第十二話:遺された者

二月会の日、亀童丸を憑代扱いし、盛り上がる見物人の中に、友・陶武護の姿もあった。やじ馬の中に潜んでいたわけではない。例の重臣たちの桟敷で末席を汚していた。

武護は興奮する連中を、重臣たち共々心中嘲笑っていた。
(何を言っているんだか。亀は亀のままではないか。どこにその怪しげな神など憑いているというんだ?)

武護は呆れてものも言えない。どうせ、すべてがやらせなのだ。

こうやってやたらと感動する連中がいてくれるおかげで、これらの馬鹿馬鹿しい演出は的を射たものとなる。そして、舞楽や歩射のような見世物を用意し、学がなく暇を持て余している下々の町人風情にまでハレの場を提供してやることで、当主の権威は国中に轟わたった。

権力とはこのようなものである。

彼らの先祖は、元々幾分ほかの一族より勝っていた武力によってこの土地を手に入れたに過ぎない。それが、いつの間にか神格化され、怪しげな海外の王族と結び付けられ、愚かな民衆がそれを信じてしまっている。

まあ、使えるものは皆使うがいい。有難いことに、武護は権力のすぐ近くにいた。友であり、やがては主となる亀童丸の傍近く侍ることで、武護の言動は時として、国を動かすことが出来るほど大きなものとなるはずだ。

そして、父の死が、もしかしたらまさにそのためであったかもしれない、と思い至った時、武護は何やら肌寒いものを感じた。亡き父と当主の政弘との関係について、これまで深く考えたことはなかった。片方は主であり、片方は臣下であった。二人は元々同族であったが、やがて、臣下は力を持て余し、煙たくなった主に抹殺された。武護の頭の中にはいつの間にかそのような仮説が出来上がっていた。

話は数日前に遡る。此度の二月会の神事に出席するため、陶家の山口屋敷には武護の伯父・益田貞兼とその子の宗兼が訪れていた。弘護の死後、弟の弘誼が後見人となって政務を切り盛りしていたが、正統な跡取りは武護である。貞兼は武護の母の兄。今は子の宗兼に家督を譲って隠居していたが、なおも大内家に忠節を尽くす石見の国人衆である。

「若子がおこもりを済ませたら、恐らく公方様にお目通りして、元服の儀とあいなりましょうな」

宗兼が言った。年齢的には遥かに上だが、武護とは従兄弟どうしということになる。

「そうなのか?」

あの腕白小僧の亀が元服とは。未だに母上様の腕の中が恋しい甘えん坊だというのに。

「鶴寿丸様もそろそろ、正式にお家を継ぐことになられましょう。お父上は……」

「知っている!! 父上はとっくにこの年で戦に出て手柄も立てておられた」

いつまでも叔父の弘誼の後見は要らない。そもそも、次男であった叔父は右田家の養子となりそちらの家を継いでいた。しかし、今は「陶」の姓に戻っており、実質陶家の跡取りのようになっている。武護は「子供」だということで名ばかりの当主であった。そのことに触れられると、武護はためこんでいた怒りを爆発させた。

そんな思いを知ってか知らでか、宗兼が更に武護を怒らせることを口にする。

「何やら、最近御館様は吉見家のものを取り立てておいでのようでして」

「吉見」の二文字は生涯忘れることがないであろう。父を殺した仇の姓である。

あれからもう五年も過ぎたのだ。もう御館様は父の事など忘れ去ってしまったということか?

政弘は弘護の弔いをすませてくれたし、「口惜しき事」と言ってもいた。しかし、武護には幾つか腑に落ちぬことがあるのだ。それは、八歳の幼子であったあの時には思い至るはずもなかったのだが。父の死については、その後も一時たりとも忘れることはなかった。今は十三になった武護には、それゆえに分かるようになったことも多いのである。