第一章:発端
この作品は完全なるフィクションであり、いかなる実在する人物、地名、出来事とも一切無関係です。

恐ろしい囁き

「ねえ、殺しちゃおうよ……もう、これ以上我慢できないよ」

我が腕に抱かれた童子が、上目遣いに恐ろしい言葉を囁く。

「だって、二人が会うのに、あいつは邪魔なだけでしょ?」

「あいつ」というのは、主の大内義隆のことである。かつての我と同じく、その「寵」を受ける身である千寿には、それが堪えられない。しかし、「主君を殺す」という物騒な言葉を聞いても、我には何の後ろめたさも恐怖もなかった。

確かに、「あの男」は邪魔であった。

周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前6か国の守護職である大内家は、まさに西国一の大大名。西国ばかりか天下に覇を唱えることすら夢ではない。先代の義興公は文武両道に優れ、将軍家の後見人として文字通り「天下人」に最も近い名君であったときく。我が父も常にその傍らにあり、共に各地を転戦した。

まだ幼かった我には先代のお姿は殆ど記憶にないのだが、亡き父の昔語りを聞くたびに、どう見ても今の戦には不向きで公家趣味な主とは違う、と感じたものだ。我が十七の時、将軍家は先代と同じく、現主にも幕政への参画を要請してきたが、「領国経営に専念したい」旨を楯として上洛を見送った。実際には、隣国尼子家に阻止されたのだが、言葉を換えれば、それを突破するだけの力がなかったのだ。こんな無能な主に大国の行く末を任せて良いものか、との思いは常につきまとう。しかし、だからと言って、その替わりになる者がいるわけではない。主が無能であるということは、「お家が不運」と諦めるよりない。

だが、我らはこのような「お家」の行く末になど興味はない。ただひたすら、二人だけの時間が永遠に続くこと、それだけが望みである。そして、その望みを叶えるために、邪魔なのがたまたま「当主」であった、そういう事だ。

千寿は今、御館様、いや、義隆の寵愛を一身に受けていた。かつての我がそうであったように。ゆえに、二人してこのような忍び逢いを続けることは命に係わる大罪であった。千寿があの男の「持ち物」である以上、ほかの者が手を付けることは決して許されない。我らが逢瀬は、常に命懸けなのである。

しかし、主は無能。その周辺に侍らせている者たちが、悉く我らと「通じて」おり、便宜をはかってくれている、など、露ほども気づいてはいない。今も、書庫に書物を取りに行く、という千寿の言葉を信じ、平気で御前から下がらせた。行先は確かに書庫だが、そこでこのような大胆不敵な行いが進行中とは夢にも思っておらぬはず。

「しかし、どうやって殺すのだ?」

我の問いに、千寿は平然と恐ろしいことを口にした。

「寝首を掻く、に決まっているでしょ? 容易にして確実」

義隆の寝所につとめる千寿なら、確かに「容易にして確実」である。しかし、その後のことを何も考えてはいない。あの男はそれで仕留められるかもしれないが、千寿、お前はどうなるのだ? 主を手にかけたことはすぐに知れる。自らの命が危ういではないか。

「五郎様が何を気にしているか分かるよ。でもね、仕方ないよ。あいつが死ねば、もういやらしいことをされる日々からは解放されるもの。それで十分。後の事はどうでも良い」

「賢いと思っていたが、やはり子供なのだな」

何やら涙が潤むその瞳を愛しいと思いつつ、我はやや見下した眼差しを向けていた。千寿はそれに気づいて、口を尖らせる。

「あのね、あいつが死んだあと、どうなろうとも、そんなことはもう気にしないよ。五郎様に累が及ぶことはないから、安心して。兄上には及ぶかもしれないけど、いい気味」

麗しの稚児

千寿の「兄上」は我が従兄でもある。しかし、何かと我とは馬が合わぬ男だ。そして、千寿とは不仲であった。まず、母親が違う。我が叔母の子である千寿の兄と、叔母に仕える下女だった女の産んだ子である千寿とでは「血筋」が違うのだ。そのことで、蔑まれ、更に主の「寝所」に呼ばれてしまったから、「血筋正しい」兄は千寿を汚れたものでも見るような目で見ていた。

「お前の兄上がどうなろうと、我にも関わりない。しかし、主を手にかけたとなれば、お前自身の身が危うい。そうなれば、こうして会う事も叶わなくなる。それでは、何のためにあの男を殺すのか、意味がないではないか」

「いいの。死ねばもうあいつに弄ばれる日々は終わる。それだけで十分だよ」

「それでは、この、大胆な謀は、結局お前自身だけのためなのか? お前を失った我がどうなろうとも、そのことはもう、関係ないと?」

「そんなはずないよ……」

千寿の目から次々と珠の涙が零れ落ちる。

「五郎様と一緒にいたい。あんなやつのいないところで、いつもずっと傍にいたい。そう思っている。でも、無理だもの……嫌でもあの男の寝所でいやらしいことをさせられる……だけど、もう我慢できないの。千寿を好きにしていいのは、五郎様だけなの。だから……たとえ、この身がこの世の者でなくなっても、いつも必ず傍にいることができる、そのほうが良い……」

千寿はここで泣きじゃくり、それ以上は言葉を続けられなくなった。「この世の者ではない」身になって、それでもこうして会う事ができるものか。この、何よりも美しく、愛しい者を失うわけにはいかない。ここは何としてでも、思い止まらせなければ。

「良いか、あの男はただの稚児狂いだ。もう何年か我慢すれば、もうお前の事は用済み。どこぞに領地を与えられ、『一字拝領』されてそれで終わりだ。その時はいつでも一緒におられるではないか? はやまったことをするでない。分かったな?」

珍しく、千寿は激しく取り乱していた。

「だったら五郎様は、千寿にその何年かを我慢しろと言うの? この稚児姿を拝めるのは僅かな時間でしかない。千寿の今この時を、あの男に捧げても良いの!? 千寿は全てを五郎様にあげたい。そもそも、最初に何もかも捧げる相手は五郎様じゃないといけなかったのに、五郎様はそれを拒んだよね? あの男が疑り深いという理由で、最初に抱いてくれなかったよね? 何で? あんな男に忠誠を誓っていたわけではないよね? もしも、最初に五郎様の手がついていたら千寿はそれで嫌われて、もう御前の御用はなかったかもしれないのに……」

我は思わず溜息をついた。今この時は儚くも短い。我も己の「美しくも短い」その瞬間を、全てあの男に吸い取られてしまった。今更それを嘆いても詮無き事ではあったが。

兄を通じ、我らは幼き頃から面識があったから、千寿が美しく愛らしい少年に育っていくのを見て、あの男に囲われる身となる日も遠からぬと感じた。何しろ、家中全ての配下の子弟を調べ上げ、多少なりともその容姿が美しいものは、悉くその御前に侍らせるのが常であったから、「見落とす」という事がないのだ。

残念ながら、我が不安は的中し千寿は御前に留め置かれた。互いに慕い合う仲であったなら、そうなる前に手に手を取って他国にでも逃れるべきであったのか。しかし、我にはそれだけの覚悟はなかった。

まさか、たかが童子一人のために、家中随一の名門としての血統、若くして軍事部門の最高責任者に抜擢されたという身分、それらすべてを捨て去ることはできぬではないか。

しかし、結局、御前に上がり、己が手を離れたる後も、幼い思い人の事を忘れられず、こうして人目を憚る仲となってしまっている。

暗く、黴臭い書棚の裏に隠れて、幾度このような逢瀬を重ねたことか。あの男に大切にされたお陰で、千寿の美しさには磨きがかかり、もはやこの世の者とは思われぬほど。

そんな千寿をあの男から取り戻し、完全に己がものとしたい、我が胸の内には、いつの間にやら、そんな欲望が芽生えていた。

「とにかく、あの男を殺すよ」

千寿は無表情でそう呟いた。その眼にはもはや、勇気のない恋人には何も望まず、己一人ですべてを片付ける。それでいいよねという無言の、挑発じみた蔑みが籠っていた。

「待て。こういうことは、もう少し、じっくり考えてからにせねば……」

そう答えるのがやっとであった。

「五郎様には失望した。あの男を片付ける決心がつかないのなら、いっそここで千寿を殺してよ。ここで死ねたら、一生五郎様のものになれるもの。五郎様の手にかかるのなら本望だよ」

寵愛

何のしがらみもない、幼子というのは時に非情で、残酷である。

手にかけてくれ、というその言葉は、「主を殺せ」と言われたよりも、遥かに我を驚愕させた。それほどまでに、今の暮らしは耐えがたいものなのであろう。だからと言って、自らの命を葬り去るほどの事なのか? しかも、それをほかならぬこの隆房の手で行えと……。

「千寿にとって五郎様はこの世で何よりも大切なひと。まだ、ほんの子供だった頃、その姿を初めて拝んだあの日から、もう五郎様に見惚れていた。それから、ずっと、そのお姿を目にする機会を、毎回毎回、心待ちにしていた。

でも、五郎様はあの男のもとに連れていかれてしまい、もう千寿に会いに来てはくれなくなった……。やっと、五郎様が城主になって若山に戻ってから、一度だけ会う事が出来たけど、その時には千寿は、もうあの男のもとに上がる事が決まっていた。

もしも、お互い、醜く生まれてきていたら、こんな思いをすることもなかったのにね……。

今は、こうして、二人は一つになっている。皮肉なことに、あの男のもとで。その目を避けるようにして」

千寿はそう言って、艶やかに笑った。先ほどまでの涙は既に消えている。

「五郎様の颯爽たる姿に、館の女たちは皆、その場で卒倒する騒ぎ。それを聞いて誇らしく思ったよ。でも、その一方で、『御館様』とそういうことをする『お相手』にもなっている、という事実は、面白おかしく歪んだ形で伝わることにもなったよね。

若山に戻っていた五郎様のところに、あの男は馬に揺られて二刻半もの時間をかけて会いに行った。でも、ちょうど五郎様が昼寝をしていたから、起こすに忍びないと、その場で馬鹿らしい和歌を詠み残し、そっと立ち去ったとか。ああ、それほどまでに気に入られているのか、そう思った」

千寿はうっとりと言うのである。我は気まずい思いになった。その時の馬鹿らしい歌は今も館内どころか、他家にまで知れ渡り、語り継がれている。口にするのもおぞましい。

「こうして五郎様と会うのも至難の業。あの男さえいなければ……。その思いは久しくこの胸にあった。でも、五郎様は躊躇い、恐れすら感じた。隠しても千寿にはまるわかりだよ。だから、あいつを殺せないのなら、千寿を殺して、って頼んだ。なのに、それすらできないと」

千寿は嘲りの籠った表情で我を見ながら続けた。

「殺してくれる相手なんて誰だって同じだよ。これまで下賜された財宝の山を積めば、引き受けてくれる者はいくらでもいるはず。

館内で起こった不可解な事なんて、闇に葬るのは造作ない。誰かが適当に当たり障りないように片付けるはず。まして、千寿は名もない下女の子だもの。

でもね、好きでもない相手の手にかかるのは嫌なの」

そして、千寿はまたも、その目を潤ませる。

「少しだけ時間をくれ」

長い長いその告白を聞かされた後、我にはそれだけ言うのが精一杯であった。

「少しだけ、ってどのくらい?」

我らの間では、単に歳の差のみが上下の関係を決めていたが、ここに来てそれは完全に逆転していた。

「そうだな。つぎの花見の宴の前、まで」

我は苦しい時間稼ぎをしていた。

「絶対だね?」

「ああ」

「分かった。じゃあ、それまでは、五郎様とは会わない」

「何?」

「会えなくて寂しい?」

美しい寵童の顔には、何やら幽鬼のような、不気味な笑みが浮かんでいた。

「もしも、寂しいのなら、もっと期限を短くしたら? 桜の花が満開になるまで、生きていられるかどうか、自信が持てない。でも、約束は守るから。五郎様も約束は守ってね」

「や、約束?」

何を約したのか、暫し考える。花見の宴が過ぎたら、千寿はあの男を始末する、という意味であろうか? それとも、我の手にかかって最期を迎えたい、ということか? いずれにせよ、心の準備を整えよ、と。

「西国無双の侍大将と謳われる陶様が、しがない小姓風情と約定など結べないの?」

今度は甘く、切ない顔をする。

「あの男は我が始末する。お前はその手を汚してはならぬ。約束できるか?」

何やら己の言葉が信じられなかった。しかし、確かにそんな事を口走ってしまっていた……。

「約束する」

千寿は涙を拭いて、常のような朗らかな笑顔に戻っていた。それがかえって恐ろしく思えた。

「そのかわり……もしも、約定を違えたら、千寿は永遠に取り戻せないよ」

最後に我にとってはもっとも恐ろしい一言をさらりと告げて、千寿は我が腕をすり抜けた。そして振り返ることなく衣服を整え、何事もなかったかのように、一足先に書庫を出て行った。

一人きりになって、暫し思い悩む。何やらとんでもない事を言ってしまった。そう考えると同時に、これまでずっと重くのしかかっていた何かを遂に手放した、そんな思いもあった。

今の千寿よりやや幼かった頃、義隆の御前に「召し出された」。それからは、千寿の言葉を借りれば、それこそ地獄の日々だった。人は我を、主君の寝所で寵を得たお陰で、分不相応な地位と身分を手に入れた、と蔑んだ。そのたびに我が心は憎しみに燃えた。

千寿の言うように、この「寵愛」は我が「容姿」のためであったのかもしれない。本来ならば、あまりにも家柄が良いと、そのお陰で、言ってみれば御前での下働きにも似たこのような「苦行」を免除されることもあったが、我の場合、そうはならなかった。なぜなら、主君は家中一の美貌と才気を自らの「物」とし、手放したくはなかったから。主の気まぐれなど、そんなものだ。

しかし、このような「寵愛」などなくとも、陶家は大内家中第一の名門。長じて父の後を継げば、「重臣」となることは決まっていた。そして、我が統率力と軍略の才をもってすれば、軍事部門を任されることもまた、至極当然のことである。

それを全て何の助けにもならない「寝所勤め」のお陰にされてはいい迷惑である。しかし、我が恨んだのは、それらの中傷と蔑みを投げかけてきた、無能な家臣たちではない。それは、我が人生の中で、最も美しく、華やいでいなければならなかったはずの、その瞬間を奪い去った、主の大内義隆であった……。

 

 

最終稿完成:2019年09月05日
掲載:「ノベルデイズ」「千寿のモノローグ」「五郎とミルの部屋」等。
今回再掲載で元のドメインに。