第四十九話:疾風怒濤

隆房が出ていった後、千寿はようやくゲーム機を取り出した。

すぐにも大除城を難攻不落にしなくては……。

(……?)

その時、地図画面を見た千寿は何やら、現在進行形で動いている部隊を発見した。それが、肥前・少弐家の勢福寺城に向かっているのをみた千寿は、不審に思った。そもそも、この周辺には隣の筑前に大内家の立花山城があるくらいで、残りは、小城ばかり。そのため、合戦を起こすような勢力がいることが不思議だったのである。軍勢を調べると、何と五万の大軍である。そして、大将は敷山隆邦であった……。

(嘘!? 五万とか……。捏造しなければあり得ない……)

慌てて、例の高祖山を見た。先日山田が現れた時、彼らもまた「捏造大名家」だという話は聞いた。しかし、どうということもない小城だったので、気にも留めていなかったのだ。

ところが、何と、いつの間にか全ての数値が最大になっているではないか……。千寿が捏造を加えていない以上、これらの数値はこの敷山家が自然に、実際にこれだけの堅固な城を築いた、という事になるはず。そんなに沢山の金や人手があったのだろうか? そう思って、詳しく拠点のデータを見ると、何と、全ての数値がカンストしていた……。

(機械が壊れた……)

千寿はそう思った。何かの間違いで、データがおかしくなったのだろう。しかし、このような捏造一族などに大きな顔をされては困るのである。千寿はそそくさとこの高祖山の数値をゼロに戻した。これからも、このような故障が起っては困る。つぎに山田が来るのはいつだろう? 文句をつけないと。そんなことを考えつつ、大除城のデータを捏造してからゲーム画面を閉じた千寿であった。

肥前・某所

見たこともない家紋の旗印が掲げられた陣営の中で、ちょうど軍議が行われているところであった。中央に腰掛けているのが大将であろう。まだ三十前と思われるが、口ひげを蓄え、何やら威厳のようなものを感じさせた。

それもそのはず。この男は、この若さで、一門を率いて立つ総大将にして、当主の敷山隆邦その人であった。その場に控える武将達もそれぞれが厳めしく、いかにも武勇に優れた猛将揃いと言った感じ。有川家の面々も武骨者揃いだが、ここもまるで同じ状態。しかし、雰囲気は微妙に違っていた

「勢福寺、獅子ヶ、肥前鹿島、伊万里全て取る」

隆邦が言った。

「四城全て、でございますか?」

そう言ったのは、黒い鎧に黒い兜の色白な男。隆房には敵わないとしても、この場には似合わない美男だ。

この時、新たに一人の男が現れた。

「兄上、そのくらいで終わるなどとお思いで?」

一同が一斉にその男を見た。

朱色の陣羽織を身に纏ったその男が場に加わると、陣内の空気が一変した。

ま、まるで、絵に描いたような美男子だ。

この男が「兄」と呼んだ先の美男を遙かに上回る端麗な容姿。兄のほうはいっぺんで霞んでしまった……。

恐らくは、あの元祖ナルキッソス・陶隆房も、人によってはこの男には敵うまいと感じるかもしれない美貌。しかし、こちらには、隆房のような妖艶さは欠片もなく、そのかわりに、眼光鋭い策士の趣があった。そして、「多分」、義隆や千寿との愛欲に溺れた隆房には、そのせいで女達に嫌われる、という悲しい宿命があったが、恐らくこの男にはそんな物はないであろう。

その冷酷なる眼差しは、美しくはあるが、生涯に一度も笑ったことがないのではないかと思わせる、氷のような美貌だ。恐らく、義隆の寝所に仕えるなどということは無理であろう。

「おお、帯刀、待っていたぞ」

隆邦がその男を自らの脇に迎え入れる。

「どうであった?」

「大内、大友、有川、どこも動きはありませぬ」

「おお、そうか。では、気兼ねなく進軍出来るな。それで、四城で終わらぬとは?」

「我らが五万の大軍を前にして、これらの小城などたたくまでもなく落ちます。よって、軍勢を三つに分け、一度に三方面に向かいます。一軍は殿率いる三万の軍勢で、村中城を落とし、残り二軍はそれぞれ、叔父上と兄上に大将となっていただき、一方は先程の四城を攻め少弐・龍造寺を、もう一方は大村、日之江に向かい有馬家を潰します」

「な、何と、三方同時に攻撃を、と? しかし一万で四城を落とすなど……」

居合わせた高齢の武将が驚いて口走った。

「ふん、このような腰抜けども相手に、一万の兵など多すぎるくらいだ」

「補給路はどうするのだ?」

兄と呼ばれた美男が口を挟む。

「勿論何の問題もございませぬ。シュトゥルム・ウント・ドラング」

怪しい南蛮の言葉を口にした後、氷のような美男の口元が、何やら、全てを「嘲笑」するがごとく僅かに動いた。

「まさに疾風怒濤のごとく攻め、この勢いで九州全てを支配下に入れます。必要なのは進軍にかかる時間、くらいなものですかな」

しかし、シュトゥルム・ウント・ドラング(Sturm und Drang)は、ドイツの劇作家・フリードリヒ・マクシミリアン・クリンガーが1776年に書いた戯曲のタイトルに由来しているはず。疾風怒濤はその訳語として用いられたのだ。16世紀に生きるこの男が、たとえ南蛮人と交流があったとしても、18世紀後半の言葉を知っているはずがない……。