神様の思し召し

ミルは一度死んだ。
いやもしかすると、二度かも三度かも知れない。
だが、最後に死んでからは二度と死ぬことがなかった。
なぜかなら、もう「人」ではないからだ。

ミルが亡くなったのは今から五百年近く前のこと。
それが「覚えている」二度目の死だった。

天上世界の蓮池の畔で、ミルは死神と話していた。
話せば話すほど激昂した。

冗談じゃない。あんたの手違いでおかしくなったのに、なして僕のミスにすり替える? 絶対に承服できない。出るところに出て、話をつける。上役を呼んでこい!!(激怒)

死神:そう言われてもなぁ。お前にはすでに一度機会をあたえてやったのだ。二度目はあり得ない。

ミル:だからーー。その一度目の機会がおかしくなったのは、あんたが間違えて僕の記憶を消したからだよ!! 僕自身が、前世の記憶がない状態で、どうやってあの人を連れてくることが出来るのさ? それでも、心が通じ合った、それだけでも「奇蹟」じゃないか。
それなのに……それなのに……。

ミルの鳴き声は、天上世界を揺るがした。
ここはそもそも、蓮の花から滴り落ちる朝露の音すら聞こえるほど、静寂な世界。
わーわー喚いている子どもがいる段階で、もう大問題であった。
それなのに……。
なにが悲しくて、この至福の世界で涙を流す?

死神は焦った。
これ以上騒ぎが大きくなると、神様に叱られてしまう。彼らのような天上世界にお仕えする者が、神様の怒りを買えばどうなるか?
多分、天上世界から追放されてしまうだろう。
再び、輪廻転生のしがらみの中に落ちていく我が姿……。
考えたくもない。

もう一度やり直して。今度は絶対に「成功するので」。

死神:いやいや、それはダメなんだ。
前にも話した通り、天の神様は気まぐれなので、お前のように「特別な機会」を与えられる者は案外と多い。
だが、普通は皆、「一度で願いを叶えてくる」ものだ。
よって、お前のように、怒ったり喚いたりはせん。

だからーー。失敗したのは、僕のせいではないでしょうが? 消すべきでない記憶を消してしまった、あんたのせいでしょうが? は? 違いますか?

死神はたじたじになった。

思えばそれは、ちょうど十年くらい前のことだった。
神様は、新しく天上世界にやってきたとある少年が、常にふさぎ込み、蓮池の端で人知れず(神知れず)涙を流してるのを見付けた。

神様:これ、何を泣いておる?

少年:僕は大切な人と離ればなれになってしまったのです。

神様:ふむ。それは仕方のないことだ。死によって分かたれたのならば、その者と再び出逢うことは難しいであろう。
そもそも、ここへ来る前に、前世の記憶は消去されているはず。そうでなければ、誰もが、生前の己が愛しい人を思いだし、恋焦がれる。
さすれば、お前のように泣き暮らす者たちで、雲の上は溢れてしまうからな。

とはいえ、何事にも「手違い」はつきもの。まれに、こうやって、前世の記憶を引き摺っている者がおる。
ここでわしの目に留まったのは、お前の前世の功徳によるものであろう。
特別に、思い人との再会を許してやろう。

少年:うわ、本当ですか!?

少年の愛らしい顔は、ぱっと桜色に染まった。神様もそれを愛おしくお思いになった。

ほどなく、神様は執務室で、その少年についてのデータを調べた。すると……。

神様:何と言うことだ……。これでは、そなたらは永遠に会うことができない。

少年:どういうこと?

神様:お前のいうところの、五郎という男は、「主を殺した罪」「国を破滅に追い込んだ罪」さらに、「主の召使いと不義……」ああ、いや、未成年には相応しくないので、三つ目以降はよいだろう。
とにかく、あれやこれやの罪を犯したゆえ、地獄送りとなっておる。

少年:そんな……。そのデータ、間違っていますよ。いったい誰がそんなデマを……。
主を殺したのは、それが能無しだったからです。国が滅んだのは、配下の小領主に騙されたから。それに……たぶんその、R18は僕とのことです……。
あの人が地獄送りなら、僕もそうなって然るべきです。
だって、イマドキ風に言えば、殺人教唆みたいなことをしました。
主人をやっちゃいな、って毎日のように耳元で吹き込んだのはこの僕なんです。

主人が、僕たちを奴隷のようにこき使い(コホン)……。ええ、とにかくですよ、主が能無しだと、おっかない「将軍様」によって、家ごと潰されてしまったり、もしくは、となりの強くてでっかい国に攻め込まれてもなすすべなくやられてしまいます。それこそ、大変なんですよ。
だから、馬鹿な主にはむしろ、引っ込んで貰わないとこまるんです。税金の無駄遣いで毎晩宴会開いているとか、そんなのが国を治めていたら潰れてしまいます。
あなた、神様とか名乗っていながら、そんな世の中の道理もわからないのですか?

神様は考え込んだ。どうやら、記載されたデータに誤りがあるのでなければ、この少年が嘘をついているのだ。
しかし、そのキラキラと輝く瞳を見ていると、彼が「嘘をつくはずはない」と思えてしまう。
何しろ、神様は話をしているうちに思い出したのだが、彼こそは、神様自身の判断で、特別に天上世界に召し抱えさせた者だったからだ(このケースも多数あって、時おり、神様自身も分らなくなるのだ)。

神様:そうだ、たしかにお前の穢れのないその瞳に、わしは魅せられてしまったのだった。ゆえに、お前の寿命は元より少し短くなったが、そのかわりに、天上世界に住める身分となったのだよ。

少年:えええーーー‼‼ そんな、キモいこと言わないで。ここのどこが天上世界なんだよ? まるで、下界の主と同じじゃない。

神様:ううむ。それ以外のことも思い出したぞ。ええと、確か……。

神様が文箱の中から取り出したのは、申状三通。
いずれも配下の死神たちが、下界の者から預かって来た彼らの「願い出」だ。
何と言うことか、この世界にも、「コネ」というものが存在した……。

「陶晴賢は八虐の罪を犯した大罪人。極刑に処すべき極悪非道な輩です。よって、この私と同じ空間には来ないように願います。毛利元就より、天の神様へ」

「隆房めは、恩を仇で返すようなとんでもない男です。それでも、身内ゆえ、大目に見てやって来ましたが、まさか、本当にあの者の手によって我が身を滅ぼすことになるとは。有り難くも極楽浄土に参りましたら、二度とあの者の顔を見なくてすむように願います。大内義隆」

天上世界に召される時(つまり死の直前に)、こうやって神様に密かにお願い事をする。すると、「運良く」、それを聞きつけた死神の手によって、それらの心の叫びが記録され、本当に神様の手に届く。

この「願い出」が神様の手に渡るのは、その死者の生前の功徳ゆえになのか、あるいは本当に、たまたま運が良かっただけなのか……。
しかし、何らかの「コネ」を使い、その筋のルートから届けられる、というのがもっぱらの「噂」であった。

申状の両名は、たしかに天上世界で優雅に暮らしていた。だが、彼らから訴えられた男は、その通り、地獄行きとなったのだ。

考えてみたら、おかしな「制度」である。

すべて記憶をなくしてから天上世界にくるのだから、前世の因縁など消えているはず。しかし、実際には、刃傷沙汰に及んで再び下界に下りていくことになった者達の素性を調べて見ると……。なんと実は前世からの曰く因縁が……というケースがあとをたたなかった。
神様仏様たちは、生前仲が悪かった者どうしを引き離しておけば、混乱が減るのではないかと考えた。それゆえに、しばらくこの「願い出」制が導入されていたのだ。

(二通も届いていたからな……)
神様は眉をひそめた。
もしも、願い出た両名が嘘をついていたのだとしたら、よく考えもせずくだんの男を地獄送りにした己のミスだ。
再度調査して、罪一等減じてやるべきでは?
だいたい、神様はいちいちすべてのケースを正確に調査などしないから、ミスは数え切れない。
だが、生前の記憶がない死者たちに、自らの無実を証明する術はないから、文句も言わずにひたすら耐えているのだ。

はらはらと零れ落ちる、少年の珠の涙を見ながら、神様の同情はさらに深まる。

しかし、天上世界には絶対に侵してはならない、法則があった。

「地獄に墜ちた者を安易に天上に引き上げること」

は、固く禁じられていたのである。

天界で、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』が大流行した時、誰も彼もが、なぜか生前の記憶を取り戻し、地獄に落ちたあれこれを拾い上げようとし始めた。親切な神仏は、そういうお涙頂戴話に弱いため、助けられるだけ助けて回ったので、地獄から苦情が来た。
上の法律は、その際に定められた。以来、その辺の下っ端の神仏は地獄に手出しできなくなった。

さて、神様は、少年の訴えには一理あるのかもしれない、と感じたものの、やはり、地獄に落ちているその男を引き上げることはしなかった。