はその言葉を反復し、肝心な吉田の言葉が耳に入らなかった。
――おい、大丈夫か? あんたがヘマしたら、俺はとにかく、あんたの人生は目茶苦茶だ。自分はよくても、美人のフィアンセのことを考えろよ。ま、これ以上話しても意味なさそうだから、これで切るぜ。後は詳細をメールする。あばよ。
そこで電話は一方的に切れてしまった。