第九十二話:骨肉相食む

敷山城の阿鼻叫喚地獄から、何とか帰国することができた相良武任は、地震のせいですべてが目茶苦茶となり、敷山家は出陣できなくなった、つまりは千寿と陶隆房もしばらくは大事ない、と復命した。
「しかしこれは……まことにもって奇怪なことにござりまするな。まるで申し合わせたかのような大地震。あの戦馬鹿……いえ、敷山隆邦は、吉凶を占って出陣するなどと悠長に構えておりましたのに、吉どころか、ぐずぐずしていたせいで大凶に……」
相良は昌興が心ここにあらず、であるのを見て押し黙った。
「暫く城をあける。その間のことを頼む」
「ええええ、こ、このような時に、いったいどちらへ?」
昌興は答えなかった。

留守を任された相良は密かに上座に陣取り、殿様となった気分。
だいたい、戦馬鹿どもは戦以外のことはからきしなのであるから、それがしのような優秀な家臣なしでは何一つできはしないのである。戦馬鹿の主が城を留守にしても何ら問題はないが、相良無しでは城の政務は回っていかないのである。そう考えると誇らしく、ここは「名代」として、暫く殿様三昧だとネズミのような顔をほころばせた。
ところが……ものの一刻と経たぬうちに、つぎつぎと取次ぎを求める者がやってきた。
「ええ、その、殿はしばしご休息をとられている。用件はそれがしに一任されたゆえ、順番に。そうそう、並んで、順に取り扱うゆえ」
奉行たちは、それぞれの案件を抱え、昌興の決裁を待っている。相良のハンコではなにもできないから、広間の外は昌興の出馬を待つ者達で行列となってしまった。
「何事だ?」
昌典の怒鳴り声を聞き、相良は大慌てで己が着くべき席に戻る。
「今日は奉行たちが報告に来ると分っておりながら、兄上はなにをしておられるのだ? 早くお呼びしろ」
「ええ、その……」
相良は昌典の耳元で囁いた。
「じつは……殿は城内におられないのでして」
「何だと? 外はあの騒ぎだと言うのに、こんな時にどこへ行ったのだ?」
相良は首を振る。昌典が兄を憎んでいることは知っていたから、これ幸いと悪さをされては困るのだが、昌典のような人物は相良と役割が被るので、なんともやりにくい。もしも、こんなのが「跡継」になったら、相良など不要となるだろう。
「これでは政が回らぬ。こんな時に昼寝とはな」
昌典が嫌らしい捨て台詞を残して出て行くのを見送りながら、相良は千寿を思い出す。もしも、千寿がここにいたら、さらさらと昌興の花押を偽造して相良を助けてくれただろうに。むろん、あれほど「嫌われている」のだから、相良のためになどに書いてはくれないが、昌興のためだと言えば話は別だろう。
昌典に比べたら、ずっと兄思いの千寿が、こともあろうに陶と一緒に造反とは。昌典なんぞ、同じ城内にいながら、心の中では、とっくに「造反」済みではないか。

その頃、昌興は徳山直幸とともに、宇部にいた。
妻の菩提寺を訪れていたのだ。そう、この日は亡き妻の命日だった。たとえ重臣会議があろうとも、戦の最中だろうとも、月命日さえ忘れずに拝む昌興のこと、そのものズバリの命日となったら、妻の菩提寺以外に居場所はないのだった。
そう考えると、兄嫁の命日すら忘れている昌典は、それこそ、兄のことなどなにも分ってはいない、といえた。
きちんと掃き清められた墓碑の前に、すでに花が手向けられていた。
「誰か先に来たんですね」
直幸が「見たまんま」のことを言う。千寿がいたら、馬鹿なの? と言いそうだが、昌興は彼のこの、素直なところが気に入っていた。
「もう十六年になるのだな」
直幸は十六年前に奥方が亡くなったのだろう、と思って聞いていた。しかし、昌興の言葉には続きがあった。
「ここで、千寿の母と出逢った」
「へっ?」
もう少しまとまな反応をしても良さそうなものだが、直幸としては素直に驚いていた。そして、なぜ、ここで急に千寿の母が出てくるのだろう? と思うのだった。
「父上たちが先についておられるようだ。まずはご挨拶に参ろう」
直幸が昌興についていくと、伽藍の中で老人が二人碁を打っていた。
「来たか。遅かったな」
そう言ったのは昌興の父・松苑だった。向かい側に座っているのは、奥方の父、三枝智頼。れいの舅にして伯父である。
「息災のようだな」
松苑は碁盤から視線を動かさぬままで、静かに言った。
「もう少し早く来るかと思っておったが、お前も気が長くなったようだ」
「元々これ以上ないくらい、気が長いのです。これ以上待っておったら、我らの寿命が尽きてしまうところでしたよ」
衣冠正しい智頼がそう言って、手にした扇子を口元にあてる。
直幸は老人たちの意味不明な会話と、その何やら分らぬコウショウナ(高尚な、だろうと思われる)場の雰囲気に圧倒されて、ぽかんとしている。
「そなたが、隆幸の息子か?」
そう言いながらも、松苑の目はやはり碁盤から動かない。
「はっ、大殿様」
直幸は慌ててその場で片膝をついた。松苑は右手をゆっくりと動かした。昌興が、あれはもう立ってかまわない、と言う意味だと合図する。
(俺にはまるで通じない世界だ……)
直幸はキョロキョロしながら、昌興の背後に回った。
「早いものですな。あれからもう二十年とは」
三枝智頼がふっと呟き、松苑も溜息をついた。
「今に至るまで孫の顔を見ることもできぬとは」
昌興がその場に膝をついたので、直幸も慌ててそれに習う。
「親不孝をお許しください」
「馬鹿者。お前が隠居したいと申し出るのはこれで三度目になるが、わしは絶対に許さぬからな」
「い、隠居!?」
直幸は思わず大声を出してしまい、慌てて口を押さえた。
「今のお前には世継ぎとなる者がおらん。まさか、この老いぼれを引きずり出すつもりではあるまいな?」
松苑がここで初めて、昌興を振り返った。
「お許しを、父上。大切な弟を守ることができず……」
千寿のことだ……。いかにトロい直幸とて、そのくらいは分る。まさか、本当に陶なんぞについて出て行ってしまうとは。
「お前がその頑固な頭をちっとばかり緩めたら、まだまだ跡継が望めぬわけでもあるまい。それが無理なら、昌典の娘に婿を取れ」
「……そのつもりでおります。奈津(昌典の娘)は千寿とそう年もかわりませんし。しかし、その婿に誰を、と悩んでおります」
「気の毒な娘だ」
そう言ったのは三枝智頼のほうだった。
「亥之助殿のような幼馴染みはおらぬのだろうな?」
「義父上……」
昌興が苦しそうな表情となるのを見て、直幸は気の毒でならない。幼馴染みで従姉弟。かつての敷山多江が聞いたら嫉妬に狂うような組み合わせ。最愛の妻はまだままごとの時代から、ただ一人昌興だけを見て麗しい乙女に育ち、そして、まだうら若い絶世の佳人の身で儚く世を去ったのだった。
この話は、いかに色恋と無縁の直幸とて知っていた。
「亥之助殿が後添えを迎え、きちんとお家を守り継いでいくことは、亡き塔子の願いでもあったのですぞ」
塔子というのは恐らく、奥方の名前だろう。直幸は早死にした奥方を思い、本当に気の毒に思った。これほど愛されていたら、女として本望だろう。しかし、奥方という立場からは、夫がきちんと跡継を産み育てることを望まなければならなかった。二十年と言えば長い。直幸はまだ二十歳になってすらいないのだ。かくも長き時間、昌興はどうやって最愛の人を失った悲しみにたえてきたのだろうか。
「そろそろお暇いたします」
ほとんど何も話していないのに、もう立ち去るのか。直幸がそう思ったとき、また老人の声がした。
「あれは不憫なやつじゃ。生まれたその時に母を失い、年端もいかぬうちに御前に上げられて……。そなたは悪癖を身につけた、などと言っていたな。そうかも知れん。だが、あのような幼子が惨い目に遭えばおかしくもなる。何もかもわしが招いた罪。命ばかりは助けてやって欲しい」
父がそっと頭を下げるのを見て、昌興は慌ててその傍に駆け寄る。
「何を仰るのですか、父上。悪いのは……この私です。弟一人守れず」
松苑はまた右手を動かした。立ち去れ、の合図だろう。その場を後にする昌興にくっついて、直幸も外に出る。背後でまた松苑の声がした。
「千寿はわしの子か?」
(……?)
直幸はびっくりした。何やら知らないいつの時代にもありけりのゴシップネタ。鷲塚がいたら大騒ぎだろう。昌興は足を止めたが、父を振り返ろうとはしなかった。
「間違えなく、父上の御子です。我が妻は塔子一人。それは生涯かわりませぬ」
主従が出て行った後、三枝智頼は手にしていた扇子を広げた。美しい秋景色が広がる。
「あの娘、いえ、奥方様は、どこか塔子に似ておりましたな。後にも先にも。我が婿殿が心を動かしかけたのはわずかにあの時だけ。しかし、婿殿は潔白ですぞ。我が娘の霊前で誓っておりましたようで」
「あれはわしに似て頑固なのだ。だが、どうでもいいところは似ておらん。しかし、義兄上にとっては、わしが好色爺に見えていたのでは?」
「まさか。妹が死んで何年経つとお思いか。大殿も人が悪い」
老人たちの明るい笑い声が、遠ざかる昌興たちの耳にも届いた。