第七十七話:急展開

一条恒持夫妻の中津城と弟・千寿が留守居する城井谷城とを失った有川昌興は九州での地盤をなくしたに等しかった。敵方の手に落ちた一条夫妻、さらに、行方知れずとなっているという千寿の安否も気がかりである。
「ここは人命第一である。ひとまず和議を結んで周防に戻るべきではないだろうか」
昌興の言葉に、戦馬鹿だらけの陣中はしーーんと静まり返った。これまで、「撤退」とか「降伏」とかいう言葉とは完全に無縁だった彼らである。兵を引く、と言っても、周囲一面敵だらけのこの状況下では、撤退するのも容易ではない。むしろ、突撃したほうがマシである、というのが皆の意見なのだ。
しかし、敷山家からやってきた使者の口から出たのは、意外過ぎる言葉であった。
「有川さまと停戦いたしたく……」
「何?」
敷山家に停戦しなくてはならない理由などなにもないはずだった。彼らの進むべき道に立ちふさがっているのは有川家だけなのであって、停戦は単に英気を養う意味しかない。見たところ、やる気満々の彼らにそんな休息が必要とも思えなかった。
「実は、ご一門内部で色々とございまして」
使者の男はべらべらと言わなくてもいいことまで話してしまった。どうせ、敷山家に滅ぼされた他家出身の者なのだろう。忠誠もへったくれもないのだ。それよりも、「妖術使い」の陣中へ使いに出されるなどという、危険極まりない任務を己に押し付けてきた敷山隆邦に腹を立てているほうが本音だ。
「一門内部のゴタゴタですと?」
身を乗り出した徳山隆幸は、主の不快感がにじみ出た視線に射抜かれているのを感じて口を押えた。
「停戦の条件は? まさか、無条件に、とは言わぬであろう?」
昌興に問われた使者は何やら書付を取り出した。
昌興は配下からそれを手渡され、ざっと目を通す。だいたい、正式な書状の形をとらない、このような「書付」を寄こしてくるところから、もう敷山家がそうとうおかしくなっていることが知れた。
「九州の城をすべて明け渡すように、とあるが」
「何ですと? 無茶苦茶ですな」
戦馬鹿どもがざわめいた。
「そのかわりに、一条恒持殿、辰子殿、相良武任殿、そのた、我が方に囚われている方々すべてをお返しいたします」
なんとまあ、相良武任はいつの間に「囚われた」のであろうか? しかし、名簿の中に、肝心の人物が抜けているではないか。
「千寿様と、それに、うちの馬鹿息子の名がないではないか」
徳山隆幸が使者に詰め寄る。
「そ、それは……それがしにはわかりかねます。つまりは、我が方に囚われてはいない、ということでは? とにかく、まずは『停戦』のお約束を。ついで、もっと話が分かる者を寄こしますので」
昌興は考え込んだ。千寿と直幸の行方が知れないとなれば、このまま九州を離れるわけにはいかぬ。早急に、「もっと話が分かる者」と会う必要があった。
「ひとまず停戦する、という申し出には応じよう。だが、その後のことは、敷山殿と『対等に』話し合いをした上で決める、と伝えよ」
「ははっ。それでは、それがしはこれにて……」
使者は大慌てで逃げ出した。
「まったく、直幸め、千寿様を連れてどこへ隠れたのでしょうか?」
隆幸が申し訳なさそうに言った。しかし、彼らが本当に無事にどこかに「身を隠している」としたら、それは直幸というより、千寿の仕業だ。そう思った皆は、場違いと知りつつ笑いを噛み殺したのだった。

有川家のほうはこんな感じだったが、問題は敷山隆邦のほうで、こちらはそれこそ戦どころではないほどの大騒ぎになってしまっていた。
「高祖帯刀が妙な『箱』を使って攻め込み先の城をぶち壊したり、壊れた城を瞬時に難攻不落に建て替えていた」という噂はすでに敷山軍中に知れ渡り、激怒した隆邦は帯刀を府内に閉じ込めてしまったのである。
すべては敷山多江からもたらされた情報であった。
「まさか、あやつはそのような『手』を使っていたのか。わしはてっきり、南蛮人から何やら知らぬ特別な技術を学んだものだと思い込まされていたわけだな?」
「仰る通りです、兄上。あの男、最後の最後には兄上や当家をもあの妙な『箱』の力で貶めるつもりだったのに相違ありません」
ついさっき、多江が兄の前で淡々と語ったのだ。
しかし、確か多江は鷲塚から「彼の不利にならないように」手を打ってやるように、とアドバイスされて別れたはずだったが……。なぜこんなことになっているのだろうか?
じつは、あの日、千寿たちが甲村に戻り、鷲塚が未来へと帰って行ったあと、城井谷ではまた一悶着あったのである。鷲塚と多江に騙されて、正体なく眠りこけるハメになった高祖帯刀は目が覚めると一番に多江を詰問した。なおも、この男への思いを捨てきれずにいた多江は、正直に前の晩のすべてを話して聞かせ、帯刀も多江とともに、「叩き壊された」というゲーム機の残骸を見に行った。
すべては多江の言う通りだったらしく、彼の手元にはすでにゲーム機はなくなっており、千寿も鷲塚も姿を消していた。さらには、水没したというゲーム機まで、多江は「壊れている」という理由で、「分別処理して捨てなければ」などと言われて鷲塚に渡してしまったのだという。
「なんてことをしてくれたのだ?」
元々何の愛想もない男だったが、この時は形容しがたい怒りと憎しみの籠った目で多江を睨みつけていた。多江とても、それは彼女一人に向けられた、というよりは、一連の出来事すべてに腹を立てているのだろう、と思ったのだが。
「このような愚かな女のせいで、一生を棒に振るとは」
帯刀は吐き捨てるようにそう言ったのだ。
「……お、愚かな女ですって?」
そうだろう。確かに愚かな女だ。こんな男に夢中になっていたなんて。あんな妙な「箱」一つが命より大事なのだ。多江に関心がない、というよりも、すべての女、女どころか、男であれ、主であれ、己以外の者すべてに関心がない男なのだ。あの「箱」を持つことで、彼は天下を動かす「力」を手に入れることができ、己の優越感に浸っていた。それを奪われたことで、多江に向かっていわれのない怒りをぶつけている。
「何なの、いったい? あなた、ナニサマのつもりよ? 兄上がいなければ、今頃どこの馬の骨かも分からない浪人者の息子として、諸国を彷徨っていた身分じゃないの。その恩を忘れて、何が天下を動かす器量をもつ男、よ。あなた自身の力ではなく、すべてはあの『箱』のお陰だったんでしょ? あれなしでは、何もできない、そうじゃないの?」
帯刀が多江の頬を張り飛ばしたのはその時だった。
「……な、なに?」
父と兄から大切にされ、蝶よ花よと愛されてきた多江だった。そんな多江に向かって手をあげる者などいるはずがなかった。父にも兄にもぶたれたことなどない。それなのに……。
「覚えていなさい、このままですむと思わないで‼」
多江は従弟をその場に残し、兄・隆邦の本陣へと走ったのだった。
「あんたなんか、『顔だけ』の男よ‼」