約定
どこまでも続く深い闇の中で、我は一人彷徨っていた。
その先にぼんやりと人影のようなものが見える。この、光が差さぬ暗闇の中で、それはゆらゆらと揺れるように、蠢いていた。近づくにつれ、それが艶やかな公家装束の稚児と知れる。そして、よく見知ったその顔が朗らかに笑う。光でも放っているのか、千寿の姿は闇の中に浮かび、我を手招きしている。
我は、それに、引き寄せられるかのごとく近づいて行き、やがて互いを隔てる距離は次第に短くなった。
「五郎様、一体いつまで待たせるの? あいつを殺して、って言ったよね?」
久々に、愛しいその身を我が腕の中に納め、その恐ろしい恨み事を聞く。
「花見の宴はもうすぐだよ……間に合うの?」
主を殺す、と千寿は言った。それを、止めろ、と我はいさめた。主を殺すのがいけないのではない。自らその手を汚さずとも、我が仕留める、と。その刻限はつぎの花見の宴がもよおされるまで。
「待っているよ。きっとだからね」
そう言って、千寿の姿はふっと消えた。まるで妖のようであった。
「待て……」
暗がりの中には、もう何も見えない。残るのは、ただただ、闇ばかりである。
「どうかなさいました?」
脇で横になっていた妻が声をかけてきた。
我らは床の中で、睦言を交わしていたのである。
「何やらうなされておいでのようでしたが……」
「いや、大事ない」
まさか、主が寵愛する童子のことを夢に見た、とは言えぬ。
妻は重鎮・内藤興盛の孫娘。名門同士の婚姻であった。生まれてくる子は、まぎれもない高貴な血筋。我が将来には何の憂いもない。
しかし、千寿との約束が、耳の中でこだまする。
——ねえ、あいつを殺しちゃおうよ。
——もしも、約定を違えたら、千寿は永遠に取り戻せないよ。
夢の中で、千寿は毎晩のように、我が腕をすり抜けて行った。未だに「約定」を果たせておらぬから、あれ以来、会う事が叶わない。
年の瀬が近付く頃。つぎの花見の宴までは、事を起こすには足りぬが、それまで、千寿に会えぬとなれば、余りにも長すぎる時間であった。
——二人が会うには、あいつは邪魔なだけでしょ?
しかし、弑逆の大罪などそう容易く行えるものではない。未だに、何一つ、準備は整っていない。いや、そもそも「その気がない」というのが正直なところか。憎んでおり、邪魔ではあったが、まさか主を手にかけるなど……。
だが、千寿を失いたくはない。そのためには、願いを聞き届けてやるしかないのだが。 主を手にかけずとも、千寿を我がものとすることはできぬだろうか?
我はそんな都合の良いことを考える。
「恩賞下賜」
その四文字が目の前にちらついた。
主は「恩賞」として、「何でも望みの物を与える」という約定を、安易に連発する。たいていは、公家を招いての宴席などで、お気に入りの取り巻きたちに渡し、あるいは、名だたる重臣らにばらまかれる。
だが、時に戦の前など、手柄をたてたら「何でも」望みの物を、と評定の席でも平気で口にした。大切なのは、宴席にしろ、評定にしろ、多数の者がその言葉を聞き、この「約定」の証人となってしまうという点だ。
西国一の大大名家の主として、多数の家臣の面前で、一旦口にしたことを、反古にはできない。そう、これを利用して、千寿を「下賜」させる。そうすれば、弑逆の罪を犯さずとも、千寿を手に入れる事ができるではないか。
父の死により、十九で家督を継ぎ、この若山の城主となるまで、主の寵愛を得ていたのはこの隆房だ。さすがに寝所のことはもうなかったが、あの男は金銀財宝を下賜し、必死にその心を繋ぎ止めようとしていた。
我が御前を去るのと入れ違いに、千寿がその役に就いた。すると、今度はそれらの財宝の山は、すべて千寿のもとに下賜されるようになった。家宝だけではない。御前を離れることなどないのに、山口城下に豪勢な屋敷を賜り、家来や下働きまで数えきれぬほどの人手もつけられていた。千寿の兄も、重く取り立てられたし、名ばかりとは言え、官位すら与えられる始末。
恐らく、この寵愛ぶりは、当時の我のそれを凌ぐほどであろう。だから、目下主のお気に入り筆頭の文官・相良武任のような男まで、主の寵愛第一の小姓に媚びへつらっている。
残念ながら、主がこれほどまでに寵愛する千寿を、手放すとはとうてい思えない。しかし、戦の一つでもあったなら、恩賞下賜の約束を取りつけることができるはず。ちょうどいい塩梅に、山陰を統一して南下の動きを示す尼子家との間には戦が絶えない。その機会はいくらでもある。
我らが大内家は尼子家の安芸頭崎城を攻めること数年に及んでいたが、当初、九州で少弐家とも交戦中であったことから、主軍を九州に置いていた当家は苦戦を強いられ、未だ決着がついていない。
公家趣味の主は、朝廷から与えられる「官職」に異常な程に執着し、凄まじい勢いで「寄進」を繰り返していたから、大宰大弐への叙任に関しては、朝廷に途方もない額の金銭が流れたという。しかし、そのおかげで九州侵略の「大義名分」を得ることが叶い、六年もかかった九州での戦いもようやく終息し、北九州一帯が大内家によって「平定」された。
そこで、いい加減に尼子家との小競り合いに終止符を打とうと、主の義隆自ら出陣し、防府に本陣を置いた。天文九(1540)年一月の事であった。
そう、戦が始まってしまったせいで、その年の花見の宴は行われなかったのである……。約定は「つぎの花見の宴がもよおされるまで」であったから、宴そのものがないのなら、刻限は当然先送りとなるはずだ。陣中にあっては、千寿と会うことは叶わぬから、その意を確かめる術はなかったが。
その後大内軍の本陣は岩国に移されたが、我は本軍から別れて吉田郡山に向かった。尼子家の侵攻を受けた属国毛利家の救援のため、兵を率いていくことを命じられたのである。
尼子家は、大内家の援軍を得た毛利家に敗れて撤退し、我らも兵を引いた。安芸の国から尼子家は駆逐され、主はことのほか満足したのだが、一方の我は不服である。主の称賛の言葉など何の足しにもならない。
そう、「恩賞下賜」の沙汰はなかったのである。
寵臣
桜の花のつぼみが膨らんできた頃。登城した折、回廊にて見知った傍仕えの小姓と行き会った。すれ違いざま、何やら手渡される。見れば小さく折り畳まれた文であった。
「会いたい」
よく見知った、流麗な文字で、そう記されている。
しかし、その後に続く内容に、我は暫し呆然とした。
常ならば、逢引の場所は書庫と決まっていた。しかし、此度こたびはその場所が異なっていたのだ。
文に記された約束の場所に向かうと、千寿が何やらほかの男と話しているのが見えた。
「望みを叶えてくれたらなんでもしてあげる。あの、陶って男を蹴落としたいって思っている事、全部知っているよ」
千寿の声は良く通る。二人がいる四阿からはかなり離れていたが、そう言っているのがはっきりと聞こえた。相手の男はこちらに背中を向けているから、何者かは分からない。しかし、背格好と、庭園の中まで入り込んでいる事から、大体の想像はつく。
御館……いや、義隆の傍に張り付いているあの相良武任に間違いない。
千寿はその視界に我が姿をとらえたところで、これ以上ない艶やかな笑みを浮かべた。
「お願い……御館様はこのところ、ずっとお方様の所へ入り浸っている。寂しいの……」
これは一体? 我には最初、その真意がはかりかねた。
相良がその欲望に耐え切れず、今にも手を出そうとしたところで、それ以上は放置できず、その場に踏み込んだ。
「何をしている!?」
我の声に驚いた相良は、その場で腰を抜かした。
「ああ、陶様、今相良様が、わたくしに乱暴狼藉を働こうと……」
千寿はまたしても、はらはらと珠の涙をこぼしている。
「い、いや、その……それがしは、千寿殿に呼ばれてここに……」
相良は見苦しく、その場を取り繕おうとしていた。恐らく、謀られたのはこの男のほうであろう。
「この不埒者を御館様に突き出してくださいませ」
泣きじゃくる千寿に、相良は汗だくになっている。最近、この提灯持ちは主に気に入られ、御前に張り付いていたから、傍若無人にふるまい、家中でも忌み嫌われていた。ここで、こんな汚点が付けば一生が台無しになるどころか、命すら危ういだろう。
相良はその場に這いつくばって、我と千寿に許しを請うた。
「その、これには誤解が……どうか、この場はお見逃し下され」
「ふん、犬めが。失せろ」
そう一喝してやると、相良は四阿を転がり出て、這う這うの体でその場から逃れて行った。
「つまんない……」
千寿はぼそりと言った。
見れば、その髪はやや乱れ、衣服も半ばはだけている。
「このままあの男を突き出していたら、邪魔者が一人消えたのに」
「何を言う。御館様は気まぐれだ。もしも、あの男の言い分を信じたら、お前のほうが危ない」
「あいつ、目障りだから」
千寿は平然と言った。
「『寵愛』にも、色々あるんだよ。『御館様』は確かに美しいものがお好みだけど、あんな醜男でも、美辞麗句を並べ立て、ご機嫌を取ることが上手ければ、気にいられ、目をかけられる。毎日毎日、五郎様の悪口を言っているし。先ずはあの男を血祭りに上げたら良いと思ったのに……」
千寿の言う通り、主はこのどこの馬の骨とも分らぬ男を「よろず才覚人にすぐれ」と気に入り、傍に置いてあれこれと政務の手伝いをさせている。我が十七で従五位下に叙位されると、同じ年にこの相良も従五位下に叙位された。つまり、ほぼ時期を同じくして、同等の待遇を受けるほどの寵愛を得ているわけである。ただし年は二十三も上であるから、当然我と十四違いの主よりも更に年上であり、そういう「寵愛」はない。元々、右筆・奉行人として仕えていたが、主はこの男を信頼し、評定衆にも加える始末。そうやって御前に侍る機会を用い、我に関する讒言を繰り返しているのだ。
「寵愛」を得る事、そしてそれを繋ぎとめることの難しさは、我も身をもって知っている。主の身の回りに侍る寵童たちは、その容姿の美しさで選び抜かれた者という点では同じでも、その中で、寵愛第一になれるかどうかは、外見だけではないのである。だからこそ、我も千寿も、常に努力を怠らず、気を抜く隙もなかった。
殊に、「血筋」に問題があった千寿は、我などとは比べようもないほどの努力を重ねたことであろう。見目麗しいだけでなく、賢くもあった千寿は、主の身の回りの世話だけではなく、政務も手伝っている。僅か十幾つの童子と言え、書庫にある兵法書を全て諳んじる聡明さ。更に、大人にも真似できぬほどの流麗な文字を書く。時に、主の書状を代筆し、また、一々目を通すのも煩わしい訴状を、その傍らで音読して聞かせているとか。もう相良のような右筆は必要ないくらいなのである。
こうして、常に主君の傍らにある千寿は、その手に渡る書状全てに目を通し、相良らのくだらぬ追従から、我を陥れんとする讒言まで、一言一句漏らさず耳にしていた。そのお陰で、相良を頭とした、文官どもの悪だくみは、我には全て手に取るように分かるのだ。
先の吉田郡山での勝利を契機に、我は度々出雲への遠征を進言し続けているのだが、相良らの反対にあって思うに任せない。今度こそ抜かりなく「恩賞下賜」をとりつけようと思うのだが。
確かに、今の美人局まがいで、あの男を片付けてしまうのも良かった。だが、事はそう簡単ではない。相良の背後には、大勢の重臣がついていたし、そもそも、主自らが、戦嫌いであった。
「早く殺してよ」
あの馬鹿者が姿を消したのを見届け、千寿は、半ば軽蔑したかのような口調で言った。
「何を躊躇っているの? あいつをやるのが嫌なら、千寿を殺してくれても良いんだよ?」
「刻限まで、まだ時がある……」
千寿は言い淀んだ我をその場に残すと、衣服を整え、乱れた髪をなでつけてから、すっと立ち上がって、四阿を出て行く。
「待て」
「この上、何かご用でも?」
そう言って、一瞬振り返ったその顔は、何やら悲しげであった。 事が成るまでは会わぬ、という約束のはず。ゆえに、今はただの寵童と寵臣である。それがただ、庭園の中ですれ違った、そういう事だ。
そして、その美しい稚児姿は、無情にも我が視界から消えた。
花宴
そうこうしているうちに、約束の刻限が近付いてきた。
一度だけ、「会いたい」という文を受け取り、書庫に行ったが、千寿の姿はなかった。
そして、我らは遂に、その日を迎える。勿論、何一つ備えはしていないし、千寿が主を殺めた、という恐ろしい知らせを聞くこともなかった。
満開の桜の木の下で、主立った家臣とその子弟、属国の当主、それに、京から招かれた公家達、といった客人と共に盛大な酒宴が執り行われた。主の傍らには、美しく着飾った千寿の姿もある。我らは、一度だけ、互いに視線を交わしたが、千寿は我を避けるかのように、さっと目を逸らした。
普段は言葉を交わす機会も少ない、遠隔地の城主や、属国の当主らと言葉を交わし、主の義隆はたいそうご機嫌である。しかし、いつの間にか、千寿の姿が見えなくなった事が気掛かりで、我には杯を重ねる余裕もなかった。
宴もたけなわという頃、一堂はほろ酔い加減の中、雅な管絃の曲とともに、「陵王」が舞われるのを見た。緋色の衣を身に纏い、冠には桜の挿頭の花を挿し、可憐に舞い踊るその稚児は、紛れもない千寿であった。美しくも妖しいその姿に、心を奪われた者は少なからずいたはず。
いつの間に、このような舞楽を学んだのか? 主は賢い千寿が一を聞いて十どころか、百も千も知る、と自慢したくて仕方がないのだろう。
無論、美しい者を美しいと思うのは、偽りなき感情であるが、問題は時に、いかがわしい事を思いつく輩も出る、ということである。
そして、この席では、それが、京から招いた公家の一人であった。
「近う寄れ、褒美を取らそう」
舞楽の後に、くだんの公家は、
「先程舞を舞った稚児」を「所望」した。主は自らの大切な宝物を見せびらかすために、無防備にも、望み通りに千寿を公家の御前に行かせて、酌をさせた。
「ふうむ。何とも雅な……名はなんと申す?」
「……千寿と」
好色な公家は早くも千寿の手を掴んでいた。太鼓持ちの相良がこのまずい状況に気付いて止めに入ろうとしたが、それより先に、千寿は公家の腕を振り解き、淡々と言った。
「お許しを。主の御前に侍る身分にございますれば」
「おお? そうでおじゃったか。それは相済まぬことをした。許してたもれ、大内殿」
公家は周囲の白い目に気付くと、照れ隠しに笑ってごまかし、杯を干した。
これらの一部始終を目にしながらも、我には勿論、主に意見することも、下品な公家を非難することもかなわなかった。ただ、同じ席で不甲斐ない己を恨むばかりである。
日も暮れた頃、館の中に場所を移して無礼講となったが、主の脇に千寿の姿は見えなかった。長いこと馬鹿らしい宴に付き合わされ、疲れ果てた我は暫し席を立ち、館の外へ出た。すると、向かいから顔見知りの小姓がやってきて、すれ違いざま、何やら我が手の中に押し込んだ。
見れば、例のごとく、短い文であった。「会いたい」とある。
この短い四文字に、我は何やら常とは違う胸騒ぎを覚えた。会わぬ道理はなかった。
天文十一年(1542年)一月十九日。
主の義隆は遂に出雲への遠征を決意し、大軍を率いて山口を出立。この日、厳島神社にて、戦勝祈願をした。その折、社端の大樹の葉がざわめき、何やら耳元で囁く声を聞いた気がした。
――五郎様
千寿の声のような気がしたが、恐らく空耳であろう……。
――傍にいるからね
一人物思いにふける陣中で、また、同じ声をきいた。辺りを見回してもやはり誰もいない。
千寿の艶やかな姿は夜ごと我が前に現れた。しかし、夜が明ければそれが夢であると知れ、嘆く事しきりであった。 ある日、毛利元就と轡を並べて、どうでもいいことを談笑しているときに、元就の背後から、また例の声が聞こえた。
――馬から落ちろ!!
すると、本当に元就が無様に落馬したのである。
「お怪我はござらぬか?」
そう声をかけて、助け起こすと、元就は照れ隠しに笑っていた。武士が落馬など恥ずべき事。これでは面目丸つぶれである。
――五郎様、馬鹿なの? 殺してやるから……。
またもその声を聞いた。不審に思って周囲を見回す我に、今度は元就が訝し気に問うてきた。
「いかがいたしました?」
「いえ……なんでもございませぬ」
そう答えたが、どうも千寿の声であったような気がするのだ。
出雲への道中、一人馬を停め、そっと愛しい名を呟いた。
「……千寿」
――いつも隣にいるよ。この先も、ずっと一緒だからね。
そんな声が聞こえるのを期待したが、ただひたすらに風の音が聞こえたのみである。
最終稿完成:2019年09月05日
掲載:「ノベルデイズ」「千寿のモノローグ」「五郎とミルの部屋」等。
今回再掲載で元のドメインに。