第七十八話:男と男の約束

有川昌興が弟を人質に出す、と言うのを聞いて宴席は騒然となった。ほとんどの者は皆、そこまでする必要はないのではないか、と千寿に同情した。どう考えても敷山家は図々しいのだ。九州をまるごと手に入れたら、もうそれで十分ではないか。何が「父祖伝来」だ。
確かに、輿入れを拒否されたことで、敷山多江は傷付いたかもしれない。昌興が千寿のことを持ち出したのは、おそらく、多江の顔に泥を塗ったお詫びのつもりだろう。だが、昌興と亡き妻の話は、この界隈では知らぬ者がないくらい有名なのである。かつて、「主」であった大内家の先代からして昌興の心を動かせなかったのだ。それを、敷山家ごときが動かそうなどと考えることじたい図々しい。
傷付いたり、面子をなくしたりしないように、なにごとも十分に事前の下調べを行うべきなのである。それをやらないでおいて、勝手に傷付いている図々しい連中のために、千寿が犠牲になる必要はない。徳山父子など憤慨して、昌興に意見しようと立ち上がりかけた。
「皆の考えは分っている。だが、もう何も言うな。これよりは無礼講とする。わしは敷山殿と二人だけで酒を酌み交わしたい。皆は外してくれ」
昌興に追い出され、隆幸らは全員外へ出た。むろん、千寿や敷山多江もである。中は昌興と敷山隆邦二人きりとなった。
「人払いをしたのにはわけがある。貴殿と腹を割って話したいと思ったのだ」
昌興はそう言って、隆邦の盃になみなみと酒を注ぐ。
年よりずっと若く見えるものの、昌興は千寿と父ほども年が離れている。すでに、四十が近いのだ。いっぽう、隆邦は口ひげなど蓄えて敢えて「老けて」見せてはいるものの、実は、陶隆房らとそう変わらぬ年格好。まだ三十前後の若者だった。
むろん、同じくらいの国力を持つ当主どうし、年齢の差で何かが変わるでもないのだが。しかし、二人きりになってしまうと、隆邦は緊張した。
思えば、従弟・帯刀のれいの『築城術』。あれがなければ、今ここで、有川家と対等に話すようなことにはなっていなかっただろう。多江の話では、昌興の弟も、帯刀と同じく南蛮人と交わり、奇怪な術を使うとか(多江は『箱』だと繰り返していたが、実物を見たわけでない隆邦は、やはり、これは『妖術』の類いなのであろうと想像していた)。しかし、「武勇防長随一」という二つ名は、隆邦がまだ大内家の家臣だった幼少期からすでに耳にしていた。そんな時代に、あの千寿は当然生まれてもいなかったはず。要するに、弟がヘンテコな邪術を用いなくても、有川昌興はホンモノの勇者であり、英雄だった。それに引換え、隆邦のほうは、スタート地点から帯刀の邪術にまみれていたのだ。そんなことを考えると、何やら「父祖伝来」などと喚いていたことが恥ずかしくなってきた。
急に寡黙になってしまった隆邦がおかしく、昌興はなおも酒をすすめた。
「私の我儘で、また一人の女子を辛き目に遭わせたとしたら、罪深いことだ。妹御のことは心からすまないと思っている」
昌興はそう言って頭を下げた。
「おやめくだされ。我らも軽率でした」
隆邦は慌てて自らも頭を垂れる。昌興はふっと笑った。
「昔ある女人が一人の愚かな男に惚れ込み、その男以外には嫁がない、と言いだした。母親の身分が低かったゆえ、高貴な相手との婚姻は望めなかったが、父親はその男の主君筋だった。ゆえに、父は娘の思いを遂げさせようとその男を婿に迎えようとしたが、男は断った。主からの要求を拒めば、命はないかも知れぬと言うのに」
「それで?」
今度は隆邦が昌興の盃を満たす。
「何のお咎めもないままに終わった。主は家臣が亡き妻を思う気持ちが一途であることを褒め、かえって褒美の品を与えた。いっぽう、その娘は、その男の一途な思いにますます惚れ込んでしまった」
「でも、主の命に叛くくらいですから、その娘が嫁入ることは無理でしょう」
「その通り。娘はけっして結ばれることがないその男に『操』をたて、尼となった」
「……」
隆邦は戦馬鹿なだけあって、トロい男だが、さすがにこの話に出てくる「男」というのが昌興自身なのだと勘付いた。そもそも、先程満座の有川家の連中が怒り出したのは、皆この「美談」だか「悲劇」だかを知っていたからだ。確かに、昌興がこんな年になるまで、後添えを迎えていなかったのは異常なことである。事前にこれらの事情を調べてしかるべきだった。そもそも、隆邦は昌興と知り合ったばかりで、相手のことなどよく知りもせず、ただ気が合ったからという理由で安易に妹を嫁になどと言ったのである。深い意味はなかった。
この時代、縁組みは多分に政略的なものである。むろん、隆邦とて、口から出任せではなく、昌興という男が気に入り、確か独り者だとどこかで聞いたような気がして、さらに、和睦するなら身内になるのが一番、という思考回路を通っての結果ではあった。しかし、思いがけず、触れてはならないものに触れてしまった。ここら辺が、相良武任のような「気が利く」家臣に恵まれない彼の弱みでもあった。
それと同時に、昌興が長々と話した「物語」は隆邦を別の意味で驚愕させた。「相手の娘は尼になった」……。恐らくは、芯が通った気が強い女人であったに相違ない。嫁いでもいない男のために出家するなど。しかし、妹の多江が、文字通り「そのような」女人であることを、兄の隆邦以上に理解する者はない。
これまで、多江が帯刀を追い回していたことは、隆邦とてまったく知らなかったわけではなかった。だが、婚姻は政略的なもの、だと認識したとき、隆邦の手元にある唯一のカードは多江だけだった。それに、帯刀という男が妹の夫として相応しいとはどうも思えなかったのである。だから敢えて目に入らないふりをしていた。だが、さきほどの、昌興に対する多江の態度はどうだ? これまで従弟を追いかけ回していたのが、少女の戯れに過ぎなかったとしたら、今回のはホンモノだ……。
いや、まさか、そんなことは……。