第四十七話:髙祖山鳴動す

有川家は周防・長門・石見・出雲・伯耆・備中・豊後を制圧。そして、千寿の命令で将軍家と朝廷に根回しをしていた相良のお陰で、正式にこれら七カ国の守護に任命された。

この時代、幕府の権威はあってないようなもの。元々正式に任命された守護がそのまま守護大名として、生き残っているケースもあるが、力を付けた配下の守護代などが所謂戦国大名として独立し、勝手に肥大化していた。

しかし、付け届けを怠らねば、こうして将軍家の覚えもめでたく、有名無実化した権威を振りかざし、きちんと手順を踏んで、「正式に」任命してくれた。これは、それこそ、どこの馬の骨とも分らぬ扱いであった「捏造大名家」有川家にとっては願ってもない事である。

その年の新年には家臣たちが山口に集まり、これらも含めて、お家の繁栄を称えるために盛大な年賀の儀が執り行われた。

「いや、めでたい。これで、殿も『御館様』となられるわけですな」

徳山隆幸が豪快に笑った。今は、美作・津山城の城主である。新年の挨拶に遥々駆けつけていた。

守護となれば、「屋形号」というものが許され、かつての大内義隆よろしく「御屋形(館)様」と呼ばれ、配下の家臣もまた、烏帽子・直垂の着用を許されるのだ。

「いや、呼び方などどうでもいいわ。そもそも、ここには『守護館」などないではないか」

昌興は関心なさそうに言った。確かに、家臣たちも含め、そのようなことにこだわる者はこの家には皆無であった。そして、皆は守護館=大内家の公家館を想像していたから、あまり好ましい印象がない。そして、御館様という呼称で思い浮かぶのもまた、大内義隆その人であった。

しかし、まあ、めでたい席であるので、昌興はじめ、家臣一同、慣れない烏帽子・直垂姿で盛装していた。

「いやあ、誠にめでたいですな。これで当家の威光も中国全土に広がっていくことでしょう。いずれは、日の本じゅうに……」

昌典も珍しく、満面の笑みである。それもそのはず、すでに「一門衆」として取り立てられ、元々の本拠地の宇部を任されていたところに、今は豊後の元・大友家の城も拝領していた。

「うむ。そなたには、今後、この山口の経営も任せたいと思っておる」

「な、なんですと!?」

昌典は珍しく、大声を上げていた。

「わしは月山富田城に移るつもりだ」

確かに、これから残りの中国の城を落としていくには、そのほうが近い。思いがけず、今は本拠地となっている山口城をもらえると聞き、昌典は大喜びである。しかも、昌興の話にはまだ続きがあった。

「今後も九州の戦についてはそなたに任せる。落とした城については、『切り取り自由』とする」

「き、切り取り自由……」

要するに、自ら落とした城については、当主の昌興による加増や転封の指示を待つことなく、すべてそのまま自分のものと出来る権利を認められたのであった。さすがの昌典もこれほどの厚遇を受けて、この時ばかりは、兄への感謝の思いに打ち震えた。勿論、例の造反フラグはとっくに消えていた。

他にも、他家から投降してきた一条恒持・辰子夫妻や、内藤興盛、尼子国久など、それぞれ働きに見合っただけのものをもらい皆、心から喜び、昌興への忠義は更に厚いものとなっていた。