第九十三話:血は水よりも……

有川昌興が妻の菩提寺へ向かった帰り道、密かに千寿の母への淡い思い出に浸っていたなどというロマンティックなシーン(いや、書き手の力量により、そうはなっておらぬが)は千寿たちとは無関係。こちらはこちらで着々と準備が進む。
人材不足の毛利家は、元就自身が厳島の「囮の城」に入り、いっぽう毛利隆元は山口で有川昌興から盟約延長のお墨付きをもらった。これで、心置きなく迷惑な男・髙祖帯刀の追い出しに専念できる。さらに都合良く、敷山家の敷山城が謎の大地震で崩壊。ここの戦馬鹿たちは九州に大勢力を持ちながらも、父祖伝来の地にこだわるあまり、暫し再起不能なほどの大ダメージとなって退場した。
人を動かすのは古来よりコネとカネである。いきなり降って湧いた髙祖帯刀は毛利家内部にコネもなく、ゲーム機を失って以来、カネもない。だから、「腹心」を育てる時間も、「忍び」を雇う余裕もなかった。千寿と元就とは、バレたらヤバい情報をかなりの分量やりとりする必要があったが、帯刀にはそれを傍受するネットワークができていないので、自身の知らぬところで、とんでもない経略が進んでいることをまったく知り得なかった。
吉川&小早川家に養子に入れず、ともに毛利姓の元春と隆景両名は、囮城から送られてきた父の密書を受け取った。
「村上武吉はじつは陶軍が先に手を回して仲間にしてしまったが、上辺は毛利家につく『ふり』をするのでそのつもりで。かたちだけ調略に迎えばよろしい。父上は囮城で一見陶軍にやられそうに見えるかも知れないが、絶対にやられないから心配するな。博打尾から奇襲をかけても無意味。尾根には伏兵が置いてある。そこで髙祖をとらえられそうになかったら無理するな。降りてきたところを捕まえる。今後のことはわからないが、少なくとも今回の宮島では『陶は味方である』。絶対に同士討ちをするな。……だってさ」
三男の要約を聞いた次男は、いちおう確認する。
「これは間違いなく、父上の直筆か? 俺には見ても分らんが、前回のようなニセモノだったらどうする? そもそもは父上の眼前の敵は陶だったろ?」
「あのニセモノは実に良く出来ていたから、ぱっと見分らない。父上本人が、『書いていない』と言ったからニセモノだと分った」
弟の種明かしを聞いた次男はこの野郎、と思った。だが、そうなると、この奇想天外な書状がホンモノかどうか分らない、ということになる。
「父上が城を出る時に言っていた言葉。それだけが頼りだよ。つまり、『髙祖の野郎を捕まえて有川昌興に突き出す』。この書状には、あの男を捕らえろ、と書いてあるから多分ホンモノだ」
「多分……」
「兄上は博打尾だから、取り敢えず無理はやめたら? 手柄を独り占めしようとして、逆にやられたら怖いし、これがニセモノだったら、もっと怖い」
なぜか、次男は山へ、三男は海へと、弟が勝手に仕切っている。
「おい、冗談じゃない。俺が村上へ調略に行く。あんな南蛮渡りのバケモノより、海賊のほうがマシだ。お前、ずるするなよ」
「調略というのは、頭脳戦だから、当然兄上のような猛将は奇襲担当だよね。鵯越~頑張ってください」
千寿二号みたいな毛利家の三男はさっさとまとめて、船に乗り込んでしまった。
「それじゃ、宮島でまたね~」
「くーーっ。なんで俺が先に島入るんだよ。全部が敵の罠だったらどうするんだよーー」
いや待て。もしも、書状がインチキならば、海賊砦に行った弟はその場で海賊にやられてしまうだろう。どっちにしろ、よく分らないので次男は髙祖帯刀が待つ桜尾城へ向かった。