第九十四話:麗しき悪魔

木下綾香は例の千年近く前の駄文をせっせと投稿し続けたが、読者からの反応はまったくなかった。運営会社は将来何らかの「ネタ」を提供できればもうかるとばかり、敢えて目に付く場所に作品名を表示したりしたから、最初のうちこそ僅かばかりのアクセスがあった。だが、それも、本当に最初のうちだけであって、ほとんどが直帰している現状に、運営はもう宣伝をやめてしまった。
そして、一月ほどたった頃、運営から連絡があった。綾香に「連載をやめて欲しい」と。理由は簡単で、特別に許可した複数アカウント状態をもう許可しない、というのだ。だから、アカウント削除に同意するならば作品は消えるし、どうしても続けたいのであれば、木下綾香のPN・宮下翠名義でやれ、という。宮下翠名義ならば読者がつくかもしれないが、今のままでは、「誰も読まないから」「スペースの無駄」だという。
綾香は広告収入という利益しか頭にない運営会社に腹が立った。一度は許可したことを後から拒絶するなどあんまりではないか。それに、宮下翠名義ならば読者がつくかも、とはどういうことか。読者は作品より、作者につく、それも、宮下翠が木下綾香という時の人だから、という面白半分の興味だけ。つまり、綾香の作品そのものが「上手に書けていて」「売れている」わけではないと。
唯一の救いは、それまでに投稿した部分はほぼ、原作通りで手を加えていないから、「面白くない」「下手である」というのが、不人気の理由だとしても、それは綾香のせいではないということだ。
(でもものすごく無礼だわ)
綾香は腹が立った。確かに他人の作品に手を入れることは難しい。最初は、ストーリーはそのままで、そのほかは綾香自身の言葉に直してしまおうと考えた。それならば、例のオリジナルな人物だけを借りて、作品は綾香のものとなる。著作権などもはや切れている作品、それも、未完結なわけだし、すべて綾香のものとしても全く問題ない。でも、そのまま写しただけだと、「盗作」だ。法律上もう、罪に問われないと言っても、やはり良心の呵責が。でも、無理だった。やはり、他人のストーリーを自らのものとして使うのは難しすぎた。
今の綾香ならば、鷲塚から、千五百年前の千寿のことを沢山聞かされて、自然に彼の姿、言動、感情、あれこれが浮かんでくるようになっていた。だから、今ならば、最初から全く別の綾香オリジナルなストーリーに変換できそうな気がする。そこには、鷲塚も、綾香自身も登場する。きっと楽しいものになりそうだ。
しかし、それだと、鷲塚昭彦の密売、その不法行為から得られたクレジットでホテルを買い戻した綾香、それに、鷲塚の元同僚吉田や、そのた諸々のタイムマシンに関わる人々が疑われてしまう。それは綾香の本意ではない。
(だけど、昭彦さんと千寿の話、絶対に記録として残しておきたい……)
綾香はそんな風に考える。千年経って、彼らがこの世から既に消滅してしまった時、もう、この素晴らしいストーリーを知ることができる人が誰もいないなんて。なんてもったいない。そう考えた綾香は、決して公開できない、彼らだけしか見ることができないものとして物語を書くことにした。世界にたった一冊だけ。二人だけのための本を。
(そうね、あなたもいたわね)
綾香は千寿の生みの親、柚木沙耶香なる人物を思い出した。本名も、性別も、年齢すらも分からない。ただ、千年近く前、確かに存在したその人を。
(大丈夫。私は必ずあなたの作品に『了』の字を入れて見せるわ)

何やら一人で怒ったり笑ったりしている綾香を見て、鷲塚が声をかける。
「また何か書いているのか? 『女社長とエンジニア』あれの続編か?」
「違うわよ」
綾香は投稿サイト運営に腹を立てたことは黙っていた。
「あの話はもう終わったの。今は別。私とあなただけの秘密の物語を書いているのよ」
「そう言えば……」
鷲塚はふいに思いついたように言った。
「まだ尋ねたことがなかったが、君はあの小説投稿サイトをまだやっているのか?」
「え?」
「本を出したのだから、あれは消すべきだと思っていた。あ、すまん。君のことだから、とうに消したな。利益を生むためには、一人でも多くの者にあの本を買わせないとダメだが、あそこにタダで読めるものがあるとしたら、誰もカネを払ってまで本を買わないじゃないか。人間というのはそもそもケチなものだからな」
何と言う事か。鷲塚に言われるまで、綾香はそのことに気付いていなかった。ただ、恥ずかしいのでそれには答えず、こっそり投稿サイトを開くと、「退会」ボタンを押した。
その指にはこれでもかというほどの恨みのオーラが籠っていた。
(売れないものを書いているスペースは『無駄』だなんて)
ここしばらくの間、宮下翠=木下綾香のおかげで、運営サイトはかなりの広告料をあげたはずだ。もっと早く気付くべきだったのに、あまりに忙しくて、この木下綾香ともあろう者が、むざむざと嫌らしい運営企業を儲けさせてしまうなど。
「もしかして……あなたが言いたいのは、私の書いた下手くそな本なんて、お金を出してまで買う人はいない、そういうこと?」
綾香に言われ、鷲塚は青くなった。だが、彼女にしては反応が遅かったではないか。
「君の心の中には、私よりも大切な『何か』があるな? だから、すぐにはこの嫌がらせに気付かなかった」
「何ですって? あなた以外の何かなんてあるはずがないわ。それに……嫌がらせって?」
二人はソファの上で戯れながら、共に相手を引っぱたいた。
「乱暴だなぁ、君は。私がいいたいのは、あの雲外門が、吉田にアイディアを盗まれて勝手に使われていたから、それがらみで、君のあの作品も、二か所にあって、その『タダ』サイトで済ませてしまう者の存在に思い至ったのだよ」
「何なの、その意味不明な言い訳」
綾香は笑いながら、しかし、吉田の名前を聞いて何やら不安そうな表情に変わっていった。
「連絡は取れたの?」
「いや……」
前回のタイムトリップでジェームスからマシンを借りた鷲塚。例の「不道徳」な現場撮影写真があるので、ジェームスは鷲塚に「ナイショネ」と言っていた。上手くすると、タダで借りれた可能性もある。だが、吉田の所在が長期にわたり不明であり、どこで何をしているかも分からない状態であることは鷲塚、それに、綾香にとっても非常に重大な問題であった。
なぜなら、万が一にも、吉田が何らかの罪状で逮捕されるようなことにでもなれば、鷲塚のことも明るみに出てしまうからだ。むろん、それだけにとどまらない。連座する者は数え切れないだろう。例の密売品販売の元締めから、過去に吉田とかかわったことがある教授たちまで。つまり、一蓮托生の彼らは、全力で吉田の危機を救わねばならない、ということになる。
鷲塚は最後にあった時、吉田と高祖帯刀が組んで千五百年前の時代で悪さをしていた、などと苦情を言った身なので、それこそ、真っ先に告発されてしまうだろう。そのことも含め、吉田にあって話を聞き、もし困っているのなら助けたかった。それに、吉田にもしものことがあれば、そもそも千寿たちに会いに行くことができなくなってしまう。
そんなこと、鷲塚にも綾香にも耐えられなかった。
「今は吉田さんを探すことが先決ね。私も多少は顔がきくから、力になれると思うし。あなたもでしょ?」
「私は君のように顔が広くはないが……。万が一、逮捕されるようなことになったら、君と二人で千五百年前に逃れるか? あそこならば、逮捕されなくて済む」
真面目な顔で言う鷲塚に、綾香は大笑い。
「あなた、あっちのシャワールームやお手洗いで、一週間がやっとだったんでしょ? それに、食べ物も酷いって。無理だわよ。私も嫌」
「そうだなぁ。たまに行くからパラダイスなんだろう、きっと」