山吹城の伊秩祐兼の元に、有川家の密使が訪れた。「密使」なだけに、文字通りの忍びの者であった。

かつて、岩国忍者砦の頭であった岩国蔵人。現在は弟弟子の鷹丸と共に有川家に召し抱えられて、忍者としての本領を発揮し、密使や斥候として大活躍していた。

「主からの書状をお持ちしました」

祐兼はそれに目を通すと、すぐさま蔵人の前で火の中にくべた。

「委細承知した、とお伝えくだされ」

「分りました。では明朝一番で攻め寄せますので」

そう言い残して、蔵人は夜の闇に消えた。

翌朝、約束通り、有川家の武将が千人くらいの兵士を率いて現れた。

どうでも良い任務なので、名もない武将である。

そして、一団は山吹城の半壊した城壁を越えて城の内部に侵入。途中、城に籠もる尼子軍の「抵抗」に遭った。

両軍は壊れた壁を挟んで「対峙」しており、互いに弓矢を放っていたが、それらは申し合わせたように、誰もいない方角へと飛んで行った。

これ以上付き合いきれないので、種明かしをすると、要するに伊秩祐兼と配下の兵士らは、有川家の猛攻に最後まで抵抗したが、善戦空しく城は落とされ、敵方に捕らわれてしまった、という芝居をやって欲しかったのであった。

それは、未だに座して死を待つ状態の尼子家に忠誠を誓い、てこでも動かない息子が、自らの投降によって主に疑いをかけられぬようにするためであった。と言うと、聞こえが良いが、実際にはそのような噂で自らが「裏切り者」の烙印を押されるのを多少なりとも抑えられれば、と期待してのことだった。

まさか、尼子十旗が悉く投降しており、自らの投降もそれに紛れて印象が薄くなった、などとは夢にも思わなかったのである。

突然の大地震で見るも無惨に崩壊した、「難攻不落の堅城」・月山富田城。

当主・尼子晴久は兵糧と金子までもがなくなっている、という報告を受け、呆然とした。

「ここはもう、開城するよりほかないでしょう。すぐに使いをやって和睦しましょう」

白髪の老臣が言った。乃木久盛。伊秩祐兼と並んで、家中の政務を取り仕切っていた人物である。孝盛と直盛という二人の息子とともに、主に忠誠を誓っていたつもりだが、まさか、嫡男の孝盛が、敵側に内通していた、とは。しかし、あの地震騒ぎで、久盛はもちろん、ほかの誰一人として、まだそのことに気付いていなかった。

「和睦? あの戦馬鹿の有川昌興は、総攻撃を仕掛けてきておったのでは? 和議など結ぶ気はさらさらないはずだ」

「その通りです。大体、これほどの大地震、敵側にも被害が出ているのでは?」

晴久の脇に控えていた女が言った。何と、あの一条辰子同様の女武者であった。しかも、その美貌はこちらのほうが明らかに勝っている。何やら妖艶な美女だった。

「沙希様の言うとおり。先ずは、様子を見て参れ」

晴久は言ったが、気休めに過ぎないことは分っていた。敵は、城門付近から侵入を試みていた段階だから、瓦礫の山と化した城内にはまだ入って来ていなかったはず。それに、仮に何らかの被害が発生していたとしても、この崩壊し、兵糧も尽きた城でこれ以上何が出来るのか? 思いつくのは城を棄てて逃げることくらいだが、数万の大軍に囲まれてどうやって逃げるのだ?

一体有川家というのは何者なのだ? つい最近までは、その名前すら聞いたこともなかったではないか。恐らくは、長門の国人衆であろうが、元々周防長門は大内家の盤若にして強固な領国。配下の国人はことごとく被官化されていたはず。最近流行りの下克上というものか。大内義隆のような無能な輩が当主におさまるからこんなことになったのだろう。それに引換え、この身は謀聖・尼子経久の孫。あんな公家趣味の臆病者とは違い、尚武の気質に溢れた名君なのである。それなのに、こんな地震のせいで、戦うこともできずに城を明け渡すことになるなどとは。

これまた、ある意味隆房や江良とは微妙に違う自己陶酔の世界に入っていた尼子晴久。いや、もう、まともな者でもおかしくならざるを得ぬ事態なのだから、これをもって奇人変人扱いは出来まい。