第七十二話:運命の人

武護は宵闇に紛れて、広城を後にした。ところが、門を出て直ぐの所で、抜刀した少年に行く手を遮られた。

「このまま黙って出て行くつもりだったのか!」

それが例によって男装した澪だと分ると、武護はくすっと笑った。

「何が可笑しい?」

「そこをどけ。邪魔だ」

「無礼者!! 何だその口のきき方は?」

武護は尚順の元を離れた時から、例の覆面姿になっていたが、その下で必死に笑いを噛み殺していた。

「あのな、その格好からして、お姫様であることをやめているんだから、こっちもそのつもりで相手をしているんだ。分るか?」

澪は物騒な太刀を納めてから、ぶつぶつと文句をつける。

「では、女の格好をしていれば良いのか?」

「それだけではだめだなぁ。まあ、今よりはマシか」

「マシ!?」

少女は生まれてこの方、このような無礼者に出逢ったことはない。管領家の館で大切に育てられ、皆に傅かれていたのだ。不幸にも、父の死で京を逃れ、尼寺に身を寄せていたが、そこでも、このような無礼を働くものは勿論いなかった。そして、今は、無事に兄の元で保護されており、ますますもって、大切にされている。それなのに、この男ときたら、いつまでたってもこの口調を改めようともしないのだ。しかも、「許嫁」であるこの身をないがしろにし、こそこそと兄の元から出て行こうとしている。許せなかった。

「悪いな。先を急ぐんでね」

武護は澪を置き去りにして足早に行き過ぎていく。

「待て! 戻って来い!!」

澪は叫んだが、武護が振り返ろうともしないので、大慌てでその後を追う。

ぱたぱたと駆けて来る少女の足音を聞き、武護は仕方なく足を止めた。

「兄上からすべて聞いた。その……『足手纏い』にならぬようにするゆえ、連れて行ってくれ」

澪は俯いたまま、しおらしく言った。我儘勝手なお姫様からしたら、これは相当な覚悟と譲歩である。受け入れられないはずはない。

「困ったもんだな。お前の願掛けは覚えているが、話した通り、『縁組』はできない。俺が仇持ちでなけりゃ考えてやらぬでもないが」

いや、それにしても、娘とは言えぬまでも、妹にしかなりえない少女を妻にはしたくない。と思う武護であった。

「では、我らの仇討ちは生涯叶わぬと言うことか……」

澪はぼそりと呟いた。

(な、そこか……)

真摯に幼い恋心を見せつけてきていたものとばかり考えていた武護は失望した。いや、なぜ失望したのかも謎である。

「お父上の仇を討たねばならぬという、強い意志がおありなら、我が決意のほども分るはずでしょうが」

武護は何故か急に丁寧な言葉遣いになっていた。澪はそれに奇妙な違和感を覚えた。無礼に接しているこの男に腹を立てていたはずなのに、丁寧に扱われると何故か逆にますます怒りがこみ上げた。

「風蕭蕭として易水寒し 壮士一たび去りて復た還らず」

澪はむくれたまま一首詠んだ。

(よしてくれよ……)

武護は妙な歌を書いて寄越した内藤弘矩の娘を思い出す。だが、問題はそこではなかった。

「兄妹そろって俺を『刺客』に仕立て上げようってか? 二度と帰らんかもしれんが、忍びの真似事などしない、と言っているだろうが」

「二度と帰らぬでは困る! 私を『行かず後家』にするつもりか?」

澪はそう言いながら、わーっと泣き出した。