一・出生のこと

管領・畠山政長は悩んでいた。応仁文明の大乱の口火を切ることになった上御霊社での一戦、いやそれ以前の伯父・徳本入道や兄・弥三郎の存命中より、大小の戦が絶えることがない。十一年に及ぶ大乱が終結し、守護たちは分国に戻って行った。大内のような在京しない守護のみならず、元々は京師にあって将軍を助けていた者たちすらいなくなる有様。なおも京に残っているのは、細川京兆家くらいだ。かく言う政長とて、なおも続く従兄義就との戦で、屋敷で一息つける時間などない。

つまり、腰を落ち着けて妻と子作りに励む時間がほとんどなかった。戦時のことゆえ、これも仕方ないのだろう。
女性の社会進出が進む現代、出産の高齢化が進んでいる。医学の発達も目覚ましいからこそ可能になったことであるが、医学的に見て、「最も推奨される」出産適齢期はやはり二十代なのだそうである。
しかし、中世は現代とは違う。早々と嫁を取り、跡継ぎである子を作る。十代半ばでの出産も当たり前だ。これまた「医学的に見」たら、推奨されないのかどうか、産婦人科に行って取材すべきだろう。
しかし、その、「適齢期」である二十代を十年もの長きのあいだ、妻たちと引き離されて戦に翻弄されていた。大内政弘は精力漲る二十代を分国から離れた京で過ごし、なお跡継ぎの息子にも恵まれない始末。しかし、東西両軍がやる気をなくして、和睦の道を探り始めた頃、盟友・畠山義就の紹介で妻を迎え、ほどなく玉のような若子を抱くことができた。後の、義興。政弘の嫡男である。
政長のほうはこれに先立つこと二年、やはり大乱が収束に向かう時分に、嫡男である於児丸を得た。

話は半年前に遡る。この時点ではまだ我が子を授かっておらず、それゆえに悩んでいた。
政長の妻は京極持清の娘。夫婦は仲睦まじく、舅との関係も良好だった。ゆえに、一日も早く妻の腹から跡継ぎが得られることを望んでいたのに、上記のような理由で思うに任せなかった。
既に舅はこの世になく、夫婦も十年過ぎれば、互いに歳を取る。妻は盛んに若い側室をすすめたのだが、夫は承知しなかった。というよりも、そんな余裕はなかったというのが正しい。

「何? 孕んだ、と?」
ある日、妻の報告を聞いて愕然となる政長。
長い年月、今日この日の訪れを待っていたはずが、顔には笑み一つ浮かばず、「孕んだ」などと下世話な物言い。
「間違いございません。このわたくしが、直々に医者の説明を聞きました」
と妻。
「孕んだ」のは妻の傍に仕える侍女の一人だった。妻の「経略」にはまり、しこたま飲まされた後、気が付いたらその女と一夜を過ごしていた。恐らくはその時の……。
政長は難しい顔つきになった。
三管の名家を継げるのはたった一人。その僅か一つの椅子をめぐり、かくも長きにわたり従兄弟どうしで争っている。相手は「直系」だと強調しているが、母親が身分卑しい女であった。さらに、その「育ちの悪さ」も相まって本人にもあれこれの問題があり、「血筋正しく」「人となりに問題がない」政長が重臣たちに推されて跡を継いだ。
この場合の「重臣」とは、家中の重臣たちと共に、幕政における重臣をも指す。例えば、細川京兆家の主・勝元など。けれども、重臣たちの中には「直系」を推す者もいたから、争いとなった。
「血筋と人となり」を売りにしている以上、嫡男は正妻腹でなければならない。京極家は外様ながら、尊氏公以来の名門だ。だが、その侍女は……。
「またですか。どうしてそこまで頑固になるのか、わたくしには分かりかねます」
妻が溜息をつく。
「生まれてくる子はたとえ誰の腹から出たとしても、すべてわたくしの息子です」
「それはその通りだが……」
妻の言葉に刺激されたのか、政長の脳裏に一計がひらめいた。

奥方様が産屋に籠りきりとなったのは、やっと懐妊が分かったというその日からであった。産屋には限られた者しか入れず、その日を境に皆、奥方様から遠ざけられた。月満ちて、若君が無事に生まれ出たその日まで。
「おお、男児か」
産屋の前を行ったり来たりしていた政長の元に、家人から報告が来た。先程から元気が良い赤ん坊の泣き声が聞こえていたから、期待してはいたが、やはり待望の跡継であった。
しかし、いったん晴れやかになった政長の顔が、なぜかまた曇る。家人が主の心意を推し量るかのように、そっと耳元で囁いた。
「女は亡くなりました」
「何だと?」
「若君は逆子で、取り出すのに難儀したのです。女のほうは助かりませんでした」
一人の人間が死んだというのに、主従二人は、何やらほっとしたような表情になっていた。
「そうか、死んだか」
政長が、独り言とも、家人に向けたともとれるような口調で呟いた。
「おっしゃるとおり。死人に口なしでございます」

畠山家は足利将軍家と同じく、源義家を祖とする名門である。分家した時期が現代の将軍家に近いほど血縁が濃く、より家格が高い。渋川、斯波、一色の祖は尊氏の曾祖父の兄弟で、吉良、今川はそれより一つ先。畠山はさらに先である。その先祖にあたる足利義純は身分卑しい女人を母としたと言われ、そのせいか、なにごとにも控えめで、目立たぬように生を送った。ちょうど鎌倉幕府で、有名御家人たちが粛清の嵐に見まわれた時分の話である。
御家人の鑑などと謳われた名将・畠山重忠もこの騒ぎに巻き込まれて命を落とした。夫の死で未亡人となった夫人は北条政子の身内であった。政子は、この「おとなしい」義純に白羽の矢を立てる。畠山重忠の未亡人は義純と再婚し、身分卑しい女から生まれた日陰者・足利義純は夫人の「縁」から、畠山姓を名乗ることとなった。
以来、「身分卑しい女」という言葉は、この一門にとって決して口に出してならない禁断の語句となったのである。

注意:この作品は完全なるフィクションであり、実在する人物、出来事とは一切無関係です。

初出:市杵紗江BLOG  2021年2月7日 23:43