人物説明

内藤氏

2022年3月26日

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ミル

内藤さんは代々の重臣です。後には毛利さんに仕えて子孫が続きました。ご当主の奥方様、お母上になった女性もおられますよ。

内藤氏

始祖:盛遠
肥後守盛貞入道智得の時、配下となる。
長門国守護代を世襲。

内藤氏の起こり

始祖 ⇒ 盛遠

盛遠の孫・盛家 ⇒ 内藤六と称し、周防国都濃郡に居住した。

盛家八世の子孫・藤時 (系譜は盛世とする) ⇒ 幼名徳益丸、のち肥後彦太郎と称した。文和年間、 大内弘世と戦った。

藤時の子・肥後守盛貞入道智得 ⇒ はじめて大内氏に従い、盛見の長門国守護代となった。これより代々長門国守護代となる。

内藤興盛

メモ

幼名:彦太郎
弾正忠(系譜に左衛門尉)、下野守(系譜、天文十五年)

興盛は盛貞の孫・下野守盛世の第三子掃部頭弘春の嫡男である。義興に仕え、文亀三年に長門国守護代となった。

永正四年、義興に従い、京師で戦った。

八年八月、船岡山の戦いで功があった。

大永四年、安芸に従軍した。

義興が薨じると、義隆に仕え、軍評定衆であった。

天文九年、義隆が安芸を攻撃し、興盛はこれに従った。

九月、陶隆房 とともに毛利氏を援けた。

天文十一年、義隆は出雲に軍を進めた。

天文十二年三月十四日、興盛は尼子氏月山城の管谷口で戦った。

五月、義隆は撤退し、尼子兵の追撃を受けた。興盛は陶隆房と殿戦(しんがり)し、陸路から山口に還った。

十七年、義隆が興盛の第三女を養女として毛利隆元の妻とした。興盛は大いに悦び、家人・永富盛詮及びその妹をつけておくり、船岡の戦いで己が被った甲胃を隆元に贈った。

隆元は久しく山口にあって興盛の人となりを知り、その娘を妻としてからは、ますます興盛を厚遇した。興盛もまた隆元が情け深いのを重んじ、また礼厚くもてなしてくれることに感動し、志は専ら毛利氏にあった。

隆房が叛逆して山 口を襲ったが、興盛は家に引きこもって出なかったから、義隆は使いをよこして頻りに出仕を催促した。義隆が法泉寺に入ったときき、興盛は隆房の陣に加った。隆房は叛こうとした時、まず杉重矩と興盛に連絡し、興盛は重矩とともにこれに 応じた。隆房がおそれていたのはただ興盛だけであったから、その勢いはますます強まった。興盛は隆房の仲間となったけれども、孫・隆世が隆房の妻の弟であることから、ひたすら隆房に加担しているのを不可としていさめた。隆世は聞き入れず、ついに仲違いした。

廿一年九月中旬、家人等は分裂するに至り、豊筑の者は専ら隆世に与みした。ほとんど兵を交えるほどになり、ようやく争いはおさまった。

廿二年七月、備後に軍を出し、十月、山口に還った。

廿三年、五月に亡くなった。享年六十一歳だった(系図は天文廿二年十二月晦日死去、六十三歳とする)。

興盛は落ち着いていて勇敢で、こころざしがあり、いささかもことに動じない人であった。
出雲から軍を返した時、陶隆房と轡を並べていたが、石州刺賀で隆房の家人・深野勘解由左衛門尉が不意に興盛の家人・南野内蔵を馬から斬り落とした。興盛はこれを見て悠々と馬から下り、隆房に問い質した。隆房はすぐに勘解由左衛門に切腹を命じて謝罪した。

妻は伯父・肥後守弘矩の娘。はやくに亡くなったので、山内直通の娘と再婚する。二人の妻との間に四男、四女があった。長男・左京大進隆時(天文十年十二月死亡)、次男・彦三郎正朝(天文十年三月十九日戦死)、三男・弥六隆貞 (天文十六年十二月死亡)、四男・弥二郎(戦死か否か不明)と、父に先立って亡くなった。五男・又次郎隆通。六男・元興は外祖父・直通の養子となり、山内善右衛門尉と称した。七男・元種は勝左衛門尉と称した。長女は義隆の妾となる。次女は宍戸元秀の妻、三女は毛利隆元の妻、四女は和智元実の妻 となった。

内藤隆世

興盛の長男・左京大進隆時の子。義隆に仕え侍大将ならびに先手衆であった。姉が陶隆房の妻ととなった関係で、「国難」に際して陶方についた。厳島の戦い後は、大内義長政権のトップとなった。

外戚 | 陶の城
外戚 | 陶の城

外戚。今のところ、『実録』で叛逆のところに入っていた内藤隆世さんと、同じく「附庸」中の益田藤兼さんだけです。外戚は数多いので当然、これだけじゃないよね。初稿。

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内藤隆春

興盛の第九子。母は備後の山名直通の娘。同腹の姉が毛利隆元の妻となったことで、毛利家とよしみを通じ、陶隆房のクーデター政権には加わらなかった。のちに、毛利家臣となった。

毛利家に「早々」と帰順し「すぐさま」手柄を立て、毛利家でも活躍した人たちなど
毛利家に「早々」と帰順し「すぐさま」手柄を立て、毛利家でも活躍した人たちなど

毛利家に帰順した家臣たちです。結局はほとんどの人が毛利家に将来を託すことになったのは当然のことですが、中でも、「いちはやく」投降し、「さっそく」手柄を立てたような人たち、もしくは、元の主への情というも

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内藤隆世、隆春さんについては、国滅んだ後に活躍した方々なので、ここでは取り扱いません。また、興盛さん以前の方々については、まだ調査中です。

参考箇所:近藤清石先生『大内氏実録』

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