- HOME >
- ミル@周防山口館
ミル@周防山口館
大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2022/10/18
細川政元の三人の養子の一人。細川澄元と組んで澄之を倒したが、のちに不仲となり、足利義材の将軍復職を助けた。義材政権下で管領となり、その後は義材と不仲となって、足利義澄の遺児・義晴を担ぎ上げた。
2024/9/3
周防国初の臨済宗寺院として重んじられた。代々の住持はすべて著名な名僧ばかりで、歴代当主たちはここで五山文化に触れた。数度の火災で大伽藍は焼失。大内氏の祈願所でなくなってからは衰退。弘世の菩提寺だった塔頭・正寿院を残すのみとなっている。
2024/7/6
大内盛見が応永年間に創建した曹洞宗の名刹。盛見の子・教弘の菩提寺・闢雲寺となった。のちに、小早川隆景の菩提寺となり、泰雲寺と改名される。江戸時代の火災によって全焼したため、ゆかりの品々は焼失したが、隆景、隆景夫人、教弘の供養塔などがある。
2024/1/25
大内盛見の菩提寺・国清寺跡地に建てられた毛利元就・菩提寺。山門、観音堂が国指定重要文化財。盛見の墓と一切経蔵礎石もある。
2024/1/25
下関市長府の曹洞宗寺院。元は長福寺といい、後醍醐天皇時代の創建。仏殿が国宝。長府毛利家の菩提寺となり、寺名と宗派が変った。大内家最後の当主・義長が亡くなった場所で、墓と伝えられる石塔がある。高杉晋作が挙兵したところとしてのほうが有名。
2023/10/8
大内家の「先祖伝説」といわれるものは、最近の研究では否定されている部分もある。けれども、歴代当主たちが懸命に「先祖伝説」まとめ、完成させていった姿は、やらせやインチキではなく、祖先のルーツを探り出そうとした汗と涙の結晶のように思える。
2023/9/18
大内家氏寺と歴代当主の菩提寺と墓所についてのまとめ。二十一代・弘家~三十一代・義隆(+三十二代・義長)すべての所在地と現状についてご紹介してます(山口県外にある義弘墓以外すべて現地に赴いてお参りしました)。※墓所はあくまで「伝承」地です。
2024/9/5
大内義隆の菩提寺。毛利隆元が大内氏館跡地に建立。残念ながら明治時代に火災で焼失し、再建物となる。興隆寺から本堂が移築されていたり、大寧寺義隆墓碑の模造品が置かれていたり、ゆかりある品が見渡せる仕組み。展示品が充実した資料館もある。
2023/5/16
戦国初期に滅亡し、系図を保管し伝えて行く子孫が途絶えたことで、大内氏の系図には完全なものがない。不完全な断片や、信憑性に欠ける言い伝えなどから研究者の方々が整理、修正したものが現在の「定説」。なおもかなりの伝承的な部分があり、不完全。
2023/2/12
下関観光のアウトライン。