再びの出逢い

蓮池近くの四阿の中で、神様は雲間から見える下界の様を眺めていた。

 やれやれ、とんでもないミスをおかしおったわ。

神様が、特別なおはからいにより、下界に転生させてやった少年。
前世で慕い合っていた男と再会し、二人して最初のそれとは違う人生を送り、天上世界に共に帰ってくる。
そんなおとぎ話を、本当にかなえてしまう神様であったが、丸投げした死神の「手違い」で思いがけない展開となっていた。

天上世界に来る者たちは、前世の記憶をなくしている。
同じく、天上世界を追放された者、地獄から罪一等を減じられた「模倣犯」。
彼らが下界に戻る際、同じく、それまでの記憶は消去される。
そうしないと、二重三重の人生が重なり、おかしなことになる。

だが時として、我々のような凡人すらも、もしやして前世は○○だった? 

と、感じる瞬間がある。

そう、消去されても、どこかに消しきれない「塵」が残っていることがあるせいだ。

ただし、少年は意図的にこうしたキャッシュを残した状態で下界に戻される「はず」だった。
時に、神様が特別なおはからいで下界に戻してやる者たちは、とうていそうだ。
なぜなら、彼らはなにがしかの目的をもって下界に戻してもらえる幸運な者たちだからだ。記憶をなくしたら、「目的」すらも忘れてしまうではないか。

ところが、下っ端ではなかったものの、未だ神様の「おはからい」儀式を担当したことがなかった死神は、「記憶消去不可処置」という大切な項目をすっかり忘れていた(というより、聞かされていなかった)。
そこで、いつも下界に落とす儀式を行う時と同様に、その少年を「普通に」転生させてしまった。

少年は五郎という男が住んでいるのと同じ、周防国の貧しい水飲み百姓の家に生まれ変わった。ちょうど、その家の屋根に天界のコウノトリがとまっていたからだ。

少年には前世の記憶がなかったので、そのまま食うにも困る家の中で「普通に」貧しい子どもとして育てられた。これといって、他人に不審に思われるところは何もない。本人も含め、これが神様によって「転生させられた」子どもだなどということはわからなかった。
ただ、皆が驚くほど、顔姿の愛らしい子だった。こんな貧しい家でボロを身にまとっていなければ、仙人様のお供の稚児様にもなれるのに、勿体ないことである、と村中の噂になった。

神様から見たら、小指の先くらいだが、地元民にとって周防国はこんなにも広い。
いくらド田舎に見目麗しい子どもがいたからといって、お殿様の耳には届かない。
だいたい、領主様には、村人の子どもが見目麗しいかなど、どうでもいいことであった。
むしろ、領主さまのそのまた上の、太守様には、そのような者を召し抱える趣味があった。
けれど、それには、ある程度の「身分」が必要。貧しい民の子どもなどが、太守様のお顔を拝める幸運は、生涯ないのが普通。
だいたい、ド田舎にまで人を派遣して、召使を探すほど、太守様はヒマではない。傍にお仕えする召使の少年たちは皆、偉い家臣の息子で、そこそこ目障りでない者で事足りた。まれに、とんでもなく、見目麗しいのがいたら「お気に入り」となって大事にされたが、どっち道、それなりの家来の身内。出世できるのは、元々の家柄がいいからだ。

さて、少年はその貧しい家で、慎ましく暮らした。
だが、父親は戦に駆り出されて行方不明になり、母親や兄弟も流行り病であっけなく死んでしまった。
喰うに困った彼は、物乞いのようになって、人が多そうな領主の館近くまで下りてきた。

少年の記憶は消されていたが、まだ生きている男の記憶は神様にもいじれない。
どんなボロを身にまとい、貧しく卑しい家に生まれても、その顔姿は忘れもしないかつて愛した少年のそれだった。

 おおお、このような展開がありえたか。

神様は密かに感動した。少年だけでなく、男のほうも、熱く燃え滾る情念の塊だったのだ。
男は自然に、驚く少年を屋敷に連れ帰り、汚れた体を清め、美しい衣装を与えた。

「千寿、生きていたのか。いや、そうではない。そんなはずはない。似てはいるが、別人だ。もしも、お前なら、とうにこんな子どもではなくなっているはず」

神様のはからいを知らぬ男には、少年がたとえ瓜二つであっても、すでにその手で埋葬したかつての稚児ではないと思った。

(いや、じっさい転生したら、同じ人間とは数えない、確かに別人だ……とはいえ、わしが『特別に』転生させてやったのだから、別人であって別人ではないのだぞ)
神の声は、毛利元就や大内義隆のような神がかりには聞こえるようだが、特に信心深くもないこの男には、神様の囁きは虫の羽音にしか聞こえなかった。

「お殿様……」

少年は食うにも困る身の上から、一っ飛びでお屋敷勤めとなった。

まさに天から降って来た打ち出の小槌。

二人は微笑ましく、一つ屋根の下で過ごした。
その夜までは……。

死神の手違いで少年が前世の記憶をなくしてしまっていたせいで、男の側からのアプローチとなったことは、意外性があって面白かった。
しかし、神様が期待した、少年による歴史の書き換えの楽しみはなくなってしまった。もはや、これ以上、この話に付き合う気にもなれなかったが、送り出した者は、責任をもって拾い上げなければならない。
神様は仕方なく、もうしばらく付き合うことにした。

男は、れいの「主殺し」の計画で忙しかった。
計画を立て、実行に移したのは、何も彼一人ではない。
多くの家臣が彼を支持していた。
むろん、太守様を支持する者も少なくない。彼らの家中は二つに分裂して、抗争していたのだった。
男は常にこの騒ぎのせいで疲れ果てていた。少年と過ごす慎ましい時間が、彼にとって唯一の息抜きだった。

そして、その夜、男は少年をかつて愛した稚児のように、一晩中傍においておきたいと考えた。
少年も、どこかにキャッシュが残っていたのか、男への思いは日増しに深くなっていたので、もうなにをされてもかまわない、と思っていたようだ。
だいたい、貧乏な暮らしから救い出してくれたお殿様には「ご恩」もあった。

ところが、男には最後の一歩が、どうしても踏み出せなかった。
「お前は千寿に似てはいるが別人なのだ。同じような不幸な者を、何人も作り出すのは罪深いことだ……」
そう言って、男は少年を部屋に戻してしまった……。

 嫌われた……。僕は「千寿」に似ているけど、別人だからだ。

失望した少年は、自分を見るお殿様の苦悩と苦痛に満ちた悲しげな表情に耐え切れず、密かにお屋敷を出て行った。

 なんとまあ……。

やはり記憶を消したことが問題だったのだ。少年も失望したが、神様も失望した。

 ここらで引き上げるか。

そう思ったのだが、屋敷を抜け出した少年が行き倒れとなった場所が意外だったので、もう少し先を見ることにした。

それは、その頃、この国にも現れ、布教を始めた南蛮人の寺院だった。

南蛮の神父は、少年に名前を尋ねる。

少年は長いこと「名無し」だった。貧乏人の子どもなど、それらしい名前なんかない。適当に、個々を区別するための呼び名があるだけだ。
しかし、お殿様は彼に「千寿」という名前をくれた。
その美しい響きに、少年はどれほど胸がときめいたことか。
だがそれも、自分に似てはいるが別人である、お殿様の大切な人の名前だったと分かると、今は口にしたくもないのだった。

「……千」

名無しは嫌なので、少年はぼそりとそうつぶやいた。

それで、神父は彼に「ミル」と名付けた。
南蛮の言葉で、数字の「千」を表すらしい。

少年は、千寿でもミルでもどうでも良かったが、お殿様を思い出すと悲しいので、それからは自分の名前は「ミル」なのだ、と思うことにした。

ミル……そう、確かどこかで聞いたことがある名前だ。