第七十九話:埋み火

――槇の戸も開けぬ霜夜に人の来て月をぞ語る埋み火のもと

寒い冬の夜、義興と篠の心を結びつけるきっかけとなった父・政弘の歌。

埋み火とは、炭火を灰の中に埋めておいたもののこと。燃え尽きぬように火種を残しておいて、翌朝一番にすぐ温かくなるようにするのだ。暖房器具などない昔は、火鉢などで暖を取っていたから、この「埋み火」も冬になれば普通に見られる光景。和歌の冬の季語でもある。

これを、拡大解釈すると、消えないように残しておく火種=再び燃えることもある思い、となるようで。そのような意味としてこの語を用い、エッセイや詩を書いておられる方々を散見した。

さて、この和歌では勿論、埋み火は単に埋み火でしかない。解釈が分かれるのは、テーマが月の美しさなのか、それとも友との語らいなのか、というところであるらしい。

篠に言わせれば、冬の月というのは、『源氏物語』の中で源氏の君も「好きだ」と言っておられたように、澄み切って美しいものである。

確かに冬の夜空というのは美しい。寒い中、ふと空を見上げると、その澄み渡る空気の中、星々がくっきりと見える。寒いからと言って、扉を閉ざして縮こまっておらずに、そっと戸を開けて、寒空に浮かぶ澄んだ月を眺めるのが「通」なのである。そういう意味では、この和歌は、冬景色の美しさを詠んだありふれたものの一つに過ぎない。だが、歌の先生のご本では、そうではなくて、ここの主題は「人が来て語っていったこと」なのだという。

歌の解釈など、本当の意味は詠んだ本人しか分らない。本人の意見を聞くことが不可能な現在、「冬の月が綺麗だね、と友達が来て話していったよ」の後が、「本当にその通りの綺麗な月であったことよ」でも、「そんな美しい月について友と語り合える事ができて楽しかった」でも、もうそんなことはどうでもいい。
現に、篠はこの歌を「美しい冬の月について、訪ねてきてくれたあなた様と共に語り合いたい」という意味で使っていたではないか。