第九十五話:臣従

山口城内。
有川昌興が倒れたという知らせは、現場に戦馬鹿・徳山隆幸が居合わせたせいで、あっと言う間に城内すべての者が知るところとなった。
当主が病に倒れたなどということは、時と場合によっては、外部の者に知られぬよう、内密にすべきである。しかし、世の中に、我が殿の快癒を祈願しない者などいるはずがない、と信じる隆幸のような男には、それを隠さなければならない理由など存在しない。大泣きして、そこら中に触れ回ったせいで、元々城内すべてに網を張り巡らせている昌典の一派は一瞬にしてこの大事を知ることになった。
「まさか、戦場ではなく城内で倒れるとは。それも病とな?」
昌典は兄の元に馳せ参じる前に、三枝道憲と共に茶を点てるという余裕ぶり。
「心労が祟ったのだとか。城内にはあれこれの噂がございまして。少し前までは、昌興様を悪く言う者などまったく見当たらなかったのですが、今となっては」
「おお、あれか? 『妖術使い』とか」
「ほかにもあれこれとございます。邪教を信じる輩、女人を遠ざけ妙な修行に励む輩、禍々しい呪術を操る輩……」
昌典が最後まで言わせず笑い転げた。
「もう良い、すべて私とそなたとで考えたものではないか。言わずともかまわぬ。しかし、人の『噂』というのも恐ろしいものよの。で、医者のほうはどうなっている?」
「言われるまでもなく。あの病はもう、治らぬそうです。恐らくは、昨日今日に始まったことではないと」
「ほお?」
医者を買収し、事細かに病状を聞き出した道憲の説明を聞き、昌典の目は輝いた。千寿がいない今、兄があの世へ旅立てば、跡継は昌典以外いない。
「昌典様にも、兄弟の『情』くらいあるのでは?」
「ない」
あまりにもキッパリという主に、道憲はむしろ、何かを隠しているのではと疑いを抱きたくなる。
「奥方様にはこれほど操をたてておられる情にあついお方なのに」
奥方への情、というのは昌興と塔子のあの話とはまた別。昌典も男鰥なのだ。それも、絶対に再婚しない。
「お分かりかと思いますが、殿にお世継ぎがなければ、やはり巡り巡って千寿様に……」
「馬鹿者。私には娘がある」
昌典は気分を害したのか、道憲が点てた茶に口をつけぬまま出て行ってしまった。
確かに娘がいれば、婿を取れる。しかし、やはり同姓の男児が継ぐのが「普通」だ。どうなっているのだ、この家は? 上二人は早死にした妻のせいで、ともに男児がなく、末の弟は元より女人と交わることもできない。
このまま行けば、肥大化したこの家が天下を取る日が来るかも知れない。そのときが来たら、公家に生まれながらも、京を目にしたことすらない道憲はようやく京の土を踏むことが出来る。その日を楽しみにこれまで生きてきた。
しかし、彼らのお家は跡継がいない。兄弟でたらい回しにしたところで、最後の一人の寿命が尽きたと同時におしまいだ。昌典の娘が婿を取り、その腹から男児が生まれたら、ようやく一門から跡継が出る。しかし、もしも、生まれてくるのがまた娘ばかりだったり、そもそも出産しなかったりしたら……。
あるいは、婿が側室を迎えその腹から生まれた男児しか用意できなかったなら、家名は残ったとしても、血統は途絶える。どこから来たのか分らない捏造された一族ゆえ、彼らには脈々と受け継がれた血筋がない。例えば、陶隆房とて、何代も遡れば、分家した大内家の一門となるから、ここに血縁がある。ほかのどの家でも、名門と呼ばれ、代々続いてきたならば、運悪く嫡流の血筋が途絶えることになっても、スペアパーツは大量に見付かる。「遠縁の者」を連れてくることもできないこの一族の謎に思い至った時、三枝道憲はなにやら肌寒いものを感じた。
しかし、どこの家にもある「派閥」。それはこの家にもちゃんとあって、彼は次男の派閥に属する。男しか愛せない末の弟か、娘しかいない次男か。家が真っ二つに割れることはなくなった。なぜなら、千寿は出て行き、ここにはいないからだ。昌興の死期が近いとなれば、これからは道憲も、相良武任並にこの家で大きな顔をすることができるようになる。
そんなことを考えながら、道憲は一人残された茶室で茶の香りを楽しむのだった。

「兄上、いったいなぜこのようなことに?」
昌典が兄の傍で空涙を振り絞っている様を見て、外に控える隆幸らはすでにぐしゃぐしゃになった顔にさらに涙の雨を降らせる。普段はいがみ合っていても、やはり兄と弟なのだ、などと当たり前すぎる台詞を口にしながら。
「馬鹿者。勝手に重病人扱いするな。そなたがこの有様では、城内で泣かない者などおらぬだろうな?」
兄の強烈な嫌味は弱々しい声だったから、部屋の外には聞こえなかった。昌典はますます大声を張り上げる。
「兄上は常に我ら出来損ないの弟や配下のために、心を砕かれ、ついにこのようなお姿に……兄上なしでは、この先、我らはどうすればよろしいので?」
「そんなにわしにくたばって欲しいのか?」
ふいに起き上がった昌興にはね飛ばされて、昌典はびっくりして泣き止んだ。顔にはもちろん、涙の跡すらない。
「千寿はどうしておる?」
この期に及んで、なおもあの飯炊き女が生んだ卑しい弟のことしか見えないのか? 昌典はムッとして、
「愚かな弟ならば、そろそろ宮島の海の藻屑となった頃では?」
「何?」
昌興に胸ぐらを掴まれて、昌典はぎょっとした。これまでに、このような無礼を働かれたことはいまだかつてない。
「お前が仕組んだことか?」
「え?」
鬼の形相となっている兄の顔に、昌典は顔面蒼白となる。
「兄上、何を仰せで? なにゆえ、私が『仕組んだ』などと。あやつは陶隆房とともに生きるのだと敷山家の府内から逃げ出して、若山に転がり込んだのでは?」
「そんなことは分っておるわ。毛利家と陶家を争わせ、千寿を死地に追い込もうとしたのはお前ではないか、と聞いている」
「な、なぜ私がそのようなことを? あやつらは共に我らから離反し、しかし、我らに対抗しうる力もないゆえ、共食いを始めたのではないですか。私とは無関係です」
「詮議せねば分らぬな」
昌興が常になくしつこいことに、昌典は不安を覚えた。
「お前は千寿を嫌っていた。隆房をもだ。共に嫌っていた。あの二人が消えて、もっとも喜ぶのはお前だろうが」
「それは、その、確かに我らの関係は親しかったとは言えませぬが……だからといって、『死地に追い込む』などと言いがかりをされても困りますな」
昌典はやっとのことで、鬼気迫る昌興を振り切って部屋を出た。徳山隆幸の大泣きのお陰で、部屋の中の物騒な会話は外に漏れてはいないようだった。
「兄上はかなりの重症だ。医者よりも坊主が要りようかも知れん」
混乱した昌典はとんでもないことを言ってしまったことに、まったく気付かなかった。徳山隆幸はそれを聞いて我が主との残された日々がわずかなのだと思い込み、さらに大泣きだ。
(何なのだ、この暑苦しい家は……)
昌典は逃げるようにしてその場を離れた。