第五十三話:決意

「待て」

自室に戻ろうとする千寿を隆房が呼び止める。

「こんな夜更けにどこへ行く?」

何やら、常になく冷たい声であった。

「部屋に戻るの。だって、もうこの部屋では……」

隆房の妖しい表情を見て、千寿は凍り付き、それ以上言葉を継ぐことが出来ない。死体は片付けられたとしても、この部屋の中は汚れている。これ以上ここに留まる理由はないではないか。

「ならば、我もお前の元へ行こう。あれらの刺客はまだ諦めてはおらぬはず。一人では危険だ」

至極真っ当な言い分である。

「それに、お前の部屋にある『きかい』とやらを見ておかねばならぬ」

「……」

千寿は隆房の涼やかな眼の奥に、久しく隠されていた野心の炎が妖しくゆらめくのを見た気がした。

いずれはこんな日が来る、そう思っていた。そう、ゲーム機の秘密を隆房、もしくは、兄の昌興に話さねばならぬかもしれぬ日が。しかし、まさかこのような形で……。

「愛してないのか?」

隆房が千寿「愛用」のフレーズをさらりと口にした。

「え?」

「お前は良く我に尋ねるではないか。『愛してないの?』と」

(そうだけど……)

「愛してないから、平然と隠し事などするのか?」

不似合いな未来の言葉を使いながら、隆房の目は据わっている。

「隆房様、南蛮、いや、未来の言葉を使ったら、草履番に降格だよ!」

千寿は笑ったが、顔がひきつっている。一方の隆房は、やはり表情ひとつ変えない。

これは、本気だ! 珍しく真剣モード全開になっている。

そもそも、隆房は「史実通り」なら、主君の義隆を殺した謀反人ではないか。要するに野心の塊だ。しかし、完全に主に取って代わる勇気がなかったのか、大友家から義隆の甥を呼びつけて傀儡の当主とした。そう、必死に子作りしてやっと授かった義隆の実子は、隆房に殺されたからである。

でも、その後どうして厳島で毛利と戦って死んだのか、それはゲーム機の史実ムービーを見ただけでは良く分らなかった。ただ、隆房が皆に支持されていなかった事だけは確かのようだ。いや、これも、ゲーム運営のインチキかもしれない!

例え、隆房がこの世の中全てを敵に回しても、千寿だけは味方にならなくては。あのランクC(本当はS)毛利元就やその息子、村上水軍ならぬ海賊連中、そして、隆房を裏切った江良のような不忠者(いや、そもそも主を手にかけた不忠者筆頭は隆房だが……)、そのような輩全てから隆房を守らなくては!

何故か突然に、千寿の心の中にも、妖しい炎がともった。それは、愛ゆえにだったかも知れぬし、思春期の子どもにありがちな単なる反抗期だったかも知れない。しかし、唐突に、父や兄らの存在を捨て去り、全ては隆房を中心に動く、という「設定」にスイッチが入ってしまったのだった。

「隆房様、千寿が第四十話で言った事覚えてる?」

「第四十話?」

「『岩国築城』のつぎ。『天下を動かす力』で、言ったよ。男なら誰でも天下に覇を唱えたいと思うはず。正直に言ってくれて構わない、って。それが本心ならば、隆房様に手を貸す、と」

「ああ、忘れるものか」

それが何話目かなど、隆房は覚えていなかったが、千寿がそれに近いことを言っていたのは記憶にある。そして、その後に続いた言葉も思い出した。

「誰であれ、お前の事を大切に思ってくれる者のためであれば、力を尽くす。大事なのは、天下を動かす力を持っているのは、この世のなかで、唯一お前だけだと」

そう、そして、その「天下を動かす力」が、先程の忍びが探していた「きかい」なるものに関係していることは、もう疑いない。隆房はそう思った。

「うん。そう言ったよ」

これも運命だ。千寿は覚悟を決めた。血は水よりも濃いはずが、この時千寿の目に見えていたのは、天下に覇を唱える兄・昌興の姿ではなく、妖艶すぎるナルシスト・陶隆房だった。

「これから先は、兄上のことは忘れる」

千寿は何のためらいもなく言った。

「隆房様と共に、天下を統べる!」

隆房の心の中で、「隆房様と共に」は多分、「隆房様の許で」に置き換わってしまっていることも、千寿は百も承知であった。