謀神の一手

南蛮の僧侶は、太守様が見目麗しい稚児たちを傍に侍らせることを嘆かわしい有様だと非難した。彼らの教えではそう言うことは固く禁じられている。
倭国と違って、西洋の神々は七面倒くさい、あれやこれやと面倒な戒律だらけだ。あれもこれもしてはいけない。
それに引き換え、倭国は神仏まで寛容である。唱えるだけで極楽浄土、なんてありがたくも分かりやすいものすらある。普段は神も仏どうでもいいが、困った時の神頼みだけで助けてもくれる。

南蛮の教えが長期間に渡り、固く禁じられることになる後世と違って、この頃は寛容だった。後には大名にも信者が出たくらいだ。
南蛮寺付近の民たちも、特に彼らを追い出すようなことはしなかった。
そもそも、殿様の許可を得ているらしい。

ミルは美しいロザリオを首にかけていた。
父親代わりとなった神父がくれたものだ。
だが、見てくれの美しさ以上の意味はなかった。
なぜなら、洗礼を受けても、信者になどなったつもりはないから。

太守様が家来たちに殺された、という事件は、南蛮寺にもその噂が届いた。
その首謀者がほかならぬお殿様だったと知って、ミルは恐ろしくなった。
お殿様が日々苦悩していたのは、このためだったのか。
家来が主を殺すなんてあってはならないことだ。

地獄に落ちる……。

ミルにはなぜか、地獄の窯の中で熱く焼かれる人を見た記憶がある。
世の中には、絶対に犯してはならない、深い深い罪というものがあって、それをやったら、必ず地獄に落ちるのだ。

幼い頃、食うに困った母親は、子らの飢えを救うため、行きずりの男に身体を任せたことがあった。
その後、母親は不義の罪で地獄に落ちると信じ、夜ごと恐れおののいて泣いていた。

泣き崩れる母の隣で、幼いミルは、なぜか地獄の景色に「既視感」があることを不思議に思った。

(当然だわな。ちょっと前まで、天上世界から地獄の窯をみていたのだから)

ミルはお殿様がその、犯した罪の重大さから、地獄に落ちるだろう、と神父に聞かされた。恐ろしくてならなかった。
できることなら代わってあげたい、そう思った。

 ナント ツミブカイ コトデス

神父は西の方角を向いて、何度も十字を切った。

その後のことは夢の中のようだった。
じつは、天上世界から、神様が手伝っていたことを、ミルは知る由もない。

天上の蓮池の脇で、神様は毛利元就と将棋を指していた。
勿論、相手の男に前世の記憶はまったくない。
名前すら分からなくなっていた。
ただ、死んでもその特性は変わらないので、相変わらず、「頭が良すぎて」意地が悪いのであった。

神様:ううむ。おぬしにはどう頑張っても勝てぬなぁ。

元・毛利元就:ははは、何とも名誉なことですな。

八十を過ぎた老人は、生前、巷で囁かれていた噂のような狡猾な人物ではなく、じつは心細やかな暖かい人物であった。
ただ、過酷な運命が、時に狡猾といわれるほど、知略を尽くして闘うことを彼に強いたのだ。生き残るためには仕方なかった、それだけだ。

神様:実はな、今日はおぬしに尋ねてみたいことがあってな。

元・毛利元就:はて、なんでしょうか。

神様:今下界で、ある男が「謀神」と呼ばれる知将の奇襲に遭ってその命は風前の灯火だ。わしは、頼まれるままに、その男の召使だった少年を下界に戻してやった。主への忠誠があつく、なんとかその命を助けたいと泣き暮らしておったゆえな。

元・毛利元就:またですか。そんなにたびたび下界へ戻してくださる話を聞かされると、つぎはわしも、と期待してしまいます。亡き妻や、息子や娘、孫などに、会ってみたいではないですか。いったい、どこに住むだれなのかもわかりませんがな。

神様:おぬしのように、天寿を全うして幸福な生涯を終えた者には、わしからの施しなど絶対にない。
で、その少年に話を戻すが……。

元・毛利元就:勝敗は時の運。破れたからといって、恥じることなどござらぬ。主思いの子どもに感激して、情けをかけてやったのですから、その者の願い通り、その敗軍の将を救ってやればよろしいのでは?

神様:そうなのだが、この男、ちと問題があってな。自らの主を殺し、今その知将に攻められているのも、「逆臣を退治する」という大義名分によるものなのだ。このような「正義の戦」で「不忠の臣」を倒しているところへ、わしが手を差し伸べるのも……。それに、その男は、本体が今も地獄で苦行に励んでいる最中の身なのだ。

元毛利元就だった男は、神様の話を聞くや、呵々と笑った。
いやいや、どこかで聞いたことがあるような話ですなぁ。大義名分などというのは、いくらでも「捏造」できるもの。「勝てば官軍」「死人に口なし」ですからな。
それに、家臣に殺められる主というのは、たいていにおいて、主の側にも問題があることが殆どですぞ。にもかかわらず、「逆臣」の汚名だけが後世に語り継がれてしまうのです。仔細は存じませんが、その男も、そんな気の毒な者かもしれませんな。

神様はなるほど、と聞きながら内心可笑しくてならない。
ほんに乱世とは気の毒なものだ。こんな善人が平然と人を殺すのだからな。

神様は重ねて、いくつかを尋ねた。
例の知将は、この男の首を求めて早数日。
倒したのは、元々主筋にあたる大国なのだ。敗軍の将の御印は絶対に欲しいはず。
わしは、下界にやった少年に、たとえ、生きた姿で戻れなくとも、大切な主人の「印」くらいは持ち帰らせたい。
どうすればよいかな?

元・毛利元就:わしなら、よく似たような顔の男を身代わりにして、勝利の証をでっちあげ、ですかね。ないよりあったほうが良い物ではありますが、確かに死んだと分かれば、そんなものは「大義名分」同様、かたちだけでよろしい。
イマドキの戦では、誰だか顔が分からぬほど、焼け焦げたり、そもそも、何一つ残らなかったりなんてこともあると聞きました。我らの時分は、鉄砲一丁で心臓が飛び出るほどの凄まじいシロモノだと驚いたものですが、今はもっと強力な兵器が発明されている。
槍を振りかざして、首など取っていた中世というのは、まったくもって野蛮だったわけですが、イマドキの民も少し前までは別の意味で恐ろしいことになっていたのですな。まあ、これは、洋の東西を問わず、皆が歩んで来た道ですが。

神様:なるほど。随分と、イマドキの書物を読んだようだな。

元・毛利元就:極楽はヒマですからな。