第六十九話:最愛の人

その頃の中津城。
敷山多江にピストルで撃たれた一条恒持は瀕死の重傷を負い、妻の辰子ともども捕らわれてしまった。多江が持っていた怪しげな南蛮渡りの武器にも面食らったが、辰子にとっては、その後のすべてが、到底信じられない別世界との遭遇であった。
「随分と豪勢な城だこと。有川家にも、帯刀と同じ南蛮渡りの『築城術』を使える小僧がいるとか」
多江は辰子を伴って天守から城下を見下ろしていた。どうせ、手に入れる予定の城だから手を加えなかったのか、帯刀はここでは「謎の天変地異」を引き起こさなかったようだ。さもなければ、互いに気にくわない女二人の、一見穏やかなこんなシーンが現われるはずがない。辰子は武器こそ没収されていたが、軍装のまま、大人しく多江に従っている。常日頃の男勝りを知っている人々が見たら、それこそ天変地異でも起こりそうなほど異常なことだと思うだろう。敵の「女」大将に屈服し、まるで侍女か何かのよう。だが、辰子の顔は暗く沈み、目はうつろ。多江の言葉などまったく耳に入ってはいなかった。
「聞いているの? 築城術を使う小僧はどこか、と尋ねたのよ」
「ち、築城『術』? そんなもの、誰が使うのよ。意味が分らない」
と言ってから、辰子は慌てて口を噤み、多江にむかって頭を垂れて、丁寧に言い直した。
「その、何のことでしょうか。お尋ねの件が分りかねます。わたくしの悪い頭では、分ることも分らないのかも知れませんが」
多江はくくっと笑い、
「そうなの? そうね。確かに、頭が良さそうには見えないわ。お前の妹は評判の才女だとか。姉のほうは違うって聞いてるわ。父親にまったく似ていない、歌一つ詠めぬ女だと。あなた、あの公家館でよくこれまで生きて来れたわね」
「……」
常の辰子なら、最後まで言わせずこの女を張り倒しているはず。「公家館」のような家に生まれ落ちてしまったことは、辰子にとって最大のトラウマだった。かつて、先祖たちは京に憧れ、家格が低い田舎武士と馬鹿にされまいと、必死になって物真似をした。彼らの京文化コンプレックスは義隆の代で、見事に克服される。なぜなら、あの山田が、ここは京都御所なのかと錯覚したくらい、ホンモノの公家以上に雅な生活を実現したのが彼だからだ。
だが、公家(およびエセ公家)だらけの家に生まれた辰子や、文字通りホンモノの公家出身の従弟・一条恒持にとっては、この怪しげな空間こそがコンプレックスとなっていた。真の武士になりたい! それこそが、彼らの唯一の願いだったのだ。有川家の造反によって、ニセの公家王朝はぶっ壊れ、夢は叶ったはずだったのだが。
この世の中に有川家より強い家があり、そやつらにまんまと城を奪われ、しかもその指揮官が同じ「女」武者とは。辰子の胸には燃えたぎる怒りの炎があった。でも今は、それを抑えなくてはならない。なぜなら、夫・恒持の命が敵の手に握られていたからだ。
多江は「急所は外してある」と言った。言葉通り、恒持にはまだ息があった。しかし、早急に適切な処置を施さねば助からない。敷山家には彼を救うことができる「医者」がいると告げられ、辰子は藁にもすがる思いで多江に付き従っている。さもなくば、恒持の後を追い、あの場で自ら命を絶っていただろう。捕虜になるなど、それこそ辰子が憧れていた潔い武士の姿とは相容れぬ恥ずべきことだが、愛する人の命に比べたらそんなことは問題にならない。
「あなたがそうやって、私の『飼い犬』になってくれたら、毎日が楽しくて仕方ないわね。元は父上の主だった家の娘であるあなたが。あののっぺりした公家男のために我慢しているのよね? 偉いわね。夫婦の愛情ってこんなにも偉大なの? ふん、公家だらけの庭園でよくもこっそり姉弟でいちゃつけたもんだわ」
恒持とて美男の部類に入るだろうことは、多江にも分る。だから余計に質が悪いのだ。全く同じ、従姉弟同士で美男美女の組み合わせ。どう考えても、多江と帯刀ほど似合いの夫婦もいないと思う。それなのに、あの従弟ときたら。
章子なら、多江がなにゆえここまで辰子を目の敵にするのか、その悩ましい思いを即座に見抜いてしまっただろう。妹ほど感情細やかでない辰子には、多江の話はただの嫌味にしか聞こえなかった。恒持のことがなかったら、ここでこの忌々しい女を蹴り倒し、その綺麗な顔に二三発お見舞いしているところなのに。
「つまらないわね。何か面白い話でも聞かせてくれるかと期待したのに。噂通りの無粋な女」
「では、歌でもお詠みしてお慰めしたらよろしいのでしょうか」
ついに爆発したらしい辰子が、思わず前のめりになってやり返した。が、敵も然る者。徴発に乗らぬばかりか、逆にやり込められてしまった。
「あなたに歌は詠めないでしょ? 第一、私はあなたの公家館的暮らしなんて興味ないの。私たち、実は似たもの同士だって思わない?」
そうですね、同じく無粋な女武者で。と言おうとした辰子は慌てて手で口を押さえる。多江は何やらがっかりしたように小さく溜息をつき、ついてきなさい、と言って辰子を誘った。
多江が言いたいのは二人の「共通点」は「従姉弟同士で愛し合っている」ということだったが、無粋な女にはまったく通じなかったようだ。
(あなたにもしものことがあったなら、私だってこの女と同じくらい、敵の前で卑屈になってでも守ってみせるわ)