[br num="1"]さて、何だかんだで、昌興が帰国するまで、山口でぐずぐずしていた陶隆房。
そこへ、若山からの使者が。

「岩国は未だ落ちませぬ」

例の、岩国の忍者砦とやらは、弘中隆兼に兵五千を率いて討伐に向かわせてあったが、たかが忍者の砦に過ぎぬというのに、いつまで経っても「落とした」との報告がない。一体何をしているのか? 憤懣やるかたない隆房の前で、使者はもう一つの報告を告げた。

「奥方様が、ご懐妊召されたよしにございます」

「何?」

義隆とは違って、隆房の「子作り」はいたって順調であった。すでに嫡男が生まれており、今度は二人目の懐妊となる。

「もうよい、戻れ」

隆房は使者を返した後、暫し考え込んだ。

あれ以来、千寿は自分を避けている。奥方を追い出せ、などととんでもない条件まで突きつけてきた。何もかも、例の山田とやらが要らぬ知恵を付けたせいだが、そもそも、自分には既に息子もいるし、妻は第二子を妊娠中である。ここは、息子ともども形だけ実家に戻したところで、陶家の血統は既に守られている。

隆房の妻はかつての大内家の重臣・内藤興盛の孫娘であったが、興盛は今は昌興の家臣となっていた。居城の指月城は、いの一番に降伏し、昌興の元でもそのまま城主を続けていた。政務に通じているおかげで、新しい主の覚えもめでたく、たいそう信頼されていたし、興盛のほうでも、この主を慕っていた。

しかし、隆房はやはり、昌興の自分への待遇が不満であった。何故なら、内政向きでない隆房は合戦に出て目の覚めるような活躍をして然るべきなのに、昌興自身が良いとこどりのこの家にあっては、隆房はその陰に埋もれてしまっていた。

しかも、昌興の周辺は、既に数多の合戦で生死を共にしてきた譜代の諸将が取り巻いていたから、合戦に同伴できるのは、それらの者たちばかりであって、隆房は訳の分からない忍者砦の制圧などに回される始末であった。このままでは、大内家にいた時のほうがマシではないか。

さらに、頼みの綱である千寿は、まだほんの子どもで何の発言権もない上、あのような我儘勝手な性格であったから、この陶隆房の「所有物」であるという自覚が全くない。しかし、今ここで千寿に去られては、それこそこの家の中で孤立無援となってしまう。

「隆房様……」

千寿の声が、隆房の物思いに割って入った。

とうとう、我慢できなくなって戻って来たか。隆房が振り返ると、千寿はごく自然にすたすたとその隣までやって来た。

「死んだ母親の事を考えてた……」

千寿はぽつりと言った。

「母親?」

「そう、婢の事。ねえ、婢って何? どんなもの?」

隆房は眉をひそめた。

「誰がそんなことを?」

「昌典兄上。それに皆。教えてくれなくていいよ。身分の卑しい女の事だよね?」

「そんなこと、二度と口にするな。良いな?」

「でも、本当なんだよ。しかも、相当に不細工な女……」

隆房は思わず吹き出した。一体なぜ突然こんなことを?

「今ね、兄上に会ってきたの。そうしたら、急に、お前の死んだ母親の事を思い出したって。器量よしだったのか、って聞いたら。『器量よりは気立ての良い娘であった』だって」

千寿は昌興の口調を真似て言った。隆房は可笑しくてならない。

「機嫌が悪いと思ったら、そんなことか」

「どうせ、千寿は隆房様や兄上のような美男ではないよ」

「何を言うか。お前の母上ならば、きっと傾城傾国の美女であったに違いない」

「何? けいせいけいこくって?」

千寿は口を尖らせた。いつの間にか、二人の間の距離は縮まって、ほとんどぴったりとくっ付いていた。

「お前の母上には感謝する。母上がいなければ、お前はいない。我らがこうして出逢うこともなかったのだからな。違うか?」

「……うん。そうだね」

隆房はごく自然に、千寿を抱き寄せた。千寿もまた、それを拒むことなく、されるに任せた。あれほど意地を張り合っていたはずが、どちらともなく、正式に謝罪することもないまま、二人は元に戻ってしまった……。