第七十六話:突破口

「ほーーらピコピコ、こっちにおいで」
千寿が手招きすると、手術ロボットはピコピコと近寄ってくる。まるで、ペットの犬か猫だ。一命を取り留めた直幸は、なおも動くことができなかったが、千寿の子どもびた(何度も言うが彼自身も子どもである)様を見ながら幸せそうな笑みを浮かべていた。
思えば、今から十何年前、ヘンテコな殿様の命令で千寿がその身の回りの世話をさせられるために御前に上がる前、彼らは日がな一日、棒きれを振り回して遊んでいた仲だった。二人はいつも一緒だった。難しい漢字の本をスラスラと読み、一度目にした文字は二度と忘れない。「神童」ともてはやされる千寿の脇で「馬鹿」と罵られる日々だったが、それでもこの年下の従弟が大好きだった。
本当は、血縁関係などない。千寿の母が、殿様(彼にとっての『殿様』は、千寿が仕えさせられた『太守様』ではなく、千寿の父親だった)の飯炊き女から、奥方付の侍女となった身分卑しい女だったという理由で、妊娠した母親はいったん、徳山家の養女となった。だから、「従兄弟」なのである。そして、乳兄弟でもあった。
千寿は口では直幸を「馬鹿」と罵っていたが、心の中では本当の兄のように思っているに違いない。そのくらい長い時間、ともに過ごしてきたのだ。まだ襁褓にくるまれていた頃の千寿を、隆房は見ていないが、直幸は見ていた。知り合ってからの期間はこちらのほうがずっと長いのだ。
むろん、千寿は「期間」なんて何の意味もなさない、というだろう。でなければ、これから先の長い人生、新しく出会うであろう者たちは皆、直幸より軽い扱いを受けることになるのだ。
「ピコピコ。面白いね、ふふふ」
笑った顔はまるで穢れなき天使のよう。最近、南蛮の訳の分からない坊さんが城下に寺を建てるようになって、千寿のことをそう言っていた。てんしというのが、羽をはやしたバケモノだったので、直幸はその坊さんをぶん殴り、父の隆幸に酷く怒られたのだった。ただし、てんしは天子ともとれるので、今後その言葉は慎むように、とのお達しが出て、南蛮の坊さんは周防国を出て行った。今は、敷山家の領国に入ったらしい。

千寿がピコピコやっている間にも、鷲塚と敷山多江とはタッグを組んで、恐ろしい計画を実行中であった。

「やあ、あの徳山殿が御無事でなによりでした。多江様が殿にも使いの者を出したそうでして、我らの和議はこれにてまとまりましてございます。後は、殿の下知を待つだけですな」
戸次と相良とは大喜びで盃を傾けている。その場には高祖帯刀と、敷山多江、それに、鷲塚もいた。
「実のところ、高祖殿の築城術のお陰でここまで快進撃を続けてはおりましたが、我らもちと疲れて参りましてな。ここらで休戦というのも良い考えでしょう。恐らくは、殿にもご納得いただけるはず」
と戸次。
「いかにも。戦など、百害あって一利なし、でございますよ。特にそれがしのような文官には」
と相良。
まあ、この二人は職務も、性格もまるで違うから、会話が合おうはずはなかった。ほかの三人はまったく言葉を発せず、まるで通夜の席のようだった。
「ふん。戦をすれば勝っていたのは我らのほうだ。何しろ、有川家は城を空にして逃げだしたのですから。この城は我らがいただくことになるわね」
言いながら、多江が手酌で飲んでいた帯刀の盃になみなみと酒を注ぐ。
「だってそうでしょう? 何しろ、あなたが仕切ったんですもの」
千寿を消し損ねて以来、彼の面子は丸つぶれ。酒でも飲まなければやりきれない。珍しく酔いが回っていたところだから、普段なら無視する多江の酌を有難く押戴く。鷲塚はちらとその様子を見遣りながら、これもまた手酌で盃を満たす。
「これはこれは、山田殿、それがしから一献」
相良が注いでくれたので礼を言って飲み干し、お返しに鷲塚のほうからも注いでやる。こんなことを繰り返しているうちに、すっかり夜も更けて来て、見れば高祖帯刀はすっかり出来上がっていた。
「おや、これは珍しいですな」
大友家が滅んでからだいぶたつが、戸次は敷山家の配下になってから、まだ一度も、酔いつぶれた帯刀を見たことがなかった。偉そうにしてはいても、まだ若い。戸次らに叱られたのがこたえたのだろう。やれやれ、殿様にあることないこと言われなければよいのだが。
戸次が、帯刀を奥の間に連れて行こうとすると、多江がそれを遮った。
「もう下がって良いわ」
「いや、しかし、多江殿では男一人抱えていくのは……」
言いかけた戸次の袖を相良が引っ張る。
「分からない人ですな。『お年頃』ではありませんか。ひひひ」
下品な笑いを浮かべているのは、相当に酔っている証拠だろう。
「我らは我らで続けましょう。ひっく……」
相良はぐてんぐてんになりながら、なおも戸次の盃を満たした。
「それがしは大内家中では陶を除いては向かうところ敵なしの殿のお気に入りだったのですよ。しかし、あれですな、陶の野郎は、能無しのくせに、『見てくれ』が良いばっかりに気に入られた武骨者でして」
「いやあ、うちの殿にはそんな趣味はないが、もしあったらわしなども、気に入られてはおりませんなぁ」
「なあに、『見てくれ』だけの者なんぞは怖くないのです。ところが、あの千寿という小僧ときたら……『見てくれ』だけではなく、嫌らしいほど賢い。まあ、それがしが知っているだけ全てを話したらあの小僧は終わりなんですが、そこはまあ、今は『主』の弟になってしまいましたので……ひっく……」
「相良殿、飲み過ぎでは?」
鷲塚は、文武二人が、ともに酔いつぶれてくだらない話を始めるのを見届けて、こっそりその場を後にした。彼も相当飲んだはずだが、まるで酔ってはいなかった。