大内庭園~雅の宴~

サイトキャラクター・庭園の主イメージ画像
庭園の守護・法泉寺さま

「大内庭園~雅の宴~」とは?

「大内庭園~雅の宴~」(略して『大内庭園』)とは、このサイトのことです。

庭園の主・法泉寺さまが築いた史上最強にして、最高の楽園のことを「大内庭園」と名付けました。あくまで、運営者の造語です。研究者の先生方や地元自治体さまによる公式名称とは無関係です。歴史上「大内庭園」なるものは存在しませんし、単に史跡としての大内氏館の庭園を勝手にそう呼んでいるわけでもないです。

大内氏という史上稀なる文武の家、その根拠地である西の京やまぐちに、ホンモノの京からやんごとなきお方がやって来たり、著名な文化人が集まってサロンができたりしたそういう雅な空間。それを仮に、「庭園」に見立てたのです。なので、呼び名は桃源郷でも、エリュシオンでも、お好みのワードでOK。つまりはそのような麗しい天上世界のことを指しているつもりです。

つまりここは、(成功しているか否かは別として)ウエブ上に雅な庭園を再現することを目的として始めた、大内氏と法泉寺さまを賛美するサイトです。

重要

「××uchi-g××den.××××」という旧ドメインは、20230723を期日として、失効しております。再度取得する予定はございません。万が一、未だにリダイレクトでこちらをご訪問くださっておられる方がおありでしたら、お手数をおかけしますが、ブックマークなどを付け替えてくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

基本的な考え方 & 最初にお詫び

大内氏歴代当主の中で最強にして最高の人は第二十九代当主さまです!

でもって、賛美しているのは大内氏っていうよりも、法泉寺さまのほうです。大内氏は出身がその一族だから、ってことで崇めてます。それゆえに、ここでは「史上最強にして最高」の当主は法泉寺さまであり、山口開府の父・弘世さんでも、応永の乱で華々しく散った義弘さんでもありません。

法泉寺さまイメージ画像法泉寺さま@応仁の乱

大内氏歴代当主の中で二番目に最高のお方は三十代当主さまです!

最高って、つまり、一番ってことなので、「二番目に最高」って日本語的におかしいかも知れません。でも意味は通じると思うのでそれでいいのです(いや、それでいいかどうかは、言語学者の先生が決めることだが……)。お二人は親子ですし、父が愛しければ子も愛しく思うのはフツーのことです。それに、その生涯におけるあれこれの功績から鑑みて、お父上と遜色ないか、人によっては凌雲寺さまのほうに軍配をあげるかもしれません。

そこらは「お好み」の違いですので、人それぞれと思います。正直、文芸とかあまり関心ないので、二十九代について知るには文芸の知識が必須と思えば、こっちにしときたい……って思うこともしばしばです。まあ、そのくらい、お二人を甲乙つけがたいほど、二人まとめて愛してしまってる感じです。

大内義興イメージ画像

凌雲寺さま@船岡山

最後の人は嫌いです。申し訳ありません。

父が愛しければ、子も愛しいとか上に書いておきながら矛盾しますが、最後のお方は嫌いです。この人のせいで家が潰れたと考えています。ど素人がテキトーなことを書いたらあらゆるところからお叱りの嵐となりそうですが、これも「好み」の問題なので、寛大なお心でお許しを。

ですが、これまで多くの「歴史がわかる」大先輩方にこの件についてお伺いしてきました。ほぼすべての方から「最後のはダメ」というご意見を頂戴しています。なお、ご意見を頂戴した諸先生方(先輩ガイドさん、郷土史の先生方で、いわゆる『大学教授』やそれに準ずる方ではないです)は、すべて山口県外の方であることを申し添えます。この辺り、部外者と地元の方とでは、お考えが違う面もあるでしょう。

たとえば、龍福寺さまや大寧寺さまをご訪問中に、上のようなことを口走ったらたいへんなことになります。ほかにも数々の同様な状況が想定されます。いずれにいたしましても、県外在住観光客的には、最後の人意味わかんなーいと言ったところで、特に罪には問われないと思います(むろん、リアルでは TPO をわきまえます)。

なお、最後の当主・「大内義長」を、大友姓で記述して、大内氏の当主とは「絶対に」数えないスタンスをとったりしているのも、この見出しの理由に対する、地元のみなさまへのお詫びの気持ちからです。これ以上の配慮は無理ですので、ご容赦くださいませ。

まとめ

要するに、二十九代と三十代「だけ」が好きなんです!!

附・明治維新わかんないです。ごめんなさい。

義務教育で日本史勉強したことがなく、通訳案内士試験にパスできているということは、最低限知っているんだろうって程度です。大内氏のことを知るには古代史から中世史でじゅうぶんなので、それ以外はまったく感心がないです。山口県観光したいのですが、というお客さまをご案内する必要が生じた場合には、事前に大慌てで予習しますが、今に至るまで、そのような現場に遭遇したことはないので、何一つ調べておりません。

このことも、地元の方々からしたら、この観光客何なんだろう? と思われるであろうと心得ますし、あるいはご無礼にあたるかも知れず、申し訳ないと思っております。ですが、人間の記憶領域には限界がございます。トロい頭で、専門外の日本史を「大人の学び直し」するには限界があります。今後も、厳島合戦以降を学ぶ予定は1ミリもありません(仕事のときは諦めますけど、それは終わればすぐに忘れちゃっていいものなので)。どうか、寛大なお心でお許しくださればと切にお願い申し上げます。

当たり前ですが、明治維新を否定するような思想はございません。今も江戸時代なんぞが続いていたとしたらたいへんなことになります。ですので、維新の英雄と言われる方々に対する崇敬の念はしっかり持ち合わせております(実家も維新県ですし)。ただし、人名などが覚えきれないんですよ。地元の分も、殿様と坂本龍馬しか知りません。

ちなみに……。観光業界の常識的には、山口県は明治維新と秋吉台の県です。なので、さすがに、最低限のことは理解できます。観光資源として、萩城跡や秋吉台、錦帯橋、元乃隅神社、角島大橋などを(名前くらいは)知らないとたいへんなことになりますし、吉田松陰、高杉晋作両氏すら存じ上げないと、観光業界を追放されるかもしれません。「が」仮に、大内氏館跡や泰雲寺さま、大内弘世さんを知らなくても生きていける仕組みになっています(むしろ、そのような『レアな』ことをしつこく尋ねてくる観光客には、素直に地元の観光協会さまにお問い合わせくださいませ、の世界です)。

まれに、「奇兵隊○○」とか、「高杉晋作ゆかりの○○」とか「毛利庭園」とか記事があったりしますが、自ら探し当てたのではなく、偶然の産物です(『毛利庭園』など、頼んでもいないのに、タクシーの運転手さんに当たり前みたいに連れて行かれた……)。Google さまも、ココは明治維新や毛利家とは無関係なところという認識ですので、それらの記事は index すらされない仕様です(AI の知能の高さには驚くばかりですね)。なので、それらの記事関係で、ここにおいでになっている方はおられないはずなんですが、万が一何かの間違いで迷い込んでしまわれておられたらごめんなさい。

(ここらがメンドーだから山口より広島県行くほうが好きなんだよ……)

長州藩と明治維新わかりません

とにかく、ごめんなさい、申し訳ありません!!!!!

そもそも大内氏って?

5分でわかる概観

大内氏は周防・長門国を中心として発展し、室町幕府の重鎮としても活躍した名門氏族です。海外貿易によって得られたその財力は将軍家をも凌ぎ、強大な軍事力は周辺諸国を圧倒していました。中国から九州にわたる広大な領国を支配する、まさに西国地方最大の勢力でした。ところが、親族家臣が起こした政変によって当主が命を失うという悲劇により、歴史から忽然と消えてしまいました。

そこら辺を、下の記事にて、目茶苦茶駆け足で説明してます。

大内義弘イメージ画像
大内氏について

大内氏の歴代当主の名前と超簡潔なプロフィール。「5分でわかる陶氏」の本家版を作りました。

続きを見る

これ、同じのを陶氏でやったら、そこそこいい感じだったんですが、分家と本家では格が違うのか、取り上げている人が山といるので、1ミリも受けてない記事です……。

史上稀に見る歴女泣かせの一族

歴女の定番、ゆかりの地巡り。これ、コンパクトにまとまっている一族を愛してしまった人が本当に羨ましいです。なぜかなら、大内ゆかりの地はあまりにも広範囲に渡っており、限られた時間と資金の中ですべてを回ることはほとんど不可能と思われるからです。

少なくとも、山口県内ですべて見終えることができるならば、県内在住の方は皆 lucky ってことになりますが……。県内すべてを見て回ることだって、全国四十七都道府県、どこにお住まいの方でも無理な相談です。一つの県(もしくは、都、道、府)内にどれだけの名所旧跡があることか。普通は同じ場所に一生涯住み続け、青少年期から始めても生きている間にすべて見終えることができるかどうかビミョー、ってことになると思います。少なくとも山口県はそうです。どんだけ広くてみどころで溢れていることか。もはや悪夢の始まりって気がして目の前がクラクラします。

とりあえず、1551年で滅亡したと考えて勝手ながら、それ以降の名所旧跡は無視したとします。それでもですよ、大内氏ゆかりの地は、県内だけではないのです(泣)

ざっと見ただけでも、以下のような他府県があてはまります。

一、守護領国となったことがある地域:豊前、筑前、安芸、石見、山城、和泉、紀伊
つまりはイマドキ的に言えば、京都府、大阪府、和歌山県、島根県、広島県、福岡県、大分県

一、合戦の舞台となったことで、進出したことがある地域:肥前、摂津、伊予……(まだまだあるよ)。

もはや、中国、四国、九州、畿内、さらに南海道まで。これ回りきれる人、いるんでしょうかね(回りきった先生がおられることは存じ上げておりますが)。

取捨選択するよりほかない、と半ば諦めておりますが、何を基準にどうすればよいのか途方に暮れますよね。いちおうはつぎのような基準を設けてあとは諦めていました。

一、山口県内。山口市内は出来うる限り回りたいけど、県内まで広げると無理なので、せめて下松の妙見社本家本元であとは諦め。
一、城跡巡りが好きだけど、どうせ専門家じゃないので見てもわからないから、山とありすぎて回りきれるわけがない県内の城跡は断念し、数が限られる安芸国東西条だけにする。

ところが、広島県内で親切なガイドさま方とお話しているうちに、吉田郡山にも月山富田にも行かなくてはならないような気がしてきてしまう……。

法泉寺さまの跡地だけは外せないのだという思いがよぎると、船岡山に行かないわけにはいかない。お父上のことまで考えると興居島も候補にあがってしまう。どうすりゃいいんだい?

お詫び

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