第九十六話:優しい邪術

昌興が倒れて以来、城内のすべては昌典一派に取り仕切られることになった。
「一派」と言っても単に、昌典いうところの「戦馬鹿」な連中は昌興を崇拝し、「戦馬鹿」を軽蔑する文知派が昌典についている、という色分け。これが、有川家譜代の家臣ら内部の「派閥」で、後から家来となった他家から来た者たちについては、文武の色分けに従う者もいれば、昌興、昌典両者との人間関係、人柄の良し悪しに対する自らの好みなどで色々だった。それに、兄弟間の争いに巻き込まれたくないからと、距離をとっていた者も多数いた。
現状、三枝道憲を筆頭にした元々の「昌典派」と、妻の実家である杉家に連なる者たちがその中心。同じ元・大内家の者でも、内藤家などは距離を置いていたし、直接の家臣ではなくとも、毛利家や、隆房配下の弘中のような者は昌興を慕っていた。「距離を置いている者」をどれだけ仲間に引き入れることができるか、がカギとなるのだが、そのような連中と言うのは、事なかれ主義なので、昌興の病状が本当にもう手遅れ、そして、昌典が後を継ぐことが確実となるまでは絶対に動かなかった。
九州における大内家の城がすべて有川家の旗印となる直前、昌典の舅・杉興運は一族郎党を引き連れて有川家に降った。彼らの地盤は元々九州であったが、大内家からの離反と同時に、日増しに強まる敷山家からの侵略も恐ろしく、婿とともに山口に逃れていた。城内はすべて昌興派という肩身の狭い中で、逼塞する日々だった。この度、ついに婿および、我らの血を引く孫娘の天下が間近とあり、一族は当主が重病だと言うのに毎晩祝宴を開いている始末。
この日はその宴席に、昌典も来ていた。
「義父上、ようやく我らの時代が来るのですな。私が兄と不仲であるゆえに、義父上にもあれこれと嫌な思いをさせてしまいましたが」
「なあに。すべてはこれからだ。亡き娘も喜ぶことでしょう。ついては、奈津に日ノ本一の良縁を考えてやらねばなりませんな」
娘の奈津は昌典の掌中の珠。今年やっと八歳だから、まだ夫婦のこともできそうにないが、「跡継ぎ」のことをきちんとしなくては周囲も納得しないだろうから、事は急ぐに越したことはない。
「どうせなら、いっそ何の力もないところから、婿を迎えたいのです。名門などから迎えてしまい、後々お家を乗っ取られるようなことになっては困りますので」
昌典は説明した。ここでいう「名門」は、「大勢力」と置き換えて理解したらいい。名門と言ったら大内家や、それこそ無理やりに杉だの内藤も入れることができるだろう。だが、彼らには「名義貸し」以上のことは何もできない。しかし、敷山家のようなどこの馬の骨かもわからぬような者は、あのような「大勢力」だから、婿である、という立場で実質上この家を併呑し、数代後にはすべてが「敷山家」に変わってしまうかもしれない。
「それはいかがなものかな」
舅の考えは昌典とは微妙に違っていた。
「例えば、大内家から婿を取ったとして、何の力もないのに、その血筋を振りかざし、それこそ数代後には元々我らが建てたこの『国』などなかったことにされてしまいはしないだろうか。同じ『名門』でも何の武力も持たない公家などから婿を取ることが唯一マシな方法ではないかとわしには思える。元より、大内家とてそもそもは、どこの馬の骨か分からん連中。その点では敷山家と変わらん。とどのつまり、『名門』といったらあれらの白塗りだけだ」
公家……。昌典の顔に浮かんだのは、大内家公家館にたむろしていたあれらの連中ではなく、腹心の三枝道憲だった。あの男、とっくに嫁をとってもいい年を過ぎていたのに、未だに独り者のはずだ。父の甥、昌興の従弟、そんな忘れていた系図が昌典の脳裏に浮かぶ。
(いや、だめだ。歳が離れすぎている)
だいたい、これまで「臣下」として扱っていた己と変わらぬ年頃の男がいきなり「婿殿」とその名を変えるなどあり得ぬことだ。
舅と婿が捕らぬ狸の皮算用にまで話を展開し始め、溢れ出る米蔵と金蔵を共同管理に、などと言っていたとき、奈津がやって来た。
「ちちうえ、おじうえが来たみたい」
無邪気な年頃の奈津が笑顔でそう言うのを聞き、昌典も興運も、そうかそうかと戯れかかった。が、昌典はもう少しで聞き逃すところであったその言葉に気付いて、娘に聞き返した。
「おじうえ、と言ったのか?」
「うん」
奈津は手にした鞠を大事そうに胸にあてた。千寿は以前、奈津に蹴鞠を教えてくれた師匠なのである。
(まさか。なぜあやつが……)
「どこで『おじうえ』を見たのだ?」
父に尋ねられた奈津は、包み隠さず素直に答えた。
「大おじうえのところ。おじうえはそこらの家来みたいな恰好をしてたの。だから、何で? って聞いたら、恥ずかしいからこれは二人だけの秘密だぞ、って。だから私、父上以外、誰にも話してない。……父上……じじ上様、父上はなぜ怒っているの?」
娘の話を最後まで聞かず、大慌てで出て行った父の姿をぼんやりと見送りながら、奈津は祖父に尋ねていた。
「怒ってなどおらん。ちと慌ててはいたが。ささ、こっちへ来て、このじじに、可愛い顔を見せておくれ」
祖父に優しく言われ、奈津は父のことも、「おじ」のことも忘れた。