第七十三話:詐欺から出たホンモノ

敵の総大将・戸次鑑連は二十万の大軍を率いて城井谷城下へ到着した。既に、敵軍が周囲に大軍を潜ませているという情報は掴んでいる。用心なさいませと釘を刺す配下に和議を申し出てきた相手が騙し討ちなどするはずはない、有川昌興は義理堅い人物だ、などと豪快に笑っている。そう、この男も有川家の面々同様、よくいえば名将、猛将、悪く言えば「戦馬鹿」だった。この類いの人種には、騙し討ちとか、裏切りとかいった不忠なワードは絶対に似合わない。本人がそのようなことを行わない、という理由で相手側もそんなことはしない、と単純に思い込んでいた。
しかし、有川昌興は妖術を使う、と信じて疑わない配下は人っ子一人いない城下を見回しても、なお安心できなかった。
先に城内に使いをやっておいたのだが、その男が戻って来て、城内はもぬけの殻で、城主はもちろん、飯炊きの女どもに至るまで、誰一人いません、との報告。
降伏して城を明け渡す、と言った以上は、引き継ぎの者を置いているべきだが、誰一人いないとは。
「それで、ほかに城内の様子で気になったことは?」
「ええと……そうですね、奇妙なことに米蔵は満タンでしたし、金銀財宝もうなるほどありました」
十分な兵糧があるのに、籠城すらせず、金目のものも一つ残らず置いていったらしい。まるで戦う気などさらさらなかったかのようだ。数十万の軍勢というのはどこへ消えたのか。彼らに食わせるだけでもたいへんなはずだ。
「こちらの城主は有川昌興の弟でして。此度の戦に間に合わせるよう大慌てで元服させたが、実際には使い物にならない小僧だそうです。きっと怖くなって逃げ出したんでしょう」
配下がそう説明を加える。
「しかし、先方から『話し合いたい』と申してきたのだ。誰もおらねば話にならぬではないか」
「ああ、そう言えば……どこぞの村にいる、との伝言がございまして」
「なぜそれを先に言わないのだ?」
戸次は何やら不機嫌になった。
「すぐにその村とやらに向かうぞ」
「へっ?」
配下はびっくりだ。
「あの村は山奥深くにございまして、周囲に伏兵を置かれていたとしたら、大軍を率いて行く我らに利はありません」
「戦に向かうのではない。和議のために行くのだ。そんな薄汚い手を使われるはずがないではないか。だいたい、このわしが既にこの周囲の地形を調べ尽くしておることくらい思い至らぬのか。付近の村々が皆、おぬしの言葉を借りれば我らに『不利』な地形であることくらいとうに知っておるわ」
それは確かにその通りだ。だが、知っていて出向いていくというからアホなのではないか。配下が付いていきたくないとゴネているところへ、若武者が一騎駆けつけてきた。
「おや、これは、高祖様ではありませぬか」
戸次鑑連が馬から下りて挨拶しようとすると、帯刀はそれを制した。
「誰か最も信頼のおける者を一人、使者にたててくれ。有川昌興の弟に、城内で私自ら和睦の話し合いとやらの相手になると」
「それはつまり、我が殿の意向でございますか?」
戸次鑑連が問い返すと、帯刀はあからさまに不愉快な表情となった。誰一人として、己を主君・隆邦の母方の従弟である、として敬ってはいないのだ。あの、敷山多江のような女すら、主君の妹、ということで一目置かれているというのに。
「私が殿のご意向に背くことをするとでも?」
帯刀はその冷たい目で、戸次鑑連を一瞥した後、有無を言わせぬといった風に続ける。
「戸次殿御自ら出向かれよ。畏れ多くも、敵とはいえ、相手は主君の実の弟ゆえ」
戸次鑑連の配下はそのほとんどが元大友家からついて来たそのままの家来である。この、新しい主君の母方の従弟、つまり、出自不明の浪人者と隆邦の母親との間に生まれた息子など、敬う者は誰一人いない。しかし、隆邦の寵愛あつく、若いくせに敷山家に降った他家の武将たちを顎で使っている。配下のほうもあからさまに不愉快な表情を浮かべるのを見て、人のいい戸次鑑連はかえって大慌てで、この申し出を受けたのだった。
「承知いたした。今すぐ参ろう」
「小僧には、城内に私がいる、とお伝えを。貴殿の言葉なら信じるでしょう」
ナニサマのつもりだ。戸次の配下たちは帯刀を睨みつけたが、いちおうは隆邦を立て、また直属の主・鑑連に災難が降りかかっても困るから、その場は黙って怒りを飲み込んだ。
かくして、帯刀は空っぽの城井谷城へ入り、戸次鑑連は数人の配下を連れて千寿がいるという甲村へと向かったのだった。