海の中にある極楽浄土

ミルは南蛮寺で下働きをしていたが、やがて、周防国は慌ただしくなった。
今度は主殺しではなく、隣の国との戦であった。

何やら、毛利という家が、お殿様に無礼を働いたらしい。
お殿様はそれを討伐に向かったが、勝てるはずの戦に敗れてしまったという。
民草に分かることは、その程度だった。

だが、ミルはおとなしく南蛮寺でお殿様が亡くなった知らせをきいているわけにはいかなかった。

 助けなきゃ

よく考えたら可笑しなことだった。
彼のような子どもに、いったい何ができるというのだ?

ところが、ミルはまるで、何かに導かれているかのように、寺を出て港へ向かい、船を雇った。
じつは、そこらの船はすべて戦に駆り出されており、そもそも、魚とりの漁師の舟なんぞは、こんな最中に漕ぎ出してはいけない。
だが、そこにはミルのために用意したかの如く、そこそこ立派な小舟が待っていて、敵がうようよいるはずの海を、音もなく超高速で進んで行った。

 ナニモカモ カミサマノ オミチビキ

神父は、ミルが出て行ったと知って、悲しそうに空を見上げた。
まさか、本当に「カミサマノオミチビキ」だなんて、神父すら信じてはいない。

「着いたぞ。探しているものはあの山の中だ。しっかりと持ち帰れ」
どこかで聞いたことがあるような声がそう言った。
この船頭、編み笠で顔が見えないので、何者か分からない。

ミルは彼に言われるままに、宮島の原生林へと入って行った。
ちょうど、毛利家の将兵が、山狩りをしており、山中に隠れ潜んでいた者たちは、斬られたり、赦されて捕らわれたりしていた。どうせ、元はと言えば、駆り出されただけの普通の民なのだ。
名のある将はすでに、全員が討ち死にしたと思われる。
今は、その遺骸を確認しているところであった。

 お殿様、どこ?

毛利軍はもう何日も探していたが、大将首が見付からない。
彼らより先にミルが見つけることができたら、お殿様は辱めを受けなくて済む。

そう思って必死に探す。
ミルの身体はまるで空を飛んでいるかのように軽く、急な山道も、平気で進んで行った。
そして……。
果たして、大切なお殿様の御印は、しっかりとミルの腕の中に抱かれることになった。

随分と助けてやることになってしまった。
神様は溜息をついた。じつは、わずかに昼寝をしていた間に、大寧寺も厳島も終わってしまい、こんな形でしか手を貸してやれなくなったのだった。

覚えていますね、浦島太郎です。

でも今は、神様も固唾をのんで下界の様子を見つめていた。
そろそろ、ミルを呼び戻す時間なのだ。
このゲーム、果たして最後はどうなるのか?

大切なものは、お殿様の生前の衣類に包まれて、最後まで付き添った忠義の家臣が山中奥深くに隠していた。
だが、大規模な山狩りで、そのうちには見つかってしまう。そうでなくとも、野生動物に掘り返され、食われてしまうかも。
ミルはお殿様の菩提寺が、周防国にあることを知っていた。
国には奥方様も、若君様もいらっしゃる。

何とか、家族の元に届け、手厚く葬ってもらいたい。

「おい、あそこに、妙な船があるぞ」
「本当だ。いつの間に?」
「おい、ここを見張っていたのはどこの隊のものだ? 何をしていたのだ、まったく」
大元浦の浜辺で、毛利兵が騒がしくなった。

いかん、見つかってしまったか。あの小僧、何をぐずぐずしているんだ?
死神の姿は、毛利の連中には見えない。しかし、船を隠すことはできなかった。

「おい、片付けるぞ」

兵士たちは、謎の船を処分すると同時に、それに乗って上陸したかもしれない連中を探そうと仲間を集め始めた。もちろん、上官に知らせることも忘れない。

ところが、船を片付けようとした兵士は、なぜか、船に近寄ったとたんに、何かの力で跳ね飛ばされた、
いや、そんなことあり得ないが、そうとしか説明できなかった。

「ん? どうなってるんだ?」

その後、兵士らは口々に悲鳴を上げて、船を捨てて逃げ出した。

 化け物だ
 助けてくれ

口々にみっともない言葉を叫んでいる。

腰抜けどもが。
死神はふっと笑った。相手から「見えない」というのは本当に楽しい。
やりたい放題だ。
むろん、職権乱用は厳禁である。だが今は、「緊急事態」であった。

死神が船を確保し、ミルを待っている間に、浜には毛利軍が続々と集結してきた。

ん? なんとなくヤバい感じだ……。
さすがの死神も焦った。
なにしろ数が多い。

「なぜ、このようなところに船が?」
眼光鋭い老人がじろりとこちらを見ている。

あ、あいつは……神様の将棋仲間じゃないか……。
自分がかかわった死人以外、前世にどこで何をしていたかなど、死神には分からない。神様だって、興味がわいたらデータを見るが、それ以外は無視なのだ。
だが、元・毛利元就は神様の四阿に呼ばれることがあり、死神もその顔を覚えていた。

「船がある、ということは何者か知らぬが、ここへ来た者がおるということ。山中を探せ。だが、せっかくの船もこれでは役に立たぬだろう」
元就の息子らしき者が言った。

「いや、問題は、これだけの警備の隙をぬって、船をこいで来た者がいることのほうです」
これも息子のようだ。先の人物に敬語を使っていることから、年下なのだろう。

山から下りてきたミルは、浜を埋め尽くす敵兵を見て木の陰に身を隠した。

 ダメだ。とてもじゃないけど、これじゃ、船まで行けない……。
 どうしたら?

「おい、船へ急げ」
死神が乱暴にミルの手を引っ張った。

「何するの!?」
敵だらけの浜を抜けて、どうやって船に向かうのだ?
だいたい、船に乗れたとしても、これでは逃げられない。

「え?」
ミルは一瞬にして船の上に立っていた。

 嘘? なんで?

「なんだあの小僧は!?」
浜の毛利軍も騒然となっていた。
誰の目にも、その子どもは「いきなり空から降って来た」ように見えたからだ。
いや、そうでないと、つじつまが合わない。
昔の人間に、瞬間移動なんて概念はないのだ。
そもそも、現代の人間には「それがある」といっても、「それができる」わけではない。元々、空想世界のものだから。

できるのは、神様、そして、妖怪だの、怨霊だのの類だ。
もちろん、神様の配下である死神にも可能であった。

さすがの謀神・毛利元就にも、この状況は説明できない。
優秀な三人の息子も同様だった。父にすら分からないことは、子に分るはずがない。

何者か分からないが、味方でないことは確かだ。
「なにをぐずぐずしている、弓で射ろ。船を出してはならぬ」
最初に口を開いたのは、これまた、元就の息子の一人だ。

将兵らは、我に返ったように、矢を射かけ始めた。

ミルはたいせつなお殿様の御印を抱きかかえて船の中にしゃがみこんだ。
もうダメだ。ここで、このままやられてしまうよ。

ところが、将兵らの射た弓矢はみな、ミルを避けるように海に落ちて行った、
「どういうことだ?」
浜ではまた、騒ぎが起こる。

死神の衣の裾が、雨あられと降りかかる弓矢をすべて跳ね返してくれていたのだ。

「……あ、あなた……は?」
恐る恐る、死神を見遣るミル。
どうやら、これは、自分をここまで運んでくれた船頭だ。
しかし、この妖術はいったい何なのだ?

騒然となる敵軍の中で、毛利親子も呆然となっていた。
「どうやら、我らが探しているものは、あの小僧の手の中だ」
元就が腕組みしながらそう言った。

長男:「え……。では、あの者は、晴賢の印を持ち帰るためにここへ?」
次男:「どうみてもただの小僧です。射殺して取り返しましょう」
三男:「あ、あの者は、千寿です。間違いありません」

三男の言葉に、長男もはっとなった。次男だけは「千寿」の顔を知らない。
毛利家の長男と三男は、ともに大内家で主の義隆と語り合ったことがある。
嫡男・隆元は暫し、人質同然で守護館内に住んでいたし、三男・隆景も、その聡明さが義隆に気に入られ、何度も御前にあがったことがある。
だから、義隆の御前に仕えていたその子どもを知っていた。

「父上、千寿はもう十四年も前に死んだ者です……」
隆元が震える声で言った。

この世のものでない者に、弓矢は通じないことには合点がいく。

ミルには、毛利親子のこれらの言葉がはっきりと聞こえた。

 僕は千寿じゃない。ミルだ‼

「よく聞け。さすがの俺も、助けられるのはここまでだ。これ以上は、生者の営みに手出しできない。対岸へ行くことは難しかろう。さすれば、ここで……」
死神が言った。

このままミルを連れて天界へ戻るのだ。
相手の男はすでに死んでいる。ただ、生きているミルは連れて帰れない。
「そうだね。あんたがだれだか、今思い出したよ」
ミルは死神を睨みつけた。
「僕が誰だったかも、今分かった」

 なんでもっと早く思い出さなかったんだろう?
 僕が千寿その人だったってことを。
 似ているけど別人じゃない。僕はあなたを助けるために、戻って来たんだ。

ミルは大事そうに手にしていた包みを広げた。
「……お、おい」
死神は修羅場には強いが、中世に来ることは少ない。
頭と胴体が離れた、野蛮な時代の遺体を見るのは気持ちがいいことではなかった。

しかし、ミルは「野蛮な時代」に生きていた子どもだ。
彼は平然と包みを開き、その中から、大事な人の、大切なそれを取り出した。

「な……あ、あれはいったい……」
何も知らない毛利家の次男・吉川元春は呆然となった。
毛利元就も同じく、詳しい背景は知らない。
隆元と、隆景は知っていた。

千寿は義隆に仕える小姓だったが、陶隆房だった頃の晴賢と繋がっていた……。
そして、そのことがバレる前に、自ら命を絶った。
恐らくは、隆房に主の疑念が向くことを避けたのだろう。
その遺骸は、大内館の庭先で、桜の花びらに埋もれていた。
他ならぬ、隆房が、愛しい少年を美しい花で送ってやったのだ、事情を知る者は皆、密かにそう考えた。

「ごめんね。気が付くのが遅れて……折角生まれ変わったんだもの。ただの一度でいいから、前みたいに、そっと口づけして欲しかった。こんなに僕のことを思ってくれていたこと、嬉しく思うよ。でも、ミルが千寿だって、気付いて欲しかった。馬鹿な五郎様」
千寿は、浜にいる毛利元就をちらりと一瞥した。

 奪えるものなら、奪ってみろよ

そんな嘲笑が込められていた。

「……」
毛利元就は彼の挑戦を受け取った。だが、それに乗りかかることはなかった。

死神がゆっくりと船を沖へ漕ぎ出した。
一同の目には、彼の姿は見えないから、まるで、船が勝手に沖へと滑って行くように見えた。
だが、浜を埋め尽くす毛利軍はなすすべもなく、呆然とその船を見送るだけであった。

「ここらでいいよ」
ちょうど、向こう岸まであと半分、というあたりで、ミルは死神に言った。

 五郎様が、千寿を花でいっぱいにしてくれたように、ミルは五郎様を、海の中にあるという都に連れて行くよ。
 そこで僕たち、永遠に結ばれるんだよ。
 どっち道、人は死なないと最高の安寧は得られない。
 人は生きてる間、あれやこれやに縛られて辛いだけ。
 これからはずっと二人きり。
 間抜けな神様のお墨付きをもらっているから。
 安心して良いよ。
 今度は地獄での面倒なこと、一切ないからね。

 最後に……五郎様に、ミルをあげるよ。

ミルは、五郎の物言わぬ唇に、そっと口づけをした。

浜にいた毛利軍はあっけにとられ、言葉を失った。

おおお、これは……。
小僧め、天界の書庫でオスカーワイルドを読んだんだな。
死神だけが、くすりと笑った。

 そうか、迎えに来たか。
 お前だったのだな。
 この桜色の唇、間違いなくお前のものだ。
 長いこと気付かずにいて悪かった。

え? 
ミルには五郎がそう言ったように聞こえた。
「遅いんだよ、今頃になって……。五体満足のまま埋葬できないなんて。もっと早く気が付いていたら、僕……」
そう言いながら、ミルは涙で目の前が見えなくなった。

「時間だぞ」
死神の声に、ミルは頷く。

対岸の毛利元就は、目の前で喉から手が出るほど欲しい晴賢の首が、海の中に沈むのを虚しく見送るしかなかった。
だが、何やら、このとんでもない光景に魅入ってしまい、爽やかな感動すら覚えていた。

こうして、衆人環視の中、ミルは五郎様の御印を抱いたまま、海に身を投げた。

「殿、急ぎ、海の中を攫い、印を見つけましょう」
元就は傍らに控える側近の無粋な言葉に眉を顰め、居並ぶ一堂に言った。
「皆、見たであろう? あれは、間違いなく、晴賢のものであった、そうだな?」
皆、何と答えればよいか分からない。
「そうですとも、父上、これだけ多くの者が、一部始終を見ていたのですから、間違いございません。首となって海に沈んだ以上、もはや、その死は明らかです。大海から針を探すようなことは無用でしょう」
隆景の言葉に、元就は満足そうにうなずくと、ゆっくりと歩き始めた。

 どうやら、ひとつ、功徳を積んだわい。ふふ。