第九十話:囮の城

毛利元就はまたしてもくしゃみが止まらなくなり、隆元に背中をさすられていた。
「な、何者かがわしの噂を……しかも『悪い』噂だ……」
「ご安心ください、父上。髙祖殿のおかげで、すでに桜尾城が手に入りましてございます」
「馬鹿者!!」
隆元はまたしても父に怒鳴られて真っ青になった。少しは父を喜ばせたいと、恐る恐る情報を追加する。
「城内は数万の兵がおった模様でして。我らは一夜にして万単位の兵力を持つ国に……」
フォローするための言葉はさらに父を激怒させた。
「そなたは相当な愚か者よの。これ以上わしを失望させるな!!」
「父上……」
隆元にはなぜこうまで父の機嫌が悪いのか理解できなかった。単純に、配下の城の数と兵力が増えたことは喜ばしいことではないか。しかも、三千の兵力が、突然に三万となったのだから、一気に十倍だ。
「まだ分らぬのか? 今我らにできる唯一マシな施策は、あの髙祖という男を捕らえて有川家に差し出し、奪った城を返還することだ」
「え? そのようなことできるはずがないでしょう? もう、賽は投げられたのです。父上ご自身が髙祖殿に助言を求めたのですし……」
「わしが投げたわけではない!!」
このことはたいへんに重要である。何もかもは髙祖帯刀が勝手に行っていること。交渉の余地が残されているとしたら、「ここだけ」である。
元就は帯刀がSランクとかいう、とんでもない「策士」として売り込んできた者であったから、有川家に疑われ、陶家に攻め込まれそうになった恐ろしい状況をなんとかまるく収める考えが何かあるか意見を問うた。すると、
――陶を踏み台として有川家に対抗できる力を蓄えるのです
などと恐ろしいことを言った。
有川家に対抗どころか、「踏み台」の陶すら倒せるはずがないのに、である。だが、帯刀は平然と意味の分らないことを口走った。
――陶隆房は厳島で死ぬことになっております。『史実』がすべてを物語っているのです。お忘れですか? 私は敷山隆邦の配下だったとき、未来から来た南蛮人からこの国の将来を学びました。千年以上先の者達の歴史書によれば、この先中国地方すべてを手に入れるのは、ほかでもない毛利様です。歴史を変えることなど誰にもできませぬ。されば、陶は必ず死ぬはずですし、有川だの、敷山だのいう、歴史書に載っていない者どもなど、存在することじたい歴史への冒瀆です。
そんなことを言われても、その「未来人」とやらに会ったことがない毛利父子には意味が分らない。有川家も敷山家も現に存在しているのだから、歴史への冒瀆云々は知らないが、あやつらすべてを倒さない限り、毛利家が西国を手に入れるなどあり得ない。
ところが、隆元はやはりお人好しだから、髙祖が嘘偽りを言って彼らを騙しているとは考えなかった。彼らには理解できないことばかりだが、それは、髙祖が「Sランク」で、「Cランク」の彼らよりずっと様々な事情に精通しているからなのだろう。元就ほどの人物が、こんな小城に縮こまって生涯を終えていいはずはない。もはや、高齢だから、これが最後の機会となるだろう。髙祖のようなとんでもない男が当家に現われたのは、天の采配に違いない。
「陶の寿命が尽きるのがいつどこでなど我らにはどうでもいい。だが、三千の兵で十万の大軍に勝てるわけがない」
「三千ではなく、三万です。父上」
「愚かな。そなたは忘れているようだが、髙祖のところ以外にも、怪しげな南蛮人が訪れた国がある」
Cランクとは言え、やはり元就にはいちおう「智将」の片鱗がある。捏造されても、根本は変わらないのだろう。かつて、千寿が南蛮人が作ったという奇怪な木戸を使って、山口からここまで一っ飛びでやって来たことは記憶に鮮明である。もしも、千寿にも未来の男との交流があったとしたら、髙祖同様、「史実」とやらを教えられているかもしれない。
同時に同じ「史実」とやらを知るものが存在するということは、髙祖が何をやっても千寿にはまる見えということになる。それは髙祖にとっても同じだが、互いに先が読めてしまうということは、「史実」を再現しようとしても、それが自らに不利であるとしたら必ず先回りして制止しようと動く者が出るということだ。
髙祖が偉そうに「何もかも史実通りに事が運ぶ」、と言っている通りになるとしたら、それこそ、天下は神ならざる手によって動かされていることになる。千寿が隆房と合流したことは既に毛利家も知るところになっていた。彼らがことさらに宮島の地にこだわるのは、本当にそのような「史実」があった所以であるのかもしれない。だが、恐らく、彼らが口にするところの「史実」とこの空間とは「別物」だ。あるいは、南蛮人たちが、インチキな噂をばらまいているのだろう。
誰がどう見ても、現状、毛利家になど出る幕はない。それは陶のところも同じだ。
大帝国に対して、二つ三つの村の連合体が叛旗を翻したようなもの。蜂起するのは勝手だが、すぐに鎮圧されてしまうだろう。そうなれば、これまで元就が必死に守り続けてきた家名すら奪われ、下手をすると命も失うかもしれない。陶など潰れようが死のうがどうでもいい。だが、それに巻き込まれては困るのである。
有川家との友好関係が保たれている間は、陶がウロチョロしても、昌興に守ってもらえた。大帝国の庇護の下でしか生きられなかったからといってそれが何なのだ? 己の土地と民さえ平穏であるならば、それで満足ではないか。
それなのに、いきなり降って湧いた有川家との間を裂こうとする何者かの陰謀。さらに間が悪いことに、それと時を同じくしてもたらされた陶が有川家から造反したという知らせ。陶隆房は有川家で大人しくしていたら、普通に長寿を全うできるはず。昌興は末の弟、つまりあの木戸から現われた小僧に家督を譲るというもっぱらの噂。となれば、昌興の代には優遇されずとも、小僧の「お気に入り」である陶ならば、途端に羽振りが良くなるはず。だが、あの男は己の実力を知らず、何の手柄も立てていないくせに、不当な扱いを受けている、などと不満たらたらであった。その程度の男だ。傲慢不遜な言動ばかりなくせに、いきなり有川家の本拠地へ飛び込む勇気などない。だとしたら、当然矛先は毛利家に向く。
有川家との関係を修復し、陶の横暴を何とか食い止めれば、後は昌興が陶を飲み込み、それで終わりだった。ただ、その関係修復と一時しのぎの方策すらすぐには頭に浮かばないほど混乱していたので、あのような男に意見を求めてしまった。元就はとんでもない失策を後悔した。
だいたい、あの男は、言ってみればいきなり現われた流れ者に過ぎない。訳の分らない妄想をグダグダと述べられたところで、無視すればいい。にもかかわらず、隆元は「当主」として、それらの「献策」をすべて受け入れてしまったのだった。
「宮島にはわしが向かう。そなたは今からでも遅くないから有川家との交渉を始めろ。すべてはこの老いぼれの暴走だと話すのだ。わしにはそなたとは違い、人を見る目はある。有川昌興は義理堅い男だ。ほとんど……馬鹿と言っても良い。そなたの演技力次第で、どうとでも言いくるめることができるはずだ。とにかく、和睦だ。陶については勝手に有川家が潰してくれる。気にすることはない。わしにできることはここまでだ」
常は厳しい父の言葉が何やらとても温かく聞こえ、隆元は胸が熱くなる。
「人を見る目がない私が愚かでした……」
「なぁに、そなたよりずっと年寄りだからな。まだ若すぎるのよ。今のわしくらいの年になってからこの日の言葉を振り返ってみるがいい」