第八十一話:父の思い

興隆寺の別当・大護院尊光に呼び出され、細川政元からの書状を見せられた内藤弘和は、その書状が本当に政元のものであるのか、確信が持てなかった。二人は相談した上、かつて尊光の傅役であった杉武明に、筆跡を見てもらうことに決めた。ちょうどそこへ、父の弘矩から急ぎ帰宅せよとの使いが来たから、弘和は慌てて家に戻る。

暗い部屋の中で、ぽつんと一人座っている父を見て、弘和は何やら胸騒ぎを覚えた。

「こんな遅い時間まで、何をしていたのだ?」

弘矩は重苦しい表情で、息子を問い詰める。

「いえ、その……いつものことではないですか。別当様の我儘には困り果てています。話し相手をしろと言って聞きません。それより、父上こそ、いかがなされたのですか? お顔の色が優れぬようで。急ぎ帰宅せよ、とのことでしたが」

「お家の存亡に関わる重大なことがあってな。当然、嫡男たるそなたの意見をきかねば、わし一人では決断できぬ」

「何ですと?」

「お家の存亡に関わる重大なこと」……。いつになく暗澹とした表情の父を見て、弘和はとてつもなく嫌な気分になった。もしかしたら、例の「書状」の一件がすでに露見してしまったのであろうか。いやいや、それはない。もし、そうであるのなら、尊光様とて、無事ではおられぬはずだ。
]とにかく、弘和は父の前に座り、次の句を待った。

しかし、待てど暮らせど続きの言葉がない。

「父上? お家の存亡に関わる重大なこと、というのは一体……」

「実はな、とんでもないことに巻き込まれてしまったのだ。話せば長くなるが」

弘矩は深く溜息をついた。

「それよりも、そなた、もしや、興隆寺で尊光様と『謀反』の相談をしていたのではあるまいな?」

「え?」

やはりそうか。恐らくはあの一件だ。なぜ、どのようにして父の耳に入ったのか? 「巻き込まれた」と言ったが、出元は自分たちなのだろうか? しかし、まだあの書状は興隆寺で保管されたままであり、中身を知っているのは、弘和と尊光の二人だけのはずだが。

「陶武護が戻ったのだ」

弘矩はぼそっと言った。

陶武護? それと「お家の存亡」がどう結びつくのだろうか。今やただの出家に過ぎぬはずだが。

「そなたが『興隆寺で見た書状』とやらも、わしの手元にあるものも、皆、あやつが持ち込んだのよ」

やはり、父は既に知っていた……。弘和は愕然とした。父の手元にあるというのも、興隆寺で見た書状と同じものなのであろうか? しかし、弘和には腑に落ちぬところがあった。

「しかし、父上、尊光様は細川家の家臣という者から書状を受け取ったのです。陶ではありません。私もその家臣とやらに会いました。今も興隆寺にいるはずですが……」

父が例の書状の件を知ってしまったのだと仮定すると、「お家の存亡」に関わると嘆くのも頷ける。しかし、あれは、細川家からもたらされたものであり、陶武護などとは無関係なはずだ。

あれこれ思案している風の息子を眺めやりながら、弘矩は不意に穏やかな口調になった。

「案ずるな。その『家臣』とやらは、嘘偽りのない細川家の者であろう。それに、そなたらが見た書状も、間違いなく、細川政元のものだ」

ならばなぜ? 弘和にはますます訳が分らない。

「陶の小僧が、細川家と繋がっておったのよ」

「……」

陶武護が細川家と繋がっていた? 何だってそんな繋がりが……。もはや、こうなると、弘和や尊光クラスの者には理解不能な世界だ。

弘和は暫し頭の中が真っ白になった。

薄暗い部屋の中に、唐突に静かな笑い声が響く。

この五十年、そこそこまともに働いてきたつもりであった。主のためならば、穢れた仕事すら平気で引き受け、何もかもその言いなりに生きてきた。それこそが「忠義」だと思っていた。そして、それなりに、有能なほうであったはずだ。それなのに、人生の最後になって、こんな大ばくちに巻き込まれてしまうとは。弘矩にはもう笑うしかなかったのである。