第十九話:恋の季節

最近は下向した公家たちとの宴会に興ずる当主の政弘であったが、元々はれっきとした武人である。これから先、あれらの公家や武家のくせに公家と何らかわらない京の幕閣たちと交際せねばならぬことを思えば、新介もまたそうした風流の道にも通じている必要があった。だから、それらの公家やら文化人やらを教師に招き、どこに出ても恥ずかしくないよう、あれこれを学ばせた。

しかし、武家の本領は武芸であるから、弓術・馬術・剣術……と様々な鍛錬も課していた。これらは、一日でも怠けると腕が鈍るから、毎日欠かさずやらせねばならない。

こうしてみると、若子様であることも決して楽ではなかった。最近では、政弘の元で政務のいろはを教わることもあったから、新介にはますますもって暇な時間などないのであった。

今日も今日とて、朝早くから武芸の鍛錬に励む新介と武護。まずは弓道場に来ていた。すでに、弓術の腕前が家中で一番と思われる家臣を指南役として、幼い頃よりみっちり基本を叩き込まれていたから、今はただ、感覚が鈍らぬよう、毎朝通って半時ほど弓を射て帰るだけだ。

十五間先の的を目がけて弓を射る。ただそれだけなのだが、当然のことながら、やるからには百射皆中を目指す。二月会の歩射の射手たちを見よ。それこそ皆そのような見事な腕前の者ばかりではないか。

だが、実際にはせいぜい十射中ったところで引き上げる。やることはこれ以外にもあるからだ。しかし、どういうわけか、今朝の新介はこの十射がまるでダメだった。隣の武護をちらと見遣ると……

先ずはその弓を引く姿からして羨ましいほど様になっているのだが、ひゅんと音を立てて放たれた矢はわずか八寸の的の中央を見事に貫いた。更にもう一射。同じくど真ん中に命中した。二本の矢は重なって一つになってしまったから、二本目はまるでどこかに消えてしまったかのように見える。新介は不思議そうに、眠い目を擦った。

的場に控える家臣が確かめに行くと、先に射た矢の筈に次の矢が真っすぐに食い込んでいた。

「継矢です」

文字通り二本の矢が一本になったのだった。

「毎度のことながら、見事な腕であるな……」

新介が感嘆すると、武護はちっと舌を鳴らした。

「常は重ならぬように、気を配っているのですが」

なんと、どれも中央に中てることが出来るのに、常は故意に少しずらして矢が破損するのを避けていると言うのだ。

「……」

武護が新介の的を見遣ると、いずれの矢も中央から大きく外れたところに突き刺さっていた。

「どうやら心ここにあらずですな」

「ふん。そなたなら那須与一の代わりに美女が掲げた扇の的でも射通せるであろうよ」

新介の口から「美女」の二文字を聞いた武護は僅かに表情を変えたが、新介は気付かなかったようである。

かわりにふっと溜息をついて、珍しく愚痴っている。

「父上から縁談の話を聞かされた。もう先方と話はついているのだが、先の大御所様が亡くなられた後なので、この話は暫しお預けとなっているらしい」

「縁談? めでたい話ではないですか。して、お相手は? 大御所の葬式なんて気にせず盛大に婚儀を行えば良いと言うのに。またも京の顔色伺いですか」

例によって一言付け加える武護。実際には先の大御所とやらは年明け早々に亡くなっており、葬儀もとうに済んでいる。縁談の話が中断しているのには他に理由があるのだろう。

「相手は内藤弘矩の娘だそうだ」

「内藤……」

きくなり武護の顔が更に曇った。これにも新介は気付かない。

「あの男、叔父上が亡くなられた後、家中で偉そうにしているのだ。気に入らない」

武護は新介の言葉など耳に入らぬかのように、三本目の矢を射た。が、それは、的を掠りもせず明後日の方角に飛んで行った。

「……」

どうやら、心ここにあらずなのは新介だけではないと見える。

「どうかしたのか?」

「いいえ。仰る通り、あの男は目障りです」

「うん」

やっといつもの笑顔に戻った新介であったが、今度は何やら恥ずかしそうにもじもじし始めた。

「何です?」

「その……いつぞやの娘御だが……」

「娘御?」

言いたいことはすぐに分かったのに、武護は敢えて聞き返す。

「蛍を見に行った日の……」

「ああ、あの娘ですか。なぜ今頃になってそんなことを?」

「……」

実は、新介の「心ここにあらず」は昨日今日に始まったことではなかった。武護は当然それに気付いていたのだが、敢えて知らぬふりをしていた。あれが、よりにもよって内藤家の娘でなかったら、すぐにもどこそこの誰でした、とその日のうちに報告していたはずである。

しかし、言わなかった。いや、言えなかったのにはそれなりの事情があるからだ。ただ、新介が「送っていけ」と命じたときに、すぐにその胸の内は分ったから、そのうち聞かれるであろうと覚悟はしていた。それにしても、随分長いこと我慢していたものだ。蛍の季節はとうに過ぎ、吹く風にも秋の気配が感じられるこの頃である。

だが、あの娘が新介のもとに「嫁ぐ」ことになるとは、夢にも思わなかった。こうなると、真実を告げないでいたことがバレれば、単なる恋のさや当てではすまされない事態になる。しかし、新介には申し訳ないが、武護は平然と「嘘」をついた。