第七十一話:水杯

「本当に行くのか?」

広城の一室で、畠山尚順は何とも寂しそうな表情になっていた。

「ええ。次郎様同様、私にもやらねばならないことがありますので。ご存知でしょうが?」

相変わらず僧形の武護だが、顔は丸出しであった。肝心の髪はまだ肩までのざんばらである。

「貴殿がいなくなったら、私はどうすれば……」

「何を仰る。私など、その他大勢の配下の一人に過ぎませんよ。ま、一時的な居候みたいな配下でしたが。すべてをまとめ、ここまで来ることができたのは皆、次郎様のお力です」

「そうであろうか……。だが、常に貴殿の『策』に従って来ただけのように思えるのだが」

尚順は力なく項垂れている。

「ますますもっていなくなったほうが良いようですね。やはり主がこれでは心許ない。特定の配下に依存し過ぎる状態は避けねばなりません」

「しかし、当家には人材がおらぬのだ」

「お家が力を付けて行けば、人材など、幾らでも集まって来ますよ」

「……」

武護はやれやれといった風に首を振った。

だが、尚順の側にも言い分はあった。武護は周防へ帰ると言いだしたのだが、それが、父の仇を討つためであり、ひいては主である大内政弘に弓を引くことであるとわかっていたからだ。仇討ちが悪いのではない。親の仇は討たねばならぬ。それは己とて同じである。だが、相手が悪い。

尚順はここまでの間に義豊の勢力を追い出した地盤もあったし、配下の守護代も馳せ参じて小さいながら一つの勢力となっていた。それでも、義豊を倒し、また細川政元を討って義材を復職させるにはどれほどの時間がかかるか分らない。

しかし、武護はたった一人で、大内家という大国に乗り込んで行こうというのだ。こんな目茶苦茶な話があるはずはない。

「念のため言っておきますが、何も私は単身忍びのごとく館に乗り込んで、政弘の寝首をかこうなどとは考えておりませぬよ」

「しかし……現状、陶の家は弟御が継がれたのであろう? 貴殿の行き場はないではないか」

「先ずは奪われたものを奪い返します」

武護は淡々と言った。

「奪われたもの?」

「あなた様と同じですよ。陶の家の『家督』を奪い返します」

「それでは、兄弟相争うと言うのか?」

尚順は非難の眼差しを向ける。

またしても、武護の人を嘲った笑いが起こった。

「少なくとも、あなた様の抗議は受け付けられませんな。あの畠山義豊とて、遙かに遡ればお身内でしょうが」

「……それは」

武護には尚順が必死に家系図を頭に描いている様が可笑しくてならない。

畠山持国は弟の持豊を養子にしたが、その後実子の義就が生まれた。つまり、父政長と義就とは従兄弟どうしである。互いにその子である彼らは又従兄弟となる。身内どうしにはかわりないのだが……。今更ながら、父と畠山義就とは従兄弟どうしで相争っていた訳か。しかし、実際には親兄弟とて相争う例が数え切れない。武護の言うように、これを理由に引き留めることは出来なかった。

「討てるのか、弟御を?」

「ですから、弟であろうと、従兄弟であろうと……」

言いかけた武護を尚順が制した。

「そういう意味ではない。戦力的に、だ。討ち果たせるのか? 貴殿は身一つではないか」

「侮られては困りますな」

武護は笑ってやり返した。

「やるからには徹底してやります。無論、勝算がなければ動きません」

「そうか」

これまで、何度も武護の「策」に助けられて、義豊との戦に勝っている。きっと、何か切り札があるのだろう。

「ただ……これについては、相手の出方次第でして。あるいは、畿内を出る前にバッサリかもしれません」

そう言いながら、武護は頭をかいた。言っていることの恐ろしさとは裏腹に、顔は笑っていた。