第四十九話:父からの遺言

その夜。他には誰もいなくなった幕舎の中に、何者かが姿を現した。うつらうつらしていた義材は、その人影に気付くと、またもや恐怖に打ち震えた、昼間、葉室が処刑されたばかりである。次は自分の番ということか。畠山政長と共に死ななかったことを後悔してはいたが、自ら死を選ぶのと、あれらの下郎の手にかかるのとは全く別である。

(……これは渡さない……)

義材はまた例の品をしっかりとその胸に抱いた。

「義材よ。我が顔も忘れてしまったか?」

聞き覚えのある声がそう言った。

「!」

忘れるはずがない。この世で一番、誰よりも己を愛してくれた人を。

「父上……」

父・義視の慈愛に満ちた顔がじっとこちらを見つめていた。

(そんな……余は既に死んだのか。あれらの輩の手にかかって、もうあの世とやらで父上にお目通りを……)

「なんという顔をしているのだ?」

義視はふわりと義材の脇に近寄ると、その腕の中の二つの品をいとも簡単に奪い去って、彼の脇に置いた。

「『将軍』などという名前にそう執着するでない」

義材は狐につままれたようだった。もしも己がまだ生きているのだとしたら、この義視そっくりな男は、家宝を奪い取るために派遣されて来たに違いない。騙されるものか。義材がもう一度、神器に手を伸ばそうとすると、義視にそれを制された。

「人の話は最後まで聞かねば。そなたはもっと素直で、純朴な御子であったはずだが。あれらの『取り巻き』に毒されたか?」

義材はもう一度自らの眼をこすり、まじまじと相手を見た。間違えなく、父の義視である。だとすれば……。

「父上はどうしてここに? 私は死んだのですか」

「馬鹿者。そなたがしっかりせぬから、わしは死んでも死に切れぬではないか」

「え?」

義視の死から、一体何年経っているというのだ? その間ずっと傍にいて見守っていてくれていたとも思えぬが。

「人は二度死ぬ、というが。どうやら、わしはとうにそなたには忘れ去られていたとみえるな」

「そのような事はございませぬ。一日たりとも父上のことを思わぬ日はございませんでした」

「そうかの?」

「……」

確かに、そう言えばこのところ、義視のことを思い出すことも少なくなっていた。ここ数か月の恐ろしい出来事で何もかもなくし、誰一人いなくなり、そして、やっと亡き父を思い出した、そんなところだった。ああ、そうか。思い出したからこうして、父の姿が……。

「良いか、わしはな、亡き兄上が寺に訪ねて来たあの日から死ぬまでの間、ずっと『権力』というものに振り回されて生涯を終えた。寺の中で平穏無事に過ごすという道は選べなかった。選ばなければよかったのにと何度も後悔したが、恐らく、どう転んでもこうなる運命であったのだ。

残念ながらそなたも全く同じであるようだ。いや、それよりも更に辛いかも知れぬな。わしは最後にそなたのお陰で『大御所』などという大層な名前をもらったが、そこで死ぬことができたゆえ、それ以上の苦労はせずにすんだのだがな。しかし、そのかわりに、何もかもをそなたに背負わせてしまった」

「……父上」

もう少し、父が長生きしてくれていたら、と思うと悲しくてならない。父の死で、頼るべき者がなくなった義材には、あれらの取り巻き以外に相談できる相手すらいなかったのだ。

「すまぬな。しかし、人の寿命というものは定まっておるのよ」

まるで、口に出さずとも、こちらの考えは通じているようである。

「あの葉室殿は兎に角生きることに執着なさっていたが、気の毒にな。だが、そなたは望んでもここでは死ねぬ。残念ながら、まだまだこの先があるのだ」

義材はもう泣きたいくらいだった。僅かに四日でこの有様である。あとどのくらいこれが続くのだろうか。

「あの畠山殿もなかなかに義理堅いお方であったのだな。昔を思うとおかしな話だが。しかし、あの時は事情があって皆が敵味方に分かれておったが、何も心から憎みあっていたわけではないのだ。まあ、畠山殿どうしはそうとは言えないであろうが、わしらにとっては『どちらの畠山殿が……』などという区別はないに等しい。そもそも、わしなど、行きがかり上たまたま西軍に拾われただけであるのよ」

そう言えば、そもそも、父の義視を次期将軍にという伯父義政の考えを支持していたのは細川勝元であったと聞いている。後から二人の関係はねじれてはしまったが。将軍後嗣問題に関して言えば、当初はそういう関係であった。しかし、今は……細川家は完全に「敵対勢力」である。思えば、どうしてここまで嫌われてしまったのか。