第八十四話:嵐を呼ぶ男

敷山隆邦は筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・薩摩・大隅・日向九ヶ国の守護を独占し、九州探題となり、さらに、朝廷から右馬頭というなんだか分らぬ「名前」までもらった。
その朝廷から遣わされた勅使を迎える宴席で、千寿が陵王を舞った姿が忘れられず、敷山多江はこれまでずっと馬鹿にしていた「小僧」の部屋を訪ねることにした。
実のところ、多江は有川昌興を一目見た時から、激しい胸の高まりを押さえることが出来ないでいる。これまで、「帯刀のことを愛してる」と思っていたが、あれは何かの間違いだったのだ。恐らくは、年頃の女は当然異性に恋心を抱くべきである、それも相手は美男がいい、などと考え、疑似恋愛でもしていたのであろう。要するに「妄想」だ。
断っておくが、これは駄文物書きのご都合主義が書かせているのではない。多江本人の心の声だ。そのくらい、多江は帯刀のことなどどうでもよくなり、これまであんな男に引っ付いて従姉弟どうしで美男美女などと胸をときめかせていたことをきれいさっぱりと忘れてしまった。思い返せば、あの男、恋する乙女に対してあまりにも無礼であった。確か多江は、帯刀が四歳で多江が五歳の時云々と清らかな幼い日の思い出まで語っていたはずだが。いやはや、女心と秋の風。
で、帯刀は「顔だけ」の男だったが、昌興は美男なだけでなく、その心根すら麗しい。亡き妻とのそれこそ「幼い日の思い出」を生涯胸に秘めて生きているのだ。帯刀の場合、多江の恋が実らない理由はどこにもないはずだったのに、あの男が勝手にかくも麗しい恋心を無茶苦茶に踏みつぶした。しかし、昌興との恋は実るはずがないと最初から分っているのに、それでも多江は「生涯亡き妻だけを愛する」と言った昌興にメロメロになってしまったのだ。面食いだからまずは「顔」だが、その後あのような展開に……。
父や、兄・隆邦に甘やかされて育った多江は、我儘な上、女武者なんぞをやっているから、それこそ野蛮な上に傲慢。つまらないことで多江の怒りを買い、わけもわからず叩かれたり蹴られたりした者は数え切れない。それらの犠牲者たちは皆、誰でも良いからこの恐ろしい女を娶ってこの家から追い出してくれと望んでいた。帯刀に無視され続けている怒りの矛先も、侍女や衛士らに向けられたから、たまったものではなかった。
それが、何やら、有川昌興に恋をして以来、どことなく大人しくなった。時折、一人で微笑んだり、ブツブツ言ったり……。髙祖帯刀が永久追放されて、完全に多江の記憶から消え、この異常さはさらに顕著になった。
暴れ馬のような女武者から恋する乙女へと変貌しかけていた多江。坊主憎けりゃ袈裟までの真逆で、昌興様の弟だから千寿はあんなにも可愛らしく、あのなんたらいう舞を舞った姿など、まるで南蛮の坊主いうところの天使のような愛らしさ……などとまたしても、一人でふふふ、と千寿の部屋にやって来たのであった。
ところが……。
「千寿様のお姿が見えませぬ。もしかしたら、庭を散歩でもなさっておられるのではないでしょうか。こんな狭い部屋に閉じ込められていたら、あのような御子には退屈でしょうし」
と千寿付きの「召使い」が。
「あら、じゃあ戻るまで待っているわ。お前、探してきて。私が待っているから、と」
多江はそう言って、勝手に千寿の部屋に入り込む。きちんと整頓された部屋の中に、あの長持ちがあるのを見付けた多江は、またしても麗しい微笑みを浮かべつつ、長持ちに近付いた。
(こすぷれ、とか訳の分らないことを。でも、衣装箱なのよね。あの麗しい稚児衣装もこの中に?)
多江は千寿が命より大事にしていた長持ちを勝手に開けてしまった! 心配ご無用。当然、発信器や充電器は、千寿が雲外門を出るとき、しっかり胸に抱きかかえられていた。だから、長持ちの中には、それこそ、緩衝材として詰め込まれていた衣類しか残っていなかった。
ありふれた着替えの山に、多江の期待は裏切られた。何やら、妙に片付いている部屋の中。先程まで人がいたとは思えない。庭を見て歩くにしても、こんなに朝早くからどこまで行ったのか。いつまで待っても千寿は戻らないので、多江はまた元の暴れ馬に戻って家人たちを怒鳴り散らした。
「あの小僧はどこへ行ったの? 私が待っているときちんと伝えたんでしょうね?」
「た、多江様……隅々探しましたが、千寿様のお姿はどこにもございませぬ」
「どういうこと?」
多江は大慌てで、兄・隆邦へ注進に走った。
「何? 千寿が消えた?」
隆邦は笑って相手にしない。この城の守りは鉄壁だ。夕べ、帯刀を追い払った時に門を開けて以来、出入り口は固く閉ざされているではないか。
「ま、まさか、あの小僧、塀越えでもしたのかしら?」
多江がわなわなと震えだした。
「兄上、もしも、あの小僧の身になにかあれば、昌興様は我らを咎めるはず……」
なんと、妹の心配はそこか。いや、確かに、昌興を怒らせたら、敷山の地も戻って来ないかもしれないし、またしても開戦などとなったら、疲れ果てた家臣らの怒りが爆発するであろう。隆邦自身も、せめてあと数日はゆっくりしたい。
「誰かある!」
隆邦の声に反応して駆けつけたのは、ちょうどこの日が当番にあたっていた髙祖隆久であった。何とも間が悪い。弟を追い出した手前、兄の顔も見たくなかったが、この男までいなくなったら、ここは戦馬鹿しかいない国となる。
「何かご用でしょうか?」
隆久は白々しく言った。呼ばれた理由は分っていたが。
「その……いますぐ、城の周囲、周防への道、すべてを捜索して有川昌興の弟を見付けよ。関を封鎖して、特に船着き場などにも人をやり、絶対に九州の地を出られぬようにせよ」
「え? それはどういう? 昌興殿の弟君なら城内にいるはずでしょう? この城の守りは完璧にございます。蟻一匹抜け出る隙間はございませぬ……」
隆久は、ゆえに、城外より城内を探せと提案しようとして、やめた。城内をくまなく探されて、あの木戸が目についたらまずい。むろん、あんなものが若山の陶の領国に続いているなど、誰にもバレるはずはない。しかし、あそこにあれがあることは、やや「不自然」ではある。
「仰せの通り、手配いたします」
隆久はそう言って丁寧に礼をして退出していった。
「なんだ、あの男は……何やらわしに言いたいことでもありそうに見えたが」
口ひげをしごきながらブツブツ言う隆邦に向かって多江が、
「ふん、鉄壁な守りのこの城を建てたのが、あやつの弟だ、と言いたいのでしょ」
「なるほど。ううむ。この城のすべてを、あの男は知っているではないか。やはり生かしておくべきではなかったか」
隆邦は何やら胸騒ぎを覚えた。ここでいう「あの男」は兄ではなく弟のほうだった。
「大丈夫です、兄上。我らの元には実の兄と、父親がいることは分っているのですから。あの男にも多少の『情』というものはあるでしょう」
「あの男に『情』などあるものか」
隆邦は吐き捨てた。確かに、多江も同意見であった……。