第二十六話:約束

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「縁談の話はあるが、相手までは分らない、そういう事ですね?」

「あ、あの、……ええ、多分」

今度は武護が溜息をつく。どう考えても、このような女とは付き合いきれない……。武護はせっかちである。頭の回転が速いため、何事に対しても常に反応が早い。当然相手にも同じ事を求める。だいたい、新介もじっくり考えて行動するタイプだから、それこそ「亀」のようにのろいと感じられることがあるくらいだ。そこへ、こんなぼんやりな娘と、形ばかりとはいえ「付き合う」のは、「苦行」でしかない。

「ええと、その、お願い、とは?」

「ああ、お父上に会わせて頂きたいのです」

面倒だから、武護は結論だけ言った。

「ち、父上に、ですか?」

「お父上にお会いしないことには、あなたとの関係をお話しできないではありませんか? しかし、私は現状『無位無官』同然です。お父上のようなご身分の方とは面会できない。娘のあなたなら、そのくらい出来るでしょう?」

「え? で、でも、私、父上にお願いなど……」

蛍見物に行ったら陶家の若様と出会い、やがて文をやりとりする関係となってしまい、それで……こんなことを父に話すなど不可能に近い。その上、一緒になりたいから相手の言い分を聞いてくれなど……会ってくれるはずがない……。

「正直に話す必要などないのですよ。お父上がご在宅のおりに、お屋敷に入れて下さればそれで十分です。そのくらい出来るでしょう? 後は私にお任せを」

「ああ……ええ」

(これは望み薄だ……)

武護は失望した。本当に人三化七と閨を共にすることになってもがまんするから、頭の回転の速い娘を連れて来て欲しい……。

「新介様のお供で、京での戦に従軍することになりました」

「え?」

「戻ったらまた会いましょう。その時までに、お父上と会えるように手筈を整えておいてください。その、花に話せば早いでしょう。賢い娘です」

「……」

篠の顔がさっと曇る。

さすがに、目の前で他の娘を褒めるのはどうかと思う。いくらぼんやりな娘でも、傷つくときは傷つくのだ。さすがの武護もしまったと思った。しかし、篠が考えていたのはまったく別のことであった。

「ええ。花に頼みます……私より気が利きますから。……でも、戦に行かれるなんて……その、心配です……」

薄らと涙さえ浮かべる篠。月明かりではあったが、武護にも雰囲気でそれと分った。やはり、たとえ、相手がぼんやりした娘であっても我が身を案じてくれる人がいるというのはありがたいものである。

ほんの一瞬だが、武護は篠を愛しいと思った。本当に、僅かに一瞬だけ。懐の中に手を入れると、固い物が触れた。残念ながら、常に肌身離さず持っている貴重品は一つしかなかった。彼はそれを取り出して、篠の手に握らせた。

「これ……は?」

亀童丸がくれたあのラピスラズリの装身具であった。

「これは、ある『大切な人』から貰った物。だから、勝手にあなたに差し上げるわけにはいかないが、留守の間身代わりとしてあなたに渡しておく。つぎに会う時に返して欲しい」

「大切な人?」

「案ずるな。女子ではない」

不安げな表情をする篠の前で、武護は例の涼やかな笑顔を見せた。だが、この時は本当に、「やらせ」ではなく、心から笑っていた。だから、篠にも彼の思いはしっかりと通じた。

「わかりました。あの……ご武運を」

片方は真剣、片方は下心のための邂逅であった。だが、これが生涯ただ一度きりのものとなってしまうなど、その時は二人とも、夢にも思わなかった……。

「綺麗な石ですね」

屋敷に戻った後、花と二人で武護から預かった宝石を見つめる篠。吸い込まれていきそうな青色の美しさ。まるであの方のようだわ……。そう思うと、なぜか篠の目から珠の涙がこぼれ落ちた。

「お嬢様、どうしたのです?」

「あの方、戦に出られるのだとか……」

「え? じゃあ、これって、形見の品のつもりで?」

はっと口を噤んだ花を、未だかつて見たことがないほど恐ろしい形相の篠が睨んでいた。

「ごめんなさい、お嬢様。そんなつもりでは……」

「わかっているわ。数合わせのために駆り出されるつまらない戦だと。だから、若様の身に危険が及ぶ事などないそうよ。でも、行き先は京の都。いったいどれだけ遠いの? つぎに会えるのはいつになるのか、全く見当がつかないの……」

それだけの長い時間、ただひたすら待っているしかないのだ。そんな辛いこと、篠には想像も出来ない。

「ああ、そうか。留守の間、これを若様と思って、そういう事ですね?」[

篠は黙ってそのペンダントを懐に収めた。

「素敵じゃないですか、お嬢様。『源氏物語』なんかより、ずっと素敵。違います?」

「そうね」

篠はそう言って微笑んだ。常はぼんやりのお嬢様が、花にはいつになく気丈なお人に見えた。