すやすやと眠る五郎の脇で、宗景とミルが話していた。





そう言って、宗景は五郎を指差した。



ミルは溜息をついた。
子どものくせに溜息ばかりだな、と宗景に笑われ続けている。
ミルは神様との約束を思い出していた。
といっても、もう五百年もの時間が過ぎている。
さすがに、かつて「神童」と大内義隆に気に入られていたミルでも、記憶が遙か彼方となっていた。
ただひたすらに修行に励み、秘術をマスターしたら、時空を超える。
ミルは確かに時空を超えた。
それだけは確信していた。
なぜかなら、折しも毛利元就が奇襲をかけようという厳島の地に降り立ったからだ。
あの踏みしめた地面の感覚は夢幻ではないはずだ。
大内軍の本体、いやもう陶軍というべきか。
それは、毛利の奇襲などかすかにも勘付いていない。
そもそも、気付かれてしまったら、奇襲など成功しないのだから。
後の歴史も変わっていたはず。
ミルは大量の書物を読み、ネット上のデマやインチキも含めてあれこれを調べ尽くした。
少し前までは、毛利元就を称賛する声で覆い尽くされ、反対に五郎はとんでもない「凡将」と侮蔑されてきた。
しかし、実際にはそんなことはないのだ。
源義経の鵯越すら、「馬鹿」だと斬って捨てた軍事評論家のような人がいた。
たまたま成功したからそれは神格化しているが、様々な要素の複合体として、幸運にも成功したにすぎない。
普通に考えたら、そんな馬鹿な策を決行することじたいがおかしいのだそうである。
毛利元就は馬鹿ではないし、源義経のような「天才」でもないだろう。
まさにこの戦、乾坤一擲の大博打であった、というのがミルと宗景の結論だ。
もう数百年もの間議論してきた二人が言うのだから間違いないだろう。
成功したら御の字。失敗しても、元々勢力が小さいほうが弱いのは当然のこと。
勝てたら奇蹟。
負けても当然。
結果「勝ってしまった」ので、「天才」ということになった。
昔のように、囮の城を作ってそこにおびき出し云々、というような古い通説は現代には通用しない。
確かに到着するのが少し遅れたかも知れない……。
ミルは愕然となった。
何も知らない五郎は、紅葉谷で昼寝をしていた。
そうだよ、昼寝……。
今ここにいる五郎も、昼寝中だったという。
そこは合致しているのだ。
(落ち着いて書物を読めば、じっさいには『昼寝』ではなく、『休息していた』と書かれている。だが、ミルはもう『昼寝』していたと思い込んでいた。戦の最中に『昼寝』なんぞしていたことにされたら、それこそ『凡将』扱いされてしかるべきなのに。そもそも、真昼間の奇襲とか。あり得んなぁ)

突然がばっと跳ね起きた五郎にミルはびっくりして飛び上がった。

これにはミルのみならず、宗景すら驚いた。

宗景は怨霊、ミルは妖精。
二人には「飲食の必要がない」のだ……。
そもそも、イマドキの民と交わることができない彼らにとって、食料品を調達することなど「無理である」。
しかし、五郎は普通に空腹を覚えている。
つまり、何かを食べさせ、養っていかなければならない、ということになる。
あああ、まったくどうしてこんなことに?
ミルはまた頭を抱えた。
確か神様はこう言った。
ミルが無事に五郎を助け出すことが出来、満足したその瞬間に、ミルはミルとしての生を終える、と。
ミルは五郎を助け出せず、現状に「満足していない」。
だから、こうして、生を終えることなく、そのまま城跡にいるわけだ。
つまり、修行は「やり直し」。失敗したのだ。
でも……。
思うに、この少年は、恐らくは本当にあの五郎であるのに違いない。
そのことは、宗景も何度か指摘していた。
ミルも、先祖返りして、自分より幼くなった五郎と生前の付き合いはない。
だが、成長した後の彼については良く知っている。
どことなく、「似たところがある」。
三つ子の魂百まで、とか。
きっと、この生意気な子ども時代が、そのまま大きくなって、あの五郎となったに違いない。
その意味では、そのものズバリの人物を連れ帰ってはいた。
じゃ、なんで?
なんで、先祖返りしてるか?
五郎の声がミルを現実に引き戻した。
どうやってこの、幼児化した五郎を養い育てて行けば良いのだろう?
そもそも、彼は「育つ」のだろうか?
妖精は歳をとらない。怨霊もだ。
だから、ミルも宗景も出逢ったときのままの姿だ。
でも、もしも、五郎がこのまま普通に成長していくのだとしたら、そのうち……。
ミルはちょっとだけ胸がドキドキした。
いや、もしそうだとしても、そのためには「育て」なければならない。
前途多難であった……。