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ミル@周防山口館
大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
あなたの旅を素敵にガイド & プランニングできます
※サイトからはお仕事のご依頼は受け付けておりません※
【大内庭園・雅の宴】
2024/1/26
山口市吉敷にある寺院。役小角や行基ゆかりの寺といわれ、有名な「皷の滝」は今も修行の場所でもある。国指定文化財の大日如来があるほか、周防国三十三観音霊場の十七番札所ともなっている。
2024/1/26
奈良時代に、総本社・宇佐神宮から勧請された八幡宮。かつては多くの社坊をもつ大規模な神社で、特に戦国期、大内義隆や豊臣秀吉といった著名人に深く信仰された。境内にある多宝塔が有名だが、これは神仏習合していた時代の名残り。閼伽井坊の所有となる。
2024/10/20
大内氏の氏寺・氷上山興隆寺にある妙見社は、こちらの北辰妙見社から勧請された。つまり、大内氏の氏神の本家本元にあたる神聖なお社。かつては、鷲頭山に上宮、中宮、下宮があったが、下宮は現在、若宮として参拝しやすい現在地に鎮座されている。
2024/1/26
北辰が降臨した松の木『鼎の松』があった場所。現在もその松の子孫が繁茂している。この松の木を「鼎大明神」として祀る神社が金輪神社。星が降った松、降松、下松となったことが町の名の由来。ゆえに、松の木、神社を含め一帯を金輪公園として整備している。
2024/9/22
大内氏の氏寺として有名。一族の滅亡後は衰退の一途を辿りますが、そのかつての繁栄ぶりについて考察。古図をたよりに郷土史研究の先生とともにかつての参道を歩きました。
2024/6/20
大内義弘の菩提寺・香積寺の跡地。現在は仁保にあった陶弘房の菩提寺・瑠璃光寺が移築されて来ている。五重塔は、義弘が応永の乱で敗死したのち、弟・盛見が兄の菩提を弔うためにつくったもので、大内文化、山口市のシンボル。
2024/8/24
応仁の乱で西軍に味方して上洛した甥・政弘の留守中、東軍の細川勝元に味方して叛乱を起こした大内教幸の菩提寺。元々は古熊の地にあったが、明治時代、元この地にあった香泉寺が廃寺となった跡地に移転した。元香泉寺のものだった貴重な文化財が多い。
2024/1/25
大内弘幸の弟・弘直菩提寺で供養塔がある。寺院は改名、改宗などの末、義隆代の政変で焼失。義隆菩提寺として大内館跡に建てられている龍福寺がその移転先。旧寺地にも、江戸時代に最初の普門寺の名で再興され、大村益次郎が兵学を教授した「普門塾」が有名。
2022/10/18
八代将軍・義政の弟、九代将軍・義尚の叔父、十代将軍・義材の父。隠居願望が強かった兄・義政の我儘に振り回された人生だったが、最後は息子が将軍職に就くことで、すべてが報われた。